願い


リヒトが出ていってしばらくしてから、今度はノシロンを部屋に呼び、私は事の顛末てんまつを説明した。


予想していた通りに彼は不機嫌そうに、少し白髪しらが混じりでウェーブのかかったツーブロックの黒髪が逆立つのではないかと思うくらい声を荒げた。


「なんで俺がそんな面倒くせぇことを!しかも相部屋ぁ?」


「当主命令だ」


ノシロンはポケットに両手を突っ込んだままギリッと歯軋はぎしりをして目を吊り上げた。

態度の悪いのはいつものことだ。


しかし「当主命令」の一言にとにかく弱い。口では悪態あくたいをつきながらも逆らえない彼の弱点をとことん突かせてもらった。


───すまないね、ノシロン。でも、お前のためでもあるんだよ。


ポケットに突っ込んだ彼の右手には、いつもはめたままの黒い手袋がチラリとのぞいていた。


「手合いは夕方17時に子ども達のいないところ。そうだね、私の屋敷の庭でしなさい。もちろん『スネイク』は駄目だよ。修練用の革鞭を使いなさい」


「やってらんねえよ!」


ノシロンは足で扉を蹴破けやぶると、そのまま部屋から出ていった。


───やれやれ、先が思いやられる。まずリヒトはれられぬだろうが、ちゃんと見届けてやらないとね。


ノシロンと入れ替わるように間もなく、今度はノヴォがやって来た。こちらを覗くとノックのマナー代わりに壁をコンコンと叩き、礼をして部屋に入ってくる。


「失礼します」


「ノヴォ、今日は終わったのかい?御苦労だよ」


「当主こそ、何やら大変だったのでは?」


つい今しがたのノシロンを見たのだろう。私の心中を察するようにノヴォは微笑んでいた。ノヴォはいつも穏やかな笑みを浮かべる。


「なぁに、いつものことだよ。これからが大変だがね。でもこれでリヒトも諦めてくれるさ」


「と、言うと?」


私が事の顛末てんまつを説明すると、ノヴォは真剣に聞き入りながら次第に暗い表情になっていった。大方の話が終わりかけるところで私は気になって尋ねた。


「何かまずかったかい?」


「いえ。妙案みょうあんです。しかし……」


ノヴォは一瞬躊躇ためらったが、少し申し訳なさそうにして口を開いた。


「しかし今回ばかりは当主の失策かもしれませぬ」


「どうしてだい?」


「当主はガリヤに触れられるあの子を戦力として送り込もうとお考えで?」


いきなり何を言うものかと驚いた。


「何だ急に。子どもをそんな風に見始めたら私達が人としてお仕舞しまいだよ」


私は強い口調でノヴォを諌めた。

普段ノヴォに対してしゃくさわることなどないが、流石さすがにその発言は見過ごせない。


「いえ。失礼しました。ただ……、リヒトは成し遂げてしまうかもしれませんよ?」


───成し遂げる?あのノシロン相手に?


「まさか。そんなこと万に一つもないだろう」


私はそう思いながらも、スルグレアの影の最前線を筆頭で護っているノヴォの言葉なので少し引っ掛かった。


「どうしてそう思うんだい?」


「当主、ルワカナを最初に診られた時、傷病しょうびょうの進行具合を医師としてどれ程のものとお見立てなさいました?」


───ルワカナ?いきなりルワカナの話かい?


改めて考えるとよく助かったものだと思う。

一般的な気道きどう熱傷ねっしょうでも助からないことは多いのに、血霧ちぎり熱傷ねっしょうの場合は時間との闘いがそれと比べものにならぬ程さらにシビアになるからだ。


───吸った血霧が少量だとしても、大体経過が1時間を超えると治療が後手ごてに回り生存率が絶望的になるから、それまでに初期治療が出来て良かっ……。


「ちょっと待て」


私はハッとした。


「確かフロレア礼拝堂の跡地で見つけたと言っていたな」


「はい」


───どうして気付かなかった。私は間抜けか……。


ここから10km以上はある。あり得ない。

人1人背負い、右手に貫通傷かんつうきずのある子どもが1時間掛からずにここに辿り着くなど。

私は固まった。


───一体どんな身体してんだい?ノヴォならともかく、きっとノシロンでもそんな状況で走ったらここまで間に合わないよ。


私はまたまた頭を抱えた。今日はあの子のことで頭を抱えてばかりだ。


「お気付きですか?正直私は間に合わぬと思っておりました。友を守りたい一心での火事場の馬鹿力かもしれません。しかしそれこそが彼の原動力。流石に手合いとなると勝手が違いますが、もしかすると……」


「もっと他の条件にすりゃ良かったかね」


「いえ、私も大変迂闊うかつでした。報告の不備をお詫びします」


ノヴォは 改まって深く頭を下げた。


「いや、いいよ。あの子が現れてから驚くことばかりで、それにここのところ皆忙しくしていたからね」


私は窓の外をぼんやりと眺めた。最近また一段と冷たくなった空は、水彩の絵の具を薄く伸ばしたように澄みわたっていた。


「どのみちノシロンに触れられぬようであれば、戦いに赴いても野垂のたれ死にするだけだ。厳しくいくよ。しかし、ノヴォ達にもう少し相談しておけば良かったかね」


「いえ、当主がお考えの上でなされたこと。あとは見守りましょう。しかし、もしかしたらやはりクストス牢獄に入れた方が良かったかもしれ……」


「ノヴォ……」


言葉をさえぎる私のにらみに、ノヴォはひきつった苦笑いを浮かべて口ごもった。


───まだ言うのかい、それを。それこその策だからね。今度また言うようなら私がお前に聖典投げつけてやるよ。


私は冷めてしまったハーブティーにようやく口をつけた。

きっと体調を心配してくれたであろうカッコのそれは、冷めてもとても風味良く優しい味わいがした。


しばらく忙しくなる。またルワカナもに行ってやらないといけない。

リヒトとノシロン、上手くいけばいいが……。


気がつけば二日酔いはとうに消えていた。

私は窓の外を見上げて心の中でつぶやいた。


───どうかこの国の若葉達に、これからも暖かい風が吹きますように……。




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