ガリヤ人



あの時と同じように、心臓を握りつぶすよな圧をかける赤い霧が、彼らにまとわりついている。

よく見ると身体中傷だらけで、赤い霧はまるでその傷から出ているように見えた。


「彼らにれてはいけない。動いてはいけないよ?」


男性は僕の横に立って右の腕当てをカチャリと音立てる。


苦しむように威嚇いかくうなり声を上げる彼らは、3、4……、5人に増えていた。

皆同じくこちらをにらんでいて、その視線は怒りや殺意を僕に突き刺す様で痛い。


彼らがピクッと身体を動かした瞬間、僕は飛び掛かってくると思って身構えた。


───襲われる!


それは本当に一瞬だった。

直前に視界に残ったのは飛び掛かってくる彼らではなく、稲光いなびかりのような光と影。


次の瞬間にはもう、痙攣しながら動かなくなった5人の彼らがいた。そのうち1人は男性につかみかかっていたけれど、すぐに硬直すると同じように彼の足下に倒れた。


───今……、何が起こったの?


呆然としている僕の前で、男性は赤い霧を遠くへやるように手で少しはたく。


「さて……」


そして柔らかい声に戻って振り返った。


「全くもって信じられない」


そう言いながら膝をついて僕の目の高さまでかがむ。


その様が一瞬お父さんの面影と重なって見えた。

男性のニット帽のふちから、古い火傷のあとらしきものがのぞいている。


僕は何が起こったのかわからないまま、その痕を見つめながらほうけていたけれど、

「リヒト、と言ったね」

と声をかけられてハッと我にかえった。


「あ、はい!」


「挨拶が遅れたね。私はスルグレア区の再興を担っている、ノヴォと申します」


そう名乗って男性は右手を左胸に、左の掌をお腹の前で仰向きに添えて頭を下げた。

その挨拶がとても上品で礼儀深い佇まいだったので、恐縮して慌てて頭を下げた。


「ノヴォさん。あ、助けて下さって…、ありがとうございます」


僕は動かなくなった白い人達と赤い霧を見つめながら聞いた。


「あの、あの人達は?」


ノヴォさんは僕の視線を追って彼らを見つめながら、小さく相槌あいづちを打つ。


「よく今まで無事でいられたものだ。今のは屍人しびと……。この国の闇だよ」


───屍人しびと……?


「ちょうど仕事帰りに人影が見えたのでね。屍人だと思ったらまさか生き残った子がいるとは思わなかったよ」


「あの、屍人って……?」


「彼らだよ。屍人はガリヤ人の成れの果てだ。この地にまだ残っていてね、見つけ次第排除する決まりだ」


ノヴォさんは寂しげな顔で続けた。


「君は、こうなった日の事をどこまで理解している?」


そういえば僕はあの日のことを何もわかっていない。ただ急に180度変わった世界に放り出されて、ルワカナと2人で必死に過ごしてきただけだった。


「何も……わかりません。ただ気がついたらこうなってただけで……」


戸惑う僕を優しく気遣うように、ゆっくりと話し始めてくれたノヴォさんの低く落ち着いた声に僕は耳をかたむけた。


この国、皇主こうしゅを筆頭にラズリの教えによって統括とうかつされる信仰と医療の中立国家クラウディアのこと。

しかし過去に唯一の争いをガリヤとしてしまったこと。

最後に、ガリヤの人々が爆弾を使ってこの土地で自ら命を絶ったこと。


僕にもわかるように、一つ一つ丁寧に話してくれた。


「ガリヤは、特殊な民族だ。白い髪、白い肌。赤い瞳を持ち、ガリヤの教えをとうとび勉学にいそしむ誇り高き短命の一族……」


ノヴォさんは悲しそうに息を吐いた。


「何よりも、ガリヤ人は、他の民族と触れられぬ」


「え?」


「ガリヤ人に触れた者はたちまちその部位に火傷を起こし身体をむしばまれる。厄介やっかいなのは血液だ。ガリヤ人の血は出血すると流れず霧散むさんする。それに触れれば火傷では済まない。ガリヤは、触れられぬ一族なのだよ」


僕はあの日の空を思い出して目を見開いた。


「じゃあ、あの赤い霧は……」


「そう、ガリヤの血……。ガリヤのなげきそのものだ。『血霧ちぎり』と呼ばれる。あの日、ガリヤは自爆に特殊な薬物を使用した。皇国の学識でもまだ解明されていないが、それは命を奪うに留まらずガリヤの血に作用して意識や誇りまでをも奪い、憎しみだけを抱いて徘徊はいかいするだけの屍人を作り出した。そこの血霧は彼らの血だよ」


知らない話ばかりがたくさん頭に入ってきて僕は少しだけ混乱した。


「君は、ここで起きた災いの生き残りなのだよ。まるで奇跡だ。本当に、本当によく生きていた」


ハッキリとは聞こえなかったけれど、最後にノヴォさんは「すまなかった」と小さく言った気がした。


ずっと地下に逃げ込んで暮らしていた僕には驚くことばかりだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る