眼差し



歩きながら建物の中を簡単に紹介し、管理室に入った私は仕事机の前の椅子に、彼は来客用の椅子にお互い腰掛ける。


気遣きづかってハーブティーを持ってきてくれたカッコが静かに部屋を出ていくと、私はゆっくりと話を切り出した。


「さて、遅くなってすまない。改めて自己紹介を……。この地区の責任者、ピアナ・スルグレアだ。君のことは少し聞いている」


「リヒト・トゥールビオネです。あの、色々とありがとうございました」


リヒトは椅子の上でひざに手をつきながら言った。


───礼儀正しい良い子じゃないか。


私は吸い込まれる感覚に襲われて初めて彼の瞳をまじまじと見つめ返した。先程から気になっていたが珍しい瞳をしている。

バイオレットの瞳が薄くも濃くもわからぬ深さをまとって、ぐに私を見上げていた。


「こっちこそ、この地区の責任者として今まで君達を救い出せずにいてすまない。今まで生き延びた君達の知恵と勇気に、心よりの敬意を」


私の礼にリヒトも慌てながら見よう見まねの礼を返す。


「一つ聞いていいかな?」


「はい」


まだ少し緊張したような面持おももちでリヒトは返事をした。


「どうして右手の印を傷つけたりしたんだい?」


口ごもらせないように、なるべくこの子の心の奥に土足で踏み込まないように、穏やかにゆっくりとたずねてみた。


いきなり聞くのも何かとも思ったが、思いのほか、彼はハッキリとした声で受け答えた。


「お叱りなら受けます。今までラズリ様に恥じない行いをしなくちゃと思ってきました」


リヒトは包帯を巻かれた自分の右手をじっと見つめて言う。


「でも、祈ってるだけじゃ大切な人も守れない」


「ラズリの教えにそむいてどうする気だい?」


「例え罰を受けてでも、僕は故郷を取り戻したいんです」


真っ直ぐな瞳……。

ノヴォの言った通りであった。大人しく見えてこの子は決意を曲げない顔をする。


「どうしてそこまであの場所にこだわるんだい?」


故郷をしのぶ気持ちは誰でも当然だ。しかしこの子からは何かそれ以上のものを感じる。


「約束なんです」


「約束?」


「ルワカナとの」


私は背もたれにもたれ掛かって息を吐いた。


───約束か……。その言葉には弱いんだよ。


心の中にとどめた約束は人に理屈じゃ曲げられない意思を宿やどらせる。そこには到底とうてい、他人が入り込める余地なんか無いんだから。


───長い長い間、生き抜いてきた2人だけの約束か……。


「大事な約束か」


「はい」


私は少し天井を見上げた。


「2人の大事な約束にまで、根掘ねほ葉掘はほり聞こうとまでは言わないが、手を汚さずとも復興に役立てる人生なんてたくさんあるんだよ?」


「ノヴォさんみたいに尽くしている人がいるのに、僕は見過ごして生きていきたくないです。自分達の故郷は自分達で取り戻します」


柔らかくさとそうとする私に、リヒトは間髪かんぱつ入れずに答えた。


困った。この子は約束を成すことは行動でしか示せないこともちゃんとわかっている。

本当に真っ直ぐな子だ。


───仕方ないがキチンと話さなくちゃいけないか。


「確かにノヴォは屍人しびとを排除してくれている。屍人がいる限り襲われる危険、やまいを持ち込まれる危険があるからだ。廃墟と街との間には隔離壁かくりへきも設けられている」


私は憂鬱ゆううつなため息をこぼす。


「屍人はね、あわれなガリヤの人々なんだよ。医学的に見てももう亡くなっている。おかしいだろう?意識を奪われ3年もの地で彷徨さまよっているなんて。自身の神の元へもけず、ただ憎しみと共に血霧ちぎりらして……」


私の話にリヒトも悲しそうにうつむいた。


「現在の医学でも解明はされていない。彼らを戻すすべなど無いんだ。故に『見つけ次第必ず排除する』鉄則だ。屍人しびとの排除は復興のためには欠かせない」


私は語気を強めた。


「しかし、それだけじゃないんだ。君にその意思があろうとも、『はいそうですか』と送り出す訳にはいかない。屍人しびと血霧ちぎり一掃いっそうしたからといって、の地は戻るわけではないんだよ」


「どういうことですか?」


顔を上げて首をかしげるリヒトに、私は立ち上がり横の本棚から一冊の書物を抜き取って渡した。









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