和平の種



いくら記憶をさかのぼろうとも、感情にとらわれた父を見た覚えが無い。

父は人としての道徳に溢れた温厚な人であった。

温厚な中にも確固たる信念があり、心の底から尊敬しる人格者として幼い頃から憧れていた。


4年に一度行われる高官こうかんの選出会議。穏健派が高官席の5つ全てを獲得するに至ったのは、身内みうち贔屓びいきを抜きにしても父の力は大きかっただろう。


当然、我等フォーマルハウト家に尽くしてくれていたセリオの父上……ラカユ家当主のファレトさんの尽力も忘れてはならない。


そしてもう一つ、ルカとシロンの父親であった当時のアリオス家当主が選任辞退を申し入れたことも大きな理由であった。


クラウディアとの国境付近に在るガリヤ自治区内サルトラン一帯を治めるアリオス家は、過激派リジルの中でも七大勢力の中の一角であったが、その年にまさかの静観を決め込んだ。

国境近くを縄張とする過激派リジルの急先鋒であったにも関わらず……だ。


当然、過激派リジル連中はざわつき家従かじゅう派閥はばつの票は割れ、穏健派のまさかの5席独占に終わったのである。


この時の父とファレトさんがわした話は良く覚えている。

父はこの時、いつもに増して饒舌じょうぜつであった。


「この機をのがす手は無い。この4年の内にガリヤ内の基盤を確固たるものとして、ダルキア時代から続くわだかまりを払拭ふっしょくせねばならない。クラウディアと和平を締結することが最大目標だ」


「しかし当主、クラウディア摂政せっしょう筆頭、あの強硬なルルゴア家が簡単にうなずくものかね?こちらの過激派リジルの問題は根強い。ガリヤを軽侮けいぶしか致さぬあの男の前では和平など……」


口につけた杯をテーブルに置いて憂慮ゆうりょするファレトさんに、父は呼称を正して酒を注いだ。


「普段から当主など、むずがゆい。フィーサで構わんよ」


「フィーサ。理想だけでは国は動かぬぞ」


「父上、私も同感です。クラウディア筆頭に鷹派のルルゴアが座す以上、和平など夢のまた夢。今は過激派リジルの暴走に目を光らせまつりごとや法をもって国を磐石ばんじゃくにするのみで手一杯にございます」


ファレトさんに続き、思わず横槍を入れた私に父は笑った。


「ノヴォ、言うようになった。勿論もちろんそれがもっての課題である。過激派リジル抑制よくせいは最優先つ最低限の仕事だ。クラウディアの中でも同じことが言える。しかし、その摂政せっしょう筆頭が入れ替わるとしたら、二人はどう思う?」


私とファレトさんは丸くした目を見合わせた。


「そんなこと、あるはずが無かろうて」


「あり得ません。今まで一度たりともその様な……」


父は一口の酒を飲み、思案気しあんげに遠くを見つめた。


「クラウディアが成立し、おおよそ200年。聖女は再来した。近しい内にあちらの四当主筆頭も変わるぞ?いもうとぎみはじゃじゃ馬だがね……。姉妹そろって若いが、しっかりしたものだよ。この奇跡のような巡り合わせを見逃すなど、はなはだ愚かだろう?」


一瞬、私もファレトさんも話を理解しかねたが、『姉妹』『じゃじゃ馬』という言葉に揃って驚きの声を上げた。


「まさか父上……、スルグレア当主のリアトリス殿のことを言っておいでですか?」


如何いかにも……。実は一度こっそりと会ってきた」


ファレトさんは呆れたように頭を抱え、天を仰いだ。


「フィーサ、全く……。私にまで内緒で。勝手な真似はめておくれよ。しかしリアトリス殿といえば、まだ若く経験も浅いだろう。そんな若い娘に、皇国の建国以来揺るがぬ摂政せっしょうの筆頭が移るはずがない。聖女の再来など買い被りすぎだ」


父は高らかに笑う。

私達にすら内密にしていた外交を詫びると、意味いみぶかげに頷いた。


「弱腰のビルオレア当主や豪胆ごうたんの過ぎるセイリオス当主がルルゴアに票で勝てるとでも?……次はお前達にも来てもらう。会えばわかるさ。近い内に必ず、クラウディアでも歴史は動く」


「普段大人しく見える奴ほど、急に何を言い出すかわからんものだ。理想を求めるあまり耄碌もうろくしたか?フィーサ。じゃじゃ馬と若い娘に、鷹が討てるものかね……」


ファレトさんは「やれやれ」と目を閉じて溜め息をつく。


父は、自らの言葉に浮かぶ自信の正体を掴めずに困惑する私達を見て、満足そうにほくそ笑みながら酒を飲み干していた。





それからしばらくの月日を経て、私達はスルグレアと水面下での外交会談に臨んだ。


国境を隣接するスルグレアと穏健派は、時偶ときおり発生した過激派リジルの暴走に対する賠償ばいしょう以外の話し合いが行われたことは無い。

和平に向けた建設的な外交会談が行われるなど、この時が初めてであった。


「ひょろっこそうな跡取りだなぁ……」


「噂にたがわぬ、じゃじゃ馬のいもうとぎみですね……」


会談前にわした言葉が、今では当主となったピアナと私の初めての出会いでもあった。


父に帯同した私とファレトさんは、初めてリアトリス殿をたりにし、ずその美しさに驚いた。

父が聖女の再来と呼ぶに納得の美しさではあったが、それは同時に為政者いせいしゃとしては薄弱にも見え、ファレトさんの言う通りとてもクラウディアの歴史を動かしる人物には見えなかった。


ところが会談を進めるうちに、礼儀正しくおしとやかな彼女の中に潜む強き信念を垣間かいまて、今度はその胆力たんりょくに驚いた。


むしろピアナ殿の方が可愛く見える程に、彼女は頑固で裏表うらおもて無く、そして誰をも愛し誰からも愛されるような人柄であり、私達に妙な期待をいだかせたのだ。


「両国の未来のためにも、必ずやクラウディア摂政せっしょう筆頭になってみせます。」


「ホントにルルゴア落とせんのかぁ?」


「墓穴ばかり掘るピアナが足を引っ張らなきゃね?」


「うちがいねぇとリア姉は話が飛びすぎるじゃねぇか!」


「飛ばなきゃ鷹に手は届かないわ?」


姉妹喧嘩とこちらの苦笑いで幕を閉じた会談ではあったが、周りを巻き込み全てを味方にしてしまいそうな2人に、誰もが「この姉妹ならもしや」と思わされたものだ。


会談を終えての帰路の途中で、ファレトさんが呟いた言葉が忘れられない。


私は思わず吹き出してしまった。


「フィーサがすのも納得だ。あれはじゃじゃ馬の妹君をも乗りこなす。やはり大人しく見える奴は何を言い出すかわからん。じゃじゃ馬に乗った若い娘が、鷹を討つだろうて……」


ここから、和平調印に向けての歩みが動き始めた。












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