憎悪の奔流


人生で最も辛苦しんくの時間を問われれば、この時を置いて他に無い。


ただ祈るしか出来ぬ無力な自分を恨み、次第に息の絶えてゆく父を見守りながら覚悟と一縷いちるの望みが入り混ざった感情にさいなまれ、私は永久に続くような沈黙に押し潰されそうになっていた。


時折ときおり眺める窓の外の雪は気休めにもならず、むしろ私にのし掛かる重苦しい感覚を助長させるようにすら感じてしまう。


ピアナが手配してくれた室内の病床にて、凶弾に倒れた後の懸命の治療も虚しく、暫くして父は亡くなった。


うつろな瞳で私を探し、懸命に声を振り絞った父のかぼそい声を忘れない。


───この命の最後に、もし願いが一つだけ叶うなら、全ての憎しみを背負しょいい込んできたい


そして


───和平の歩みを止めるな

───ノヴォ……愛している


それが父の最期の言葉だった。


泣いたのは、おそらくこの時が最期だろう。

私はひたすら一心に泣いて泣いて、部屋の中は霧散むさんした涙で満たされかすむ程であった。


父が逝ってから、程無くしてリアトリス殿も亡くなったと聞かされた。

ピアナは姉君を失ってもなお、ぺフェタステリ家の御息女の治療と当主後継の手続きで涙を流す暇も無かったと聞く。


3日後、ようやく面会の叶ったピアナへ追悼と式典での詫びにおもむいた私は、感傷にひたる暇も与えてくれない更なる驚きの一報を受ける。


慌てて室内に飛び込んできたのは皇室教会の執務員だった。


「し、失礼致します!大変です!暴徒化したクラウディアの民が、ガリヤになだれ込んでいると!」


「な!?……」


私もピアナも言葉を失った。


「なんだよそれ!そいつら何勝手なことしてやがる!早く皇室教会の護衛警備かき集めて説得と鎮圧にあたれ!」


「既に行っておりますが、完全に暴走していて全く制止出来ません!」


「意味わかんねぇ!ラズリの教えは何処どこいったんだよ!」


「落ち着きなさい!」


慌てふためくピアナに声を張り上げたのはぺフェタステリ家長のテシトラ殿だった。

会談の頃から一度も聞いたことのない彼の大きな声に、室内の一同は静まり返った。


「リアトリス殿のカリスマ性があだとなってしまった。それに、これは其方そなたの責任でもあるのですぞ!」


「わ……私が……?」


「民衆の前にたかぶった感情をさらしてしまった。……『絶対に許さない』と。民をべる立場の者は、決して感情をあらわにしてはなりません!」


ピアナは動揺し、言葉を詰まらせた。


「とにかく冷静になるのです。偉大な2人が残した和平への灯火ともしびを、ここにきて戦火せんかに変えることなどあってはならない。これからは貴方あなた達が2人の意思を継いでいかねば……」


テシトラ殿の助言に背中を押され、迅速に今後の対応を模索しようとした矢先、さらに耳を疑う一報が届く。


慌てて扉を開けたのはファレトさんだった。


「ノ、ノヴォ……。ピアナ殿……」


彼は雪を被りながらも汗を垂らす程に息を切らしていた。

その一言に私は再び驚愕きょうがくすることとなる。


早馬はやうまからしらせが届いた。……サルトランが……。サルトランが落ちた!」


「な……!嘘です!こんなに早く……」


「間違い無い!町全土が大火に包まれている。硝石しょうせきの採掘地であることが災いした。双方、甚大な死傷者が出ていると……」


サルトランは国境近くの町であると同時に、メルヴェイのふもとに位置する硝石しょうせきの一大採掘地であった為、火薬や農作肥料が大量に存在する場所でもあった。


「そ、そこには過激派リジルのアリオス家が……。だ、駄目だ……。止められなくなる。ピアナ!そちらは更なる暴徒の拡大防止に努めてくれ!私は直接現地におもむき説得と制止をする!」


「わ、わかった!……ノヴォ、くれぐれも気をつけろ!こちらも即座に対応して追いかける!」


私はいてもたってもいられずにファレトさんと部屋を飛び出した。


しかし幾ら駆けようとも不測の暴挙に対して私達の初動はあまりに遅く、全てが後手に回ってしまった。




その後、サルトランではアリオス家の2人の子息しそくが生き延びたと聞く。


暴走したクラウディアの民は各地でゲリラ化してしまい、それに激昂した過激派リジルを止めるすべも我々には無く、これより争乱は皇国ガリヤ5年戦争にまで発展してしまう。


最早もはや、話し合いが効力を示す事態では無くなり、4年後の五高官ごこうかん選出会議で穏健派は完全に失脚。

逆に過激派リジルの7大勢力の家々が高官席5つを独占してしまうこととなる。

生き延びたルカとシロンはサルトランの憎しみを糧に票を集め、若くしてその席に割って入った。


右翼のような国粋思想を持ちながら、左翼のような急進的な手段を用いる過激派リジルの面々によって戦争は泥沼化。


最期はあの『災いの日』における穏健派の見せしめをもって、戦争は表面上の終結を迎えるのである。










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