峠での尋問

 澄み切った朝の日差しに銀泥の葉がさらさらと輝く。仁がその下に立ち光を浴びて空を仰いでいた。


 神聖な密儀を垣間見たような罪悪感で、かけようとした声を飲み込む。


 帰り支度を整え、挨拶をしようと思ったが仁はおらず、保志は正人と共に外に出た。そして出会った光景だった。


 声をかけるまでも無く、仁はすぐにこちらの気配を察して笑顔を向けた。


 「どうも、お世話になりました。付き添いの自分の分まで面倒見てもろうて。」

 保志が頭を下げると、仁は小さく首を横に振った。


 「こちらこそ、昨日はつまらない話をお聞かせして。これに懲りず、また来て下さい。湯治目的でいらっしゃる方も多いので、お気軽に。」

 確かに温泉は気持ちよく、家庭料理のようだが飯も美味い。トイレが共同の簡素な部屋だったが、また来てみたいと思わせる宿だ。


 「もしかして、デートのお邪魔をしてしまいましたか?」

 正人は頬をポリポリと掻きながら言った。仁は照れくさそうに笑む。

 「……バレましたか。」

 そう言った後、銀泥を振り仰いだ。


 「毎日朝一番にここに来ます。ここに立つだけで、綾の気配を感じるんです。ここで綾に落ち合い、その気配を連れて一日の仕事をする。それが僕の毎日です。」

 正人と共に風にそよぐ葉を見上げた。夏の日差しを受けて銀泥の葉が輝く。この根元に眠る女との思い出をたどりながら、仁は生きている。


***


 ブラックのプラドで峠を下る。正人はシートベルトを握りビクビクしていた。


 「も、もう少しスピードを落とした方がいいのでは……。」

 だらしなく震える声を大声で笑い飛ばす。早朝の峠道に対向車はおらず、自然とカーブを攻めるスピードが上がる。


 「ええやろ、このスリルが。生きてるって感じするやんか。」

 「こんなスリルを感じなくても、ちゃんと生きてますから。」

 ヘアピンカーブにさしかかり、正人の身体が大きく揺れた。


 「お前、死のうと思ってないやろな。」


 コーナーから立ち上がり、直線で加速する。ひええ、と横から小さな悲鳴が聞こえた。


 「そんなこと、思ってません。もう二度と、自分から命を絶とうとする事はありません。」

 「そうか……。」


 カーブの手前でブレーキを踏んで減速し、左にハンドルを切る。安堵感を感じながら。正人がまた悲鳴を上げる。


 「……もしかして、心配してくれてたんですか?」

 軽く息を弾ませながら正人が問う。思わず失笑した。正人の問いになのか、先ほど正人に掛けた自分の問いかけになのかは、よく分からない。


 「美葉と別れてから、覇気が無かったからな。」

覆道にさしかかる。一瞬視界が薄闇になるが、瞬時にヘッドライトが灯り緩やかなカーブの先を照らす。


 「美葉さんと、約束しましたから。樹々を続けます。潰さないように。余力を残しながらやっていけば、一人の力でも何とかなると思うんです。」

 カーブが緩やかになったからなのか、正人の声に余裕が生まれ、小さな笑みが浮ぶ。


 「お隣さんで、良かったです。美葉さんの幸せを、特等席で見届けることが出来ます。」


 何でそんなことを笑って言える。保志の腹に怒りが浮んだ。正人は気付かないようで、安心しきったように言葉を続ける。


 「美葉さんの人生が幸せに進んでいくのを、隣で見ていることが出来る。それが、僕の幸せです。……でもその内に、隣に元彼がいるの、鬱陶しいと思わないかな。今、それが一番の心配事です。この前ご婚約の挨拶をしにいらっしゃった時にも、ばったり会ってしまって。ちょっと、気まずかったな。もしも、美葉さんが本当に嫌なら、樹々の場所を移そうかな……。うわ!」


 ヘアピンカーブが現われ、急減速に正人の身体が前に揺れた。わざと強めのブレーキを踏んだから、なおさらだ。保志は、隣で自分という存在に心をさらけ出している正人を哀れむ。だが、言葉を交わすたびに降り積もる鬱憤を抑えることが出来なかった。


 「お前何で、美葉と別れた。」


 ヘアピンカーブからの連続カーブを乱暴に抜けていく。正人はぎゅっと目を瞑り、シートベルトを掴みながら叫んだ。


 「美葉さんの命を守るためです!」

 「何!?」


 予想外の答えに車体が僅かにバランスを崩す。アクセルワークで軌道を修正し、そのまま続くカーブをリズムよく抜けて行く。


 やがて続くカーブが緩やかになり、峠を超えた事に気付いた。


 正人がほっと息をついた。


 「一緒にいたら、僕はいつか美葉さんを殺してしまう……。」


 ため息と共に小さな呟きが漏れる。驚きの余り横目を正人に向けると、白い頬に涙が伝っていた。

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