第23話 【数学が苦手!を乗り越える(3)】反復練習の方法

「それはわかってるんだってば!」


 今日の海野七海は、何だか機嫌が悪そうだ。


「わかっているんだけど、できないから、悩んでるんだってば!」


「それでも、やるしかないじゃろ」


「だからさあ・・・もう!」


 まめじぃは、どうして七海がこんなにイライラしているのか、よくわからない。わからないが、まめじぃの不用意な発言で、余計炎上させてしまった事だけはわかった。


 数学の問題を解いていて、間違えた問題があったら、「間違い分析ノート」に転記。間違えた原因を赤字でちゃんと記録する。このノートは、できればA4サイズ以上の大きなノートがいい。改善すべき点などをたくさん書き込みたいからだ。


 それはできるようになっていた。ノートは順調に埋まっていった。いったん習慣化してしまえば、何てことはない。このノートのおかげで、自分がどんなところが苦手で、どんなミスをしやすいか、客観的に見られるようになった。


 しかし、それだけで数学が得意になれるわけではない。大切なことは、そのノートをもとにして「反復練習」をすることだ。


 数学の問題は特にそうだが、1度解いただけでは見えてこないポイントが、2度、3度、4度、と繰り返すうちに、見えてくることがある。


 例えば図形の問題で、補助線を引いて求めなければいけない問題がある。補助線をどこに引くかで、その後の正解までのプロセスがパッと開けてくる。


 最初は、解き方がわからなくて、解答・解説を見て、補助線の引くべき箇所を確認する。


 これも大事な勉強である。


 ところが、繰り返し解いていくうちに、補助線は別にそこでなくても、別の引きかたもある、という事に気づくことがある。ここに引いても、答えは出るんだ、という発見。


 特に高校レベルの数学になると「別解」を検討することがとても重要になってくる。こういうアプローチもできるし、別のこんなアプローチもある、と確認することで、数学的な知識やモノの考え方は、より深まる。応用も利くようになってくる。


 もし准看護学校へ進むなら、高校レベルの数学は必要ない、と言われるが、まめじぃはそうは考えない。


 七海に贈りたいのは「数学的に思考する力」であって、目先のテストさえ受かればよい、という学力ではない。看護師になってからも、生涯通用する、「ほんものの学力」を手に入れて欲しいと強く願っている。


 だからまめじぃは、次のような指導をしていた。


1、24時間以内に2回目をやる。

2、48時間以内に3回目をやる。

3、2週間以内に4回目をやる。

4、1カ月以内に5回目をやる。


 数学がどこまでも苦手な七海に「5回の反復練習」を課した。同じ問題を、5回解け、というのだ。どんなに簡単な問題でも、どんなに難しい問題でも「同じ問題を5回」繰り返しなさい、という。


 通常は3回も解けば、解答はもちろん、その途中式まで暗記してしまい、スラスラ解けるようになることも多い(カンタンな問題は特に)し、何より飽きてくる。

 それでも「5回」という数字に、まめじぃは「それでも少ないくらい」と言った。


―――苦手を得意に変えるには、量をこなすことは必須


 そんな風に考えていた。


 ヒトは、負荷をかけ続けることで、成長する。


 筋トレがわかりやすい。軽いバーベル(軽い負荷)から始めて、反復練習をすると、段々と重いバーベル(重い負荷)に耐えられるようになってくる。トレーニングも何もしないで、いきなり180キログラムのバーベルを持ち上げられる人類はいない。


 しかし、七海には時間が無い。受験本番に間に合わせるには、軽いバーベルで慣らす時間は、ほとんど残されていなかった。


 同じ問題を、1カ月で5回解く。


 言葉にするのはカンタンである。しかし、解くべき問題は、1問ではない。問題集に収められた問題すべてを、5回解け、というのは根気だけの問題ではなく、いかに限られた時間の中で効率よく回していくか、という困難さを伴った。

 それに、やはり、飽きるのだ。この「飽きる」という心の働きとの戦いは、手ごわい。


 七海の心は、またもやポキンと折れてしまった。


 1回目を解いて、答え合わせをして、「間違い分析ノート」を作って、そこから次、ができない。新しく取り組まなければいけない単元がまだまだあるから、問題集を先に進めていかなければならない。だけれども、復習も同時進行で取り組まなければならない。


 時間がいくらあっても足りない。数学だけが受験科目じゃないのに。仕事も家事も子育てもあるのに。


 まめじぃの言っている事はわかるけれど、「やれ」というだけで「どうやってやりくりできるか」までは教えてくれない。


 その事にも、イライラしてきた。


 そしてつい、荒々しい声で反論してしまったのだ。


「だから、どうやったらそんなことできるのよ?時間は無限じゃないんだってば」


 「まめじゅく」の教室内で、2人のやり取りを聞いていた、同じ受験仲間の片山志桜里は口を挟んだ。


「1回目より2回目、2回目より3回目、3回目より4回目」


 まめじぃの表情が、ニヤリと笑った気がした。


「4回目より5回目」


 まめじぃが神妙にことばをつなげた。


 志桜里が、ニヤリと笑った。


「何?なに?」


 七海は理解できていない。


「どういうこと?」


 戸惑った表情をしている七海に、志桜里は毒を吐いた。


「七海さん、じつは、できないんじゃなくて、やってないんでしょ」


「え」


 七海はぎくり、とした。


 時間が無い、時間が無い、と時間のせいにして、3回目以降をやっていなかった。やる前から、心が折れていた。だって次の単元に進まないと、本番までに間に合わないもん、3回目なんて、やってる心の余裕が無い、というのが七海の言い訳、いや、言い分だった。

 正直、何度も同じことやるの、飽きるし、しんどい。


 まめじぃが胸を張って言った。


「ええか七海さん。繰り返せばそれだけ、1問を解くスピードは上がる。5回目なんて、1回目の半分以下の時間でやれるはずだぞ」


 思っているより時間はかからない、とまめじぃは言う。


 続けて志桜里が言った。


「七海さん、自分の解いたノートを見直すだけでも、1回に数えてみたらどうですか?でも最後の5回目だけは、入試本番のつもりで解くようにして」


 まめじぃは手を叩いた。


「それええな。七海さん、それでやってみな。ノートを見返して、解き方のプロセスやポイントを確認するだけでも『1回』に数えてみよう」


 志桜里は笑顔で言った。


「『思い出す』だけでも、立派な復習ですからね」


 現役生は言うことが違う、と七海は思った。長らく勉強から遠ざかっていた七海にとって、志桜里は年下だけれど、勉強に関しては、志桜里の方が格上の存在だった。


 まめじぃは、志桜里がいてくれて本当に良かったと胸をなでおろした。

 実際、七海にとっては、まめじぃから言われるよりも、戦友でありライバルであり、そして年下でもある、志桜里からズバリ「やってないんでしょ」と指摘されたことが、精神的に堪えた。


―――見直すだけでも『1回』に数えてみたら


 そう、負荷があまりにもキツイときは、ほんの少しだけ軽くすればいい。でもだからといって「4回」に減らすより、志桜里の提案の方が勉強の方法としては正しい。やはり「4回」より「5回」の方が練度は上がる。


 復習の目的は「思い出す」ことなのだから。


 「量質転化」という用語がある。弁証法と呼ばれる哲学の分野で語られることが多い。


 回数が、質を高める。


 その後、志桜里とまめじぃと3人で、繰り返しの方法について相談した。七海は次のようにして「5回」に取り組んだ。


(1回目)最初は解答・解説を読みながらでないと解けない問題が多いので、解答・解説を横において、目を通しながら解く。意味の分からないところは、参考書で調べたり、まめじぃや麗子、志桜里に聞いて、「納得する」まで確認作業をした。


(2回目)次の日、どこまで覚えているか、解答・解説を見ないで解いてみる。答え合わせをして、まだ理解できていないところ、忘れていたところ、間違えて覚えていたところ、計算ミスなどを「間違い分析ノート」に記録する。


(3回目)次の日「間違い分析ノート」を見直す。記録したことを想い出すために。ここで無理に解こうとして、気持ちがポキリと折れていた。だから、志桜里の提案を受けて、見直すだけにしたのだ。

 これで所要時間は半分以下に減る。


(4回目)翌週「間違い分析ノート」を横に置いておいて、しかし、できるだけ見ないで、解いてみる。忘れてしまっている所は、ノートで確認をしていく。


(5回目)次の日、入試本番のつもりで解く。それでも解けない問題は6回目のチャレンジとなるが、幸いにも、どの問題も5回目で無事ちゃんと解けるようになれた。


 このサイクルを「習慣化」するために、問題集の余白にも、ノートにも、必ず「日付」を記録するクセをつけた。


 「日付を記録する」という習慣は、とても強力な方法である。七海の問題集は、日付だらけになっていた。「日付を記録する」クセをつけたおかげで、漏れなく復習することができた。


 「3人寄れば文殊の知恵」ということわざがある。


 まめじぃは、まめじぃの長年の指導経験がある。しかしその経験が、常に七海にピッタリ合うやり方を導き出せるという保証はない。なぜなら、七海は世界にひとりしかいない存在であり、Aさんに合ったから、Bさんにもぴったりで、七海にもぴったり、というのは無理があるからだ。いくらまめじぃが経験豊富といっても、たかだか30年、数千人の教え子しかいない。それっぽっちの経験など、大した数ではない。


 靴のサイズ。まめじぃは27.5~28㎝の靴を履くが、本当にまめじぃの足のサイズにぴったりかというと、厳密にいえばそうではない。サイズがそれしか無いから、履いているだけで、本当は27.61375cmの靴が正しいサイズなのかもしれない。

 

 七海にピッタリ合う勉強法なんて、中々見出すことは難しい。本人がいちばん自分のことをわかっていないのだし。そして日によって、心身のコンディションも違うのだから、本当にピッタリな勉強法など、もしかしたら見出せないのかも知れない。


 しかし、そこに、もう一人、客観的に判断できる存在が加われば、ああでもない、こうでもない、と意見を出し合い、考えを熟成させることで、2人では導き出せなかった答えを導き出せることがある。

 100%ピッタリ、とはいかなくても、そこに限りなく近づくことは、できる。更にもう1人、2人いてもいい。


 ある著名な経営者は、こう言った。


 「会議は、ピザ1枚を分け合える人数で行うべきだ」


 「3人寄れば文殊の知恵」も、似たような教訓なのだと、まめじぃは思う。


 志桜里さんがいてくれて、本当に良かったと、まめじぃは心から感謝した。18歳の高校生、という立場で、変に遠慮せず、自分の考えたことを素直にパッと口にできる、というのは、強い。大人を動かす力がある。


 人を尊敬するのに、年齢は関係ない。まめじぃは、18歳の志桜里の姿勢、考え方、そして物怖じしない行動力に、頭が下がりっぱなしだった。


 そんな志桜里は、順調に受験勉強を進めていた。


 実は、看護学校の入試問題というのは、大学入試に比べれば、レベルはそれほど高くない。学校の教科書レベルより難しい問題は、まず出ない。だから学校の定期テストの勉強と同じか、むしろそれより簡単なくらいだった。


 志桜里へのノルマは、特に与えられなかった。回数も自由。だから志桜里は、スラスラと楽に解ける問題は反復練習はしなかった。その代わり、関数の「場合分け」など、自分が少しだけ苦手意識を感じている箇所を、徹底的に繰り返した。同じ問題を10回以上繰り返したところもあった。


 10回以上繰り返すと、違う景色が見えてくることがある。もう答えも解き方も暗記しているのだが、それでも、その問題を解いてみる。

 

 すると「省略できるポイント」が、よりはっきりと見えてくることがある。


 ここの途中計算は省いて、こうやって考えれば、もっと時短できるな、といった「解くアイデア」が沸いてくることも多々あるのだ。


 そして当然、計算も早くなるし、筆記のスピード自体も速くなってくる。


 それは七海も、この後経験することになる。


 反復練習をすることで、1問を解くスピードは、見違えるように向上する。


 どんな仕事も、その道の達人は、リズムとテンポが良い。


 キャベツの千切りの音、カンナで木を削る音、書類をまとめるときの紙ずれの音まで、「仕事のできる人」というのは、リズムも、テンポも、良いのだ。


 同じ問題を繰り返し・繰り返し何度も解くことは、確かに「飽き」との戦いである。


 そんなときは、2回目より3回目、3回目より4回目、どれだけ「リズムよく、テンポよく」解けるかを、自ら計測しながら取り組むことが効果的である。ここでも100均のキッチンタイマーは大活躍だ。


 リズムよく、テンポよくできるようになれば、どんな仕事だって、楽しいと思えるようになる。


 勉強も同じ。


 七海も、志桜里も、今はまだ受験生という立場であるが、いざ看護の現場に立っても、


 リズムよく・テンポよく


 テキパキと仕事をこなすことが、上達の秘訣であり、仕事を楽しむ道であると気づいてもらいたい。


 そのために大切なのは、反復練習なのだと、まめじぃは信じている。


 でもそこまでは伝えられなかったので、その日の夜、大好きな日本酒「北秋田・大吟醸」を冷やでチビチビ啜り乍ら、ちょっと後悔していた。


 七海は、基本、メンタルは弱いが、しかし行動力だけはある。何せ金属バットを持って不良グループの元へ単身飛び込む女の子だったのだ。数学の問題を5回繰り返すことなんて、造作もないはず。


 でも、これまでちゃんと勉強してこなかった分、取り戻さなければいけないところがあまりに多く、へし折れていたのだった。


 大丈夫。


 数学がそんな厄介な科目なんだったら、世の中もっと不便だったろう。そもそも文部科学省が義務教育で教える理由は何か。


 数学は、本当は、面白くて、ワクワクできて、生きていく上で必ず役に立つものだ。自分にとっても、世の中にとっても。


 その確信があるから、だから、強制的に指導する。


 ただ残念なことに、世の大半の数学教師は、数学が好きで、得意な人の集まりだ。


 だから、数学が苦手で、やりたくない、という人の気持ちがわからない事が多い。「わかるよ」と言っている教師ほど、信用できない。アンタ、得意じゃん。


 それでも、文部科学省が強制的に国民に数学教育を施すのは、


 正しい方法で努力すれば、必ずできるようになるし、楽しさもわかるようになる。そして何より、生きていく上で役に立つ。


 という確信があるからだ。


 数学無しでこの世界は成り立っていないから、最低限の教養として身につけておくことは、決して無駄にはならない。


 あとは、数学がキライな生徒でも、苦手な生徒でも、もれなくワクワクしてもらう、楽しいと思ってもらう、もっと学びたいと思える、そんな指導ができる数学教師がどこのクラスにも配属されないと、数学アレルギーの生徒はこれからも量産され続けることだろう。


 でも大丈夫。数学は、根気よく繰り返し練習すれば、できるようになる。大学レベル以上は、そんなことは無いが、高校入試レベルや、看護学校受験レベルの数学は、たいてい、反復練習で解決できる。

 

 どうやって反復を楽しめるか、だけなのだ。


・日付を必ず書く。問題集が日付だらけになれば、達成感も得られる。


・2回目より3回目、回数を重ねるごとに、スピードがアップしていることを実感できるように、計測する。リズムとテンポがよくなれば、楽しさは増す。


・良問と出会う。これがいちばん難しいかも。だから、数学の面白さを伝えられる人物が身近にいると、それだけで有利だ。


 そう考えると、やっぱりいまの教育って、システムをあれこれ弄るより、魅力的な指導者の育成こそが一番の急務じゃないかな、ワシも日々勉強を続けないとな、と改めて思い至る筆者であった。


(つづく)


※この物語は、ハーフフィクションと、筆者のつぶやきで構成されています(いつから!?)

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