第25話 「作文」の構成について
「本来、作文に点数をつけるというのは、かなり無理のあることなんじゃ」
ここは、神都市にある「まめじゅく」の教室。塾長の「まめじぃ」は、看護学校受験を目指す2人、海野七海32歳と、片山志桜里18歳と共に、作文の授業をしていた。
「原稿用紙の使い方が正しいか、誤字・脱字は無いか。そういった要素だけで採点するなら、試験の公平性は保たれる。しかし、作文の内容に点数をつけるというのは、相当、試験官の『主観』が入ってくる」
―――夏休みの宿題あるあるとして「読書感想文」なるものが存在する。最近は、自由参加、とする学校も増えてきているようであるが、ひと昔前は、もれなく全員強制的に宿題として課されることが多かった。
この「読書感想文」のやっかいなところは、ふだん感想文の書き方など、授業でほとんど習うこともなく、実践もなく、いきなり「書きなさい」と強制される点にある。
もちろん、学校によっては、あるいは先生によっては、日ごろから作文指導に熱心で、感想文の書き方についても、夏休み前にしっかりと授業時間を割いてトレーニングされているところもあるかも知れない。
しかし筆者が知る限り、そんなケースは稀であり、ほとんどの場合、何の指導もなく、夏休みの苦行として課されることが一般的であった。
また「課題図書」なるものが毎年発表され、感想文を書く本が見つからない場合、これを読んで書きなさい、と指導される。
この「課題図書」もまた、難物であった。誰がどんな事情で決めたのかあやふやで、とても「子ども目線」で選ばれた本ではない場合が多い。大人の都合、大人の偏見、大人の理想を、子どもに押し付けようとする魂胆が見え見えだった―――少なくとも小学5年生の頃の筆者はそう感じ、腹が立って仕方が無かった。
そして結局、優秀作品に選ばれるのは、障害を抱えながら生きている人だったり、あるいはそういう家族がいて、その家族との共生を述べたり、そうでなければ、肉親が死亡していたりと、悲惨な境遇で懸命に耐え抜くエピソードを持っている人が書いた作文だった。
文章がうまいとか、着眼点がよいとか、そういうことではなく「レア体験」をしている人が、本の内容とリンクさせて作文すると、だいたい、入選する。
そういう事実を、小学5年生ですでに気づいてしまった私の、小5の夏休みの感想文は、アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』だった。
左翼系の思想を持つ担任の教師は、感想文を提出した私を職員室へ呼び出し、ベトナム戦争の写真集を私に貸してくれた。
「いいか、戦争がいかにひどいものか、この写真集をちゃんと見て学びなさい」
そこには、顔面の上半分が吹っ飛んだ兵士の写真や、暴行を受け、内臓が腹から飛び出したまま死亡した現地住民の死体の写真など、どう考えても小学生に見せるような写真集ではなかったが、それを先生は所持していて、それを教え子の小学5年生に貸し与えた。
山積みになった遺体を前に笑顔でポーズを取る兵士の写真などを見て、ニンゲンとはここまで恐ろしい生きものなのか、と戦慄した。
その恐怖は、いまでもトラウマであるが、おかげで高校~大学生のとき、葬儀社のアルバイトでどんな悲惨なご遺体を見ても、何とか正気を保てる位の免疫はできていた。
ところで、ヒトラーの『我が闘争』を題材に選んだ、小学5年生の読書感想文の評価はもちろん、最低だった。軍国主義や全体主義、ファシズムを肯定することは間違っていると。
小5の私は、そんなことはひと言も書いていなかったのだが、ヒトラーの著作を題材に選んだ、という時点で、戦争賛美、右派、軍国主義者、ファシスト、そう決めつけられた。左派の思想を持つ先生からすると、内容を読むまでもなく、思想的に間違っているからアウト、という事らしかった。
題材にヒトラーを選んだのも、日ごろから左翼思想を全面に打ち出した教育方針を小学生に押し付ける先生への当てつけ、という面もあったのかもしれない。
筆者は反抗期が早かった。小5で始まった。授業中もくりかえし、日本国を徹底的に批判していた先生。そんな先生のいう「最低の国」から資格をもらい、少なくない収入を得ているあなたは、何様なんだと、内心思っていた。
しかしそんな私を、何とか教育(=思想改造)したいと思ったのだろう。他の生徒よりも破格の施しを受けた。いろんな本を貸してもらったり、休日にはご自宅へ呼んでもらい、一緒に遊んでくれたり、ご家族と食卓を囲ませて頂く事もあった。
6年生になっても、担任の変更はなく、その先生の左翼的思想教育を受け続けた。その反動か、大学は地元の右派のバリバリ保守系の大学へ進学して、とてもなじんだ。
ちなみに今では、右派とか、左派とか、そんなことはどうでもいいと思っている。どちらかに偏りすぎると、事実を見誤る。右派とか、左派とか、それは思想の色眼鏡でしかなく、現実を見る目が濁ると考えるようになった。
結局、その先生とは、長い付き合いをすることになった。すでに鬼籍に入られて久しいが、いまでは懐かしい想い出となった。
その先生が、小5のわたしに下した最低評価は、小6以降に生かされた。どうすれば先生が「よい作文だ」と思ってもらえるか。それは「先生の思想と合致した題材で、先生の価値観や思想にできるだけ添ったかたちの作文を書けばよい」という事だった。開き直って「大人にとっての『いい子』」を演じることにした。
そこから私は、一気に「作文の上手な生徒」という評価を手にするようになった。中学でも、高校でもそうである。校内コンクールでは常に最優秀に選ばれ、全国コンクールでも、何度か賞をもらえるようになった。
カンタンなことだった。「誰が読むか」を意識し、その人物をリサーチして、その人物の思想や価値観に合致するような内容の文章を書けば、よい評価が得られるのだ。
これは小説家でも同じことだ、と今では感じている。万人に受ける小説など、きっと、無い。ベストセラー作家は何がうまいかというと「より多くの人に刺さる」ための要素をたくさん持っている、という点においてプロフェッショナルなのだと思う。
それでもアンチは必ずいる。当然である。人の価値観など、千差万別であり、赤色が好きという人がいる一方で、赤色はキライだという人がいるのがこの世界。
だから試験としての作文も、同じこと。
「だから~!つまりどういうこと?ひとり語りが長いぞ筆者!」
七海に叱られた。そう、これは小説であって、筆者の独白日記ではなかった。またうっかりしていた。
授業に戻る。
「看護学校の受験の場合、誰がその作文を読むかっていうと、学校の教員だな。教員って、看護師の資格を持った教員だからな。当然、看護の現場経験もしっかり経たうえで、看護師を育てる仕事をされておる。また地元の医師会附属の学校の場合は、医師が読むことだってある。現役で開業医をされながら、教壇に立っている方も多いからな」
まめじぃは、ふたりを交互に見比べて言った。
「そんな、医療のプロに対して、医療の『にわか専門知識』をひけらかし、さかしらに医療の現状を語ったり、未来を語ったりしたら、どうなると思う?」
志桜里はすぐさま答えた。
「ド素人が何を言っているんだ、と反発されますよね」
まめじぃは頷いた。
「そうじゃな。どれだけ上手に書けていたとしても、こいつ何なの?って思われる可能性は、あるわな。まあ内容次第だけど」
まめじぃのメガネがキラリと光った。
「つまり、『出題者の意図』じゃな。ここさえ外さなければ、作文試験で落ちることはまず無い。とうぜん、正しい原稿用紙の使い方や誤字脱字には気を付けるべきだ。しかしそれ以上に『出題者の意図』をちゃんと読み取って、書く」
七海は言った。
「べつに、わたしたちはプロの文筆家を目指すわけではないし、名文を求められているわけではない、ということですね?文章のうまい下手を見るんじゃないってことですね」
まめじぃは心なしか笑顔になった気がする。
「そうじゃな。特に作文に関しては、小論文と違って、論理展開を求められていないからな」
しかし・・・
「そうは言っても、やはり試験である以上、点数で判断されるわけだから、構成も無視してよいわけではないんだ。そこでワシが提案するのは」
まめじぃは息を吸い込み、少し大きめの音量で発言した。
「作文もベースは『ケツリレイハンハンケツ(24話参照)』でいこう、ということ」
その理由を説明した。
「『ケツリレイハンハンケツ』は、とにかく、読んでいてわかりやすいんじゃ。読み手は、書き手の意図がとてもよくわかる。もちろん、文字数制限があるから、例えば400字で書く場合、段落を『ケツ(結論)・リ(理由)・レイ(例示)・ハン(反例の提示)・ハン(反例に対する反論)・ケツ(結び)』と6つも作るのは無理がある。その場合は、以下を削る」
そう言って、ホワイトボードに次のように書き出した。
1.反例の提示(ハン)
2.反例に対する反論(ハン)
「このふたつは、省略していい。すると作文の構成は、結論、理由、例示、結び、となる」
この「カタ」で書く訓練を積んでおけば、本番でも時間内に素早く書いて、見直すだけの余裕は生まれるという。そして読み手である試験官も、非常に読みやすく、理解してもらいやすい、というのだ。
「ケツリレーハンハンケツ」が、「ケツリレーケツ」になる。半ケツが無くなるのか、もう完全に「丸だしリレー」だな、と志桜里は考えたが、口に出すのはやめておいた。お年頃の女子だし。
「ということで、さっそく『カタ』に添った作文の演習をしてみよう。最も注意する点は『出題者の意図』だからな。原稿用紙の正しい使い方や、誤字脱字をゼロにしていくのは、これから練習しながら修正していけばいい。『カタ』だって、練習していくうちに、身についてくる。しかし『出題者の意図』だけは、最初から絶対に外すなよ」
そう言って、まめじぃはふたりに1枚のプリントを手渡した。七海は受け取ってすぐ、悲鳴を上げた。
「うひゃあい!こんなん無理無理無理無理!」
つづく
※この物語はハーフフィクションです。
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