Release



纏わりつくその怨嗟えんさは、まるで蜂のよう。

シロンのはやさは突出していた。

追い付かれては振り払い、振り払ってはまた駆ける。


これは最早もはや、持久戦ではなく断続する狂気の瞬発力勝負。一瞬の油断で喉元のどもとを取られる緊張感が常に心肺を圧迫した。


───まだ半分の距離に少し満たないくらい。まだまだ先がある……。でも大丈夫。呼吸も弾数たまかずも想定の範囲内……。


いつもとは少し立場の違う展開に、肺や手足が早めの疲労を見せることは容易に想像がついていた。それでも後半になればなる程に持久戦の様相は深まっていく。この疾さをしのぎさえすれば持久力だけはこちらに分がある。


「蝿みてぇにちょこまかと!」


「せめて蝶って言ってもらえないかしら?」


シロンが悪態をつく度にその息遣いきづかいを見張みはり、冷静に思考を働かせている自分を再確認して対処の自信を深めていった。

例え迫られようとも、相手と手投げ弾の動きをある程度先読みしてはフェイントとピオッジアで封じ、先の進路を確保する。

まるでチェスのような作業を積み重ねながら、私はリエラ青白い月を追い抜く程のつもりでまた駆けた。


───いける……!このままいけば問題ない。油断だけはしないように……。あとはリズムさえ失わなければ……。


不規則なステップでシロンを出し抜いて距離を稼ぎ、ピオッジアの弾倉だんそうを取り替える。

一度呼吸を整えた瞬間、その時は突如として訪れた。


「きゃっ!!」


各所で暗闇を切り裂くような光が見えたかと思えば、強大な爆炎がけたたましい音を上げる。

特に、近く前方から舞い上がった爆炎は凄まじく、気付いた時には爆風に身体の自由を奪われて、私はのように軽々と吹き飛ばされた。


その先にあった瓦礫がれきの岩肌に背中から叩きつけられた衝撃で思わず息が止まる。


「うぅ……」


静寂を取り戻していく闇の中で、私はうめき声と共に止まってしまった思考を呼び起こそうと頭を振った。


───今のは……?まさか穏健派の人達……?しまった!念頭には置いていたけれど、もうそんな時間に……。


救えなかった自責の念や仲間達の安否、今後の展望などがうずく頭の中で駆け巡る。

その中でも、身体はシロンへの対処を忘れていなかった。

間接や筋肉が痛みを訴えようとも、私は混乱と焦りを抑えつつ反射的に立ち上がる。


───身体が重い。くそっ……。動かなきゃ……。必ずかたきは取る。奴等の狂気は、絶対に貴方あなた達の家族にまでは届かせないわ!


その刹那……、小さく耳に届いた金属音に心臓の鼓動が大きく脈を打つ。

投げつけられた手投げ弾が垣間かいま見えて、身を防ぐ場の無かった私は慌てて瓦礫の高台まで跳んだ。


しかし痛みで重くなった身体では爆発を完全に回避すまでには至らず、私は再度の衝撃で瓦礫の山の頂点に叩きつけられてしまい痛みにうめく。


「あぁっ!」


「どいつもこいつも……。あっちは役立たず、こっちは邪魔ばっか。今日は本当に厄日だぜ。お前、せめて良い絵画の餌になって責任取れよな!」


数メートルの間を置いた反対側の少し低い高台から、シロンがこちらをにらみつけて言った。


───不味まずい……。一気に風向きが変わった。何とか対策を立てないと……。このままじゃ、間違いなくられる……。


私は痛みをこらえて立ち上がろうと、膝を着いて同じく奴をにらみ返した時、地面にしたたりり落ちる一滴の血に気付いてそっと頬を撫でた。


───あ…………。


衝撃でぶつけただろうほほに触れたてのひらには、真っ赤な血がねっとりと附着ふちゃくしていた。


───血……。せっかく綺麗に治ってたのに……。乙女の顔に二度も傷をつけて……!


一瞬き立った情火は、ふと視界に現れた一粒の雪によって、妙に冷静で、小さく揺蕩たゆたう炎のような怒りへと変わっていく。


───あ…………。雪…………。


その雪粒はふわふわと行き場を彷徨さまよいながら、やがて掌にいた血の中へ落ちていくと、ゆっくりと音もなく溶けて消えていった。


雪が降っている。

ふわり……ふわり……と揺れながら……。

最初の一粒を追いかけて、見上げた空からたくさんの雪達が舞い落ちてくる。


私の中で、時計の針がカチリと無機質な音を立てた。


「ねぇ……」


「あ?」


「さっきから不公平Unfairだわ……」


「あぁん?何だよいきなり……。そもそも当たり前だろ?オメェ等みてえな芸術もわかんねえ下賎げせんの民が、俺達崇高すうこうなガリヤと対等な訳ねぇだろうが!」


私はゆっくりと立ち上がって、見上げた視線をシロンに戻した。


「ねぇ……」


「あぁん?一体何なんだよ?」


フェアFairに……、戦ってくれる?」


意味を理解しかねるシロンを前に、私の中の時計は音を立ててゆっくりとその歯車を戻してゆく。


チクタク……チクタク……。


血と雪にいざなわれて、私はあの日へと戻ってゆく……。

雪のように静かな怒りが、私を染めてゆく……。


「ハハッ!今更いまさらになって負け惜しみかぁ?自分は俺達と対等だとでも言いてぇのかよ!?出来るもんなら全力で来てみなぁ!作戦でも背中の武器でも好きなもん出して来い!最初から出し惜しみすんじゃねぇよ!」


「そう……?ありがとう……」


私はピオッジアを左手に持ち替えて構え直す。


「あ?」


シロンは怪訝けげんそうに首をかしげた。


「お前……………………、左利き?」


「そうよ?」


「ハッ!今更いまさら利き手に替えたからって何だよ?そもそも見えねぇその左眼でどうやって撃つってんだぁ?」


───もう……、許しはしない……。どのみち今日アリオス家を始末しようというのなら、ここで私が1人やってしまっても問題無いわよね?ノヴォ兄……。


私はゆっくりと左眼の医療眼帯に手を伸ばす。

片方の耳から手をかけて、ゆっくりゆっくりとめくり取ってゆく。


「誰の左眼が……、見えないですって?」


「あ……、あ?」


眼帯を外しながら、最後に心の中でピアナ姉さんに懺悔ざんげをした。


───姉さん、ごめんなさい。いつも本当の姉妹のように接してくれて、当主とおつかえの立場を越えて家族のように私のことを心配してくれるピアナ姉さん……。今日、ひとつ約束を破ります。私、知ってるの。姉さんが人知れず影で全てをかかえて泣いてきたこと……。もう、これ以上、貴女あなたに涙を流して欲しくないから……。


シロンは解き放たれた私の左眼を凝視すると、先までの威勢とは打って変わって身体を強張こわばらせ、ひどく驚き戸惑いに震え始めた。


「な……、なんで……?」


全てが暗紅に染まる。


「何だよ……。何なんだよお前……?」


世界が血の淀みに息吹きを止める。


「なんでお前が俺達と同じ眼を持ってんだよ!!」


大地も、天も、舞い降る雪も……。

私の心でさえも……。


久方ぶりに空気に触れた私の左眼は、漆黒に浮かぶ赤い月。

まるで血に沈み停滞する世界で、私は全てと共に揺らめいて、ゆっくりとシロンを見据みすえた。


「さぁ……。早めの終劇といきましょう?」


雪が降っている……。

深深しんしんと舞い落ちる雪が……。

私の心を埋めてゆく……。


あの時と同じように……。












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