第24話 作文と小論文、何がどう違う?
神都市には、市民にとっての「ソウルフード」が、3つある。
そのひとつが、ジャンキーなナポリタンスパゲティである。
「モリスパ」
このワードを聞いて、目をキラキラ輝かせたら、その人は必ず神都市民であるといっても過言ではない。
喫茶モリ
テナントの2階。外見は、何の変哲もない、よくある田舎町のレトロな喫茶店である。コーヒーやミックスジュース、サンドイッチなどのメニューもある。
しかし客の9割9分は、当然のように、鉄板ナポリタンスパゲティを注文する。
レトロな喫茶店によくある、鉄板に卵が敷いてあって、その上にナポリタンスパゲティが乗っている。何の変哲もない、あの料理だ。
ところが「中毒性」という意味で、普通のナポリタンスパゲティとは大きく違う。
食べ終わると、胸やけがするくらい油ギッシュで、実際に店舗で働いていた元スタッフ曰く、1人前のふつうサイズでも、信じられない位の大量の油を投入するらしい。その元スタッフはよく言っていた。
「あれはスパゲティの皮をかぶった油料理。油グビグビ飲むのと一緒」
そんな「くどい」位の一品を、あんなに胸やけがして、もういいわ、と思ったはずのスパゲティを、もう次の日には「また食べたい」とウズウズしてしまう、その中毒性から、親子3代で通い詰める、という話もよく聞く。
筆者も学生時代は、友人たちとよく通い詰めた。食べても食べても腹ペコだった青春時代。680円で満腹感を得られる、貴重なカロリー源だった。
ちなみに、元スタッフもそこの常連で、その味に惚れ込んでアルバイトをしていた。筆者の元妻でもある。
―――これが「作文」じゃ。
まめじぃは、言った。「作文」とは、その名の通り、文を作ること。だからある意味、書きたいように書けば、作文になる。
ところが、入試問題の「作文」となると、何でも自由に書いてよいわけでは無さそうだった。
「例えば、これは実際に出題された例じゃが、『土』という題名の詩を読んで、感じたことを述べよ、という問題」
まめじぃは、ホワイトボードに詩を書き出した。
こッつん こッつん ぶたれる土は よい畑になって よい麦生むよ
(※著作権の関係で冒頭のみ引用)
「これは、金子みすゞの『土』という詩じゃ。有名なのは三好達治の『土』な。こっちの詩は小学校で習うから。しかし、あえて金子みすゞで攻めてきた学校が実在する。それが『神都市医師会准看護学校』。そう、ふたりが受験する学校じゃ」
「わたしなら、麦畑の話を書くかな」
海野七海は、ニコニコしながらそう言った。
「なぜ?」
まめじぃのメガネがキラリと光った。
「だって、学校の帰り道、麦畑があったなあって」
「麦畑があったのか」
「うん」
「で?」
「え?麦畑があったのよ。それを思い出したの」
「それで?」
「それだけ」
「それで、試験官は何に点数をつければいい?」
「ええー・・・え?」
七海は口ごもってしまった。今日は「作文」と「小論文」の違いを学ぶ授業だと聞いていた。
「志桜里さんはどうじゃ?」
「はい。わたしなら、看護師の適性をアピールしますね。看護学校では、慣れない実習もテキパキこなしていかなければいけないし、看護師になってからも、日々医療技術の進歩は止まらないから、常に学び続けなければいけません。」
志桜里は背中をまっすぐに伸ばして、語り続けた。
「そんな中で、思い通りにいかなかったり、悔しい想いをすることはたくさんあると思いますが、『ぶたれる土』こそ『よい麦』ができる。つまり、しんどい想いをしただけ、悔しい想いをしただけ、それだけ看護師として成長できる、という」
そこで七海が立ち上がって右手を挙げながら大声をあげた。
「わたしも!わたしもそれにする!ほんとうは、わたしも、そう思ってたの!」
「うるさいわ!」
まめじぃに一喝されて、七海はほっぺをふくらませた。彼女は、9歳の子を育てる32歳の母親である。もういい大人なのだから、高校生の発言を途中で遮って、いったい何を言い出すのか!とまめじぃは腹が立った。
「志桜里さんすまんな。続けて」
志桜里には、七海の言動はかなりウケたらしい。声を出さずに全身を震わせながら、笑いをこらえていた。なかなかしゃべり出すのが難しい。
まめじぃは、七海に諭した。
「ええか。人が何か発言しているときは、最後まで聞きなさい。それは人として最低限の気配り、礼儀、マナーじゃ」
「え?だってテレビの討論番組見てよ!誰も人の話聞いてないよ」
「それは、そういう番組なの!自己顕示欲のもともと強い人たちが、どれだけ我が強いか競い合うショーだから、真似しちゃだめなの!発言しないとカメラが映してくれないでしょ?ショーだから!ショーなのよん!」
まめじぃは興奮するあまり、ジジイからオネエ口調に変わってしまっていた。
志桜里はまたもや全身をブルブル震わせ始めた。かなり強度の高い腹筋運動になっているようだった。
「七海さんのせいで、志桜里さんがしゃべれんようだから、補足すると、こうじゃ」
まめじぃのせいでもあるのだが。
まめじぃが解説したことを箇条書きすると、次のようになる。
1,「土」・「畑」・「麦」を何に例えるかが評価のカギである。
2,詩の感想は、「看護師の適性をアピールする機会」である。自身の経験を具体例として挙げ、だから私は看護師に向いている、というアピールをしよう。
3,合格後の学校生活についても抱負を入れてみよう。
七海はため息交じりに発言した。
「なるほどぉ~深いわぁ・・・『畑』でもって『麦』が育つって、これ、ウチら学生のことやんなあ!すごくない?」
「そ、そうじゃな」
そう言うと、まめじぃは、ホワイトボードに赤字で大きな字を書きなぐった。
―――出題者の意図
七海は首をかしげた。
「でだいものの、いず?」
志桜里はもう我慢できなかった。ブフッと息が漏れて、うずくまったと思ったら、のけぞりはじめ、ついにアハハと声を出した。
「しゅつだいしゃのいと!」
まめじぃは熱く語る。
「問題をキミたちに提示している人物の事を『出題者』という。この問題をつくった人は、出題者は、いったい、あなたの何を知ろうとしているのか。何を評価しようとしているのか。何に点数をつけようとしているのか」
「看護師の適性!」
志桜里が笑顔で答えた。目に涙が浮かんでいる。よほどツボったらしい。まあ、そういうお年頃でもあった。
「その通り!この人は、本当にわが校に迎え入れて大丈夫だろうか、ほんとうに看護師としてやっていける人なのだろうか」
まめじぃは2人を交互に見比べながら、熱く語った。
「だから、小学生時代の通学路に麦畑があったなあ、で?それで一体、自分の何をアピールしたいのか?」
「記憶力!」
七海が即座に答えた。もはや天然キャラというより、タチの悪いボケになりつつある。ツッコミようがないのだ。
「エピソードで、小学生の頃の記憶を入れるのはいい。しかし『麦畑があったなあ』が主張の中心になってしまうと、試験官は点数をつけようが無い。過去の記憶を述べるなら、あくまでも、自分の伝えたい事をより補強するためのエピソードでなければいかん!」
まめじぃは、みずから書いた「出題者の意図」という赤い文字を見つめながら言った。
「試験問題ってな、問題を出す側と、解く側の、コミュニケーションなんじゃ。ちゃんと『意図』を理解し、適切な返答ができる人なのか、試される」
志桜里はキッと表情を引き締め、姿勢を正した。七海はポカンとした顔をして、口を開けて聞いている。
「つまりな、看護学校の入試の作文というのは、看護師適性をアピールする手段だと考えてくれ。そのことを出題者は見越して、お題を与える」
志桜里の言っていたことが正しかった。本当は七海は、めちゃくちゃ悔しがっていた。18歳の子がわかることを、わたしはわかっていなかった。でも、悔しい顔はできない。辛い気持ちになっている自分を悟られたくない。
だから、意味なくボケたり、ぽかんとした態度でごまかしていた。
「作文と、小論文というのは、そういう意味では、同じ意図を持って出題されると言ってよい。看護師としての適性があるかどうかを見たい」
では、何が違うというのか。まめじぃは言う。
「小論文とは、作文の一種で、定められた『カタ』に従って論ずる文のこと」
小論文は作文?確かにそうだった。作文とは文を作ること。そういうことであれば、小論文だって、作文だ。ただ、違いは「カタ」にあるという。
「『小』という文字を外すと、『論文』だな。この『論文』と呼ばれる文章には、定められたカタ、つまり『定型』があるんじゃな」
まめじぃはそう言うと、ホワイトボードをイレイザーでキレイにし始めた。金子みすゞの詩『土』や、「出題者の意図」と書かれた赤い文字も、みるみる白に変わっていった。
そこにまめじぃは、新たな文字を書きつけた。
「首・胴・尾」
論文の基本構造は「序論・本論・結論」だという。この3段構成を、中国では古来より「首・胴・尾」と、動物の身体に例えて表現し、継承されてきた。
学校教育でよく習う「起承転結」は、本来は詩作のカタであって、それを文章に転用しているに過ぎない。
論理的な文章を極限まで突き詰めて研ぎ澄ませると「首・胴・尾」の3段構成になる。
なぜまめじぃは「序論」と書かず「首」と書いたのか。
「現代の論文は、小論文も同じじゃが『結論』をはじめに書くのが主流になってきておる」
それを「序論」と名付けてしまうと、「序」という文字が持つ意味と「結論」という熟語が持つ意味とが、矛盾を起こしてしまう。
そこで「首」と言った。ここでいう「首」は、英語のneckではなく、頭部も含んだ意味を持つ。そこには脳という最重要の器官も詰まっている。
冒頭に結論を持ってくる。
次にその結論に至った経緯、理由、根拠、具体例を述べる。これが「本論」=「胴」である。
最後に、締めくくりとして結論を再びまとめる。「結論」=「尾」だ。
「ええか。『首・銅・尾』が論文の最小単位と考えて欲しい」
まめじぃは、それを更に分解するという。分解することで、ぐっと書きやすくなる、と独自の見解を示した。
「書きなれていないうちから、いきなり3段構成を練習すると、特に文字数が多くなればそれだけ、先に書き進めるのが難しくなることがある。さてそこで、大きなステーキをひと口で食べられないとき、どうすればいい?」
「切り分ける」
七海が言った。
「そうじゃ、七海さん、切り分けるんじゃ」
まめじぃは、見慣れないカタカナを書き始めた。七海と志桜里は目を疑った。あまりにも下品ではないか。
―――ケツリレイハンハンケツ
お尻でリレーして、半ケツの更に半ケツ?もう丸見えやん!志桜里はまたもや震え始めた。両手で自分の腹部を抱えるようにして、うずくまった。
「結論→理由→具体例→反例→反論→結論」
「首・胴・尾」という3段構成を、更に切り分ける。
「首」は、「結論」。
「胴」を、「理由」→「具体例」→「反例」→「反論」に分ける。
「反例」とは、「具体例」がもしかしたら結論に都合のよいものだけを集めた可能性を指摘するために行う。自分に都合のよい事例だけをピックアップして結論を述べることはよく行われるが、それは決して論理的とは言えないからだ。
「反論」とは、「反例」に対して、そうではない、と言うためにおこなう。ここを七海はあまり理解できずに聞いていた。抽象的な話が苦手なのは、七海だけではない。志桜里もイメージがつかめなかった。
最後に「尾」として「結論」を持ってくる。
つまり「切り分ける」のは胴体の部分だけだった。
「具体例で示そう」
そう言って、まめじぃは「喫煙の健康被害」についての話をはじめた。
1,結論(ケツ):喫煙は健康に甚大な被害を及ぼす
2,理由(リ):肺に吸い込まれた有害物質を除去する手段がないから。
3,例(レイ):喫煙によって肺が壊死したり、がん化したりする症例、統計データを示す。
4,反例(ハン):90歳を過ぎてもヘビースモーカーで、元気に生活している人はいる。
5,反論(ハン):確かにそれは事実であるが、その人の肺が汚れていないかというと、そうではなく、肺気腫や肺がんのリスクは常に高まり続けている。肺炎で死亡するリスクも当然高まることは医学的にも統計学的にも証明されている。
6,結論(ケツ):よって、喫煙は健康に甚大な被害を及ぼす。
志桜里は、必死にメモを取る。稲妻のような速さで、まめじぃの話を記録していく。新聞部の3年間の活動で覚えた速記のスキルが生きる。
一方の七海は、ほえ~と小さな声を漏らしながら、やはり口を開けて話を聞いていた。
「というわけで、次回は『作文』の練習。その次は『小論文』の練習。どちらも書けるようになってもらう。厳しくいくぞ。なぜなら、試験に受かればそれで終わりではなく、これから先、看護師として生きていくには『文を書いて相手に伝える力』はどうしても欠かせないスキルになるからな」
ふたりはうなずいた。日本人として生まれた以上、日本語でモノを書いて、相手に伝える技術が、役に立たない訳がない。
こうして、30年間、まめじぃが磨きに磨き鍛えに鍛え抜いた”真剣”を、彼女たちは受け取ることになった。
(つづく)
※この物語はハーフフィクションです。
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