涼真と保志

 涼真にとって茶番でしかない茶事が終わり、つくばいの横で保志と対峙する。美葉は車で待たせていた。


 苔に覆われた蹲には竹の蛇口からちょろちょろと水が流れ、波紋を作っている。幼少の頃、この水を水鉄砲に入れた保志に不意打ちで攻撃された事がある。しかも、ただの水鉄砲では無い。当時は珍しかった、タンクのある巨大な水鉄砲だ。その威力は幼子にとっては脅威だった。


 「一体何なん?どこまで僕の邪魔をしたら気が済むん。」


 握り拳を握り、抗議の声を上げる。そんな声が届かない事は承知の上だ。やはり保志は意に介さずと言った様子で懐から煙草を取り出して火を付ける。こんな姿を見られたら、駒子に烈火のごとく怒られるはずなのに。


 「お前が二人の邪魔をするやろうから、俺がそれを阻止しただけの話や。」

 紫煙を吐き出しながら、面倒くさそうに言う。


 「邪魔?そりゃあ、するやろ。僕は彼女を手に入れたい。そのために出来ることをしているだけや。」

 「それで、休日に仕事と称して引っ張り回し、故郷に帰る事が出来へんようにしたんか?真面目な性格を利用して仕事漬けにして、休みを奪ったんか?お前は美葉の事がほんまに好きなんか?」

 「好きやで。ほんまに好きや。」

 「ほな、好きな女を何で苦しめる。」


 保志は煙草を挟んだ指を涼真に向けた。


 「美葉は当別が好きやねん。それやのに、何で帰れんようにする?身体壊す程仕事に打ち込ませてまで家に帰れんようにするのは、ほんまの愛情か?」


 保志の言葉に、涼真は口を真一文字に結んだ。


 美葉を苦しめていることは、分かっている。しかし、それは一時の事だ。自分の元に来さえすれば、欲しいものを全て与える。それが美葉にとって幸せであることは明白だ。あの、家具を作るしか能が無い男の側にいても美葉は苦労するばかりで幸せには成れない。


 こんな瞭然たる事実に蓋をして、美葉を操作するのはエゴだ。保志は何もかもを自分の操り人形にする。昔から変わらない独善的な態度に苛立ちが募る。


 そのお陰で、どれだけの人間が不幸を背負うことになったのか、まだ分かっていないのか。


 「好きや嫌いやなんて、一時の事や。結局幸せをもたらすのは財力や。それがあればどんなもんかて手に入る。……美葉ちゃんは、あの男と一緒におっても幸せにはなれへん。」


 「それは、お前が決めることと違う。美葉が選ぶことや。」

 「その選択肢になることを、何で邪魔するん。」

 「お前は選ばれへんかったんや。ええ加減気付け。」

 「保志さんが邪魔したからやないか!」


 思わず声が荒ぶる。海外出張中に茶室の建設を使って二人を引き合わせた事を思い出し歯噛みする。あの二人には丁度いい具合に距離が空き、付け入る隙が出来ていたのに。


 「……なんで、僕よりそいつを取ったん……。」


 思わず口をついて出た言葉に、狼狽えて唇を噛んだ。


 保志は、煙草を蹲の水で消してから、懐の携帯灰皿に入れた。


 「優先したのは、美葉の気持ちや。」


 保志は背中を向けた。その背中に、言葉を向ける。刃のような言葉を。傷つけると知っていたが、止めることは出来なかった。


 「それは、禊ぎ?」


 保志の足がピタリと止まる。


 「その家具職人さんを輝季の代わりに見立てて、面倒見たってるん?それで輝季に償っているつもり?」


 保志の背中を射貫くつもりだった言葉は、グサリと自分の胸も貫いていた。


 「そんなんと違う。」


 保志は振り返らず、言葉を返した。地を這うような、低い声で。


 「俺は、禊ぎなどせん。許されるつもりなど毛頭無い。一生涯恨まれ続ける。」


 じゃり、と地面を力強く蹴り、保志は歩を進めた。


 涼真は黙って、その背中を見つめる。濃紺のお召し着物を着た背中は、保志の背中そのものに見えた。黒になりきれない、深い深い青に染められている。この色に染まる前は、羨望の眼差しを向け、一心に追い続けていた背中。


 涼真はくるりと蹲の方へ身体を向けた。保志に背を向けた形になる。


 保志がいくら妨害しようと、必ず美葉を手に入れる。


 水面に映る自分の顔が波紋で歪められている。

 

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