第3話 護国の意思 (ピアナ)

二日酔い







    歴史の声は常に語りかけているのに

        どうして私達は

   そこに耳をかたむけることが出来ぬのか……












目覚めてもまだ頭にモヤモヤとかすみがかかっているようだ。

周りの空気はまるで泥のようで私はその中をゆっくりただよう感覚でいる。

時折ときおり金槌かなづち小突こつかれたような頭痛が再び眠りに入るのを許してくれなかった。


───気持ち悪い……。

───少しきっ腹のまま飲みすぎたか……。


カッコの酒は強い。二日酔いなど何時いつ以来だろう。

うっすら開いた窓を眺めるともう日は高く登っていて、白いカーテンがそよ風とゆらゆら踊っている。

枕元のテーブルには水が置かれていた。


───テシトラだな?


外の庭に植えられているパンジーの匂いがそこから漂ってきて、私は余計に気持ち悪くなって飛び起きると脇にある水をグッと飲んだ。

ため息をつくと丁度扉をノックする音が聞こえた。


「起きたよ」と返事をすると少し扉を開けてテシトラが顔を見せる。


「飲みすぎですよ」


テシトラは代々スルグレア家を支え続けているぺフェタステリ家の現家長。カシミールの父親だ。


50を越えて少し腹も出てきたとはいえ、書記、執務、医務管理まで、激務を全てこなしてくれているせいか他の同年代より遥かにスラッとした体つきで軽やかだ。

自分にも他人にも厳しいが歳と共に少し優しくなった。


「わかっているよ。少し過多かただった」


みなに示しがつきませんな」


テシトラはふわりと笑った。

歳をとって少し増えたしわをクシャッとする柔らかい笑みを見ると私はいつもなごまされるのだ。

昔ならガミガミと怒られていただろう。私も少し自嘲じちょう気味に笑った。


「礼拝に来た住民達は当主がまだ多忙出張中と思って帰りました。遅れましたが酔い覚ましにせめて朝の礼拝だけでも1人お済ましを。今日経過観察の希望がある医療院患者のカルテはイータさんより預かってあります。あと孤児院の子らが当主の授業をまだかまだかと待ちわびてますよ」


いつも抜かりない仕事を粛々しゅくしゅくとこなしてくれるテシトラは流石だ。

カッコ達といい、私は本当に周りに恵まれている。


「ありがとう。今日は終わり次第すぐに孤児院に顔を出す。丁度、用もあるんだ」


「あの少年のことで?」


流石さすがに抜かりない。

テシトラにだけは隠し事をする自信がない。

私は頭痛を誘わないようにゆっくりとうなずいた。


「気苦労の絶えぬこと。気休めも必要とはいえ、どうぞ程々に。医療院へ顔を出す前に花の香りでもつけてお酒の匂いだけは消すんですぞ」


最後に「御自愛を……」と言って、テシトラはゆっくりと部屋を後にした。


───花の香りか……。余計に気持ち悪くなってしまうよ……。


私はまた少し笑って身支度を始めた。




私は身なりを整えてから屋敷を出て陽の光を浴びた。

ここはいつも光に包まれている。


丘が小高いからか、ここの陽はいつも他より近く澄んで感じる。心を洗われるような気がして、私は体の中に光を取り込むように深く深く息を吸った。


すぐ側にあるアリア礼拝堂はクラウディアの中でも比較的まだ新しい建物だが、元々が個人の資産だったので一時維持管理が行き届かず、すでに歴史ある堂と変わらぬ風情ふぜいかもし出していた。


悪く言えばオンボロなのだが、アリアを慕う住民の寄付や改修で、他にない手作りの感じが所々見え隠れするこの堂が私はいとおしい。


街中のそれと違ってオレンジの屋根も持たぬ。

無機質なグレーのいし煉瓦れんが作りの壁には少しつたっていて、ラズリの守護を受けるかのように光に照らされていた。


入る前に皇服のえりを少し正す。

一緒になって肩にスルグレアの責務せきむも乗り掛かるようで勝手に気が引き締まった。


堂内に足を踏み入れると古臭い匂いがする。

湿しめり気が織り成す石と木と蝋燭ろうそくの匂い。

その割に空気はひんやりと乾いていて嫌な気はしない。

どこの堂でも入ると背筋が伸びるものだが、ここだけはむしろ家に帰ってきたような懐かしい錯覚さっかくを覚えるのだ。


修道女達も皆この時間は孤児院を手伝ったり、買い物なりと出掛けているのだろう。

誰もいない堂内は静かで、ここの空気は二日酔いでよどんでいた私の気分を少しやわらげた。


左右に規則正しく並んだ長椅子の真ん中を、奥の祭壇さいだんまで進んで片膝かたひざをつく。

右手を左胸に、左手を上向きに腹前にえ、ラズリに深く礼をした。


「遅ればせながら、主に朝の挨拶を……」


───今日も我々を見守りたまえ……。


じっくりと礼を終えてラズリを見上げるとまるで


──(遅いですよ?)


と笑われている気がして私は笑みをこぼしながら項垂うなだれた。


───今日は急がなくてはな……。


私は事務的に簡潔かんけつに礼拝を済ませると、すぐに踵を返して医療院へと足を向けようとしたが、そこで少し驚いてすぐ足を止めた。


入口で人の子ども程の背丈せたけの鳥がこちらをのぞいている。









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