第22話【数学が苦手!を乗り越える(2)】「図」の力
数学の起源は、図だった。
そんなことを言っている人は、まずいない。しかし、きっとそうだ、と筆者は勝手に考える。
なぜなら、数字という記号(というか共通言語)の発明より先に、人類は、図を描いていた形跡があるからだ。
これはあくまでも、筆者の個人的意見であるが、ナスカの地上絵は芸術である前に、緻密な数学である。しかしあの絵の作者は、決して微分も積分も、いや「ゼロ」という数字の概念さえ、知らないはずである。しかしその作品群は、「数学的思考」が無ければ、決して書くことはできないのだ。
よって、数学の起源は、図だった。
これはあくまでも、筆者の勝手な妄想に過ぎない。
しかしその妄想も、まんざら嘘ではない、と思えるくらいに「数字」と「図」というものは、親和性が高い。
そういえば、0も1も2も、記号だけれど、図やん。今そう思った。そんなことは置いておいて・・・
「まめじぃに質問があります」
海野七海は「まめじゅく」で、平均値を求める文章題を解いていた。同じく看護学校を受験する現役高校生の片山志桜里は、平均値を求めるといった問題は、お茶の子さいさいであり、特に授業を受ける必要性が無いため、本日は欠席。マンツーマン特訓だった。
「なんじゃ」
「平均の公式がパッと出てこないです。や、平均だけじゃないか。数学の公式が、パッと出てこないです。どうしたらいいですか」
「たくさん練習することじゃな」
「してますけど」
「まだ足りないってことだな」
「まめじぃ、私の事きらい?」
「好き嫌いの話じゃなくて、手を動かす時間と回数を増やしなさいと言っておる」
「そんなことは、アドバイスでも何でもないですよ。誰だってわかってますもん。そんなこと」
「うぬぬ」
「そうじゃなくて、こうすれば効率よく覚えられるよ、というアドバイスが欲しいのですが」
言い負かされて、まめじぃはちょっと悔しい。でも確かに、そういう指導ができてこそ、塾講師の存在意義がある。学校の授業よりわかりやすく、成果が出やすいからこそ、塾が必要とされるのだ。
とはいえ、何でも「効率的」であればよい、という考えは、まめじぃは持っていない。たとえ効率が悪くても、遠回りでも、必ずこのプロセスは必要だというケースは、多々ある。
例えば、関数のグラフを手で描いてみる、という作業。確かに、関数のグラフを、フリーハンドで描くのはカンタンではないし、時間もかかる。めんどくさい。ところがそのプロセスを抜かしてしまい、頭の中だけでイメージして解くと、正しい立式ができずに、正解にたどり着けない事がある。
だから作図をして、正しいイメージをつかんでから式を立てる、というのは、遠回りに見えるかもしれないが、必要な遠回りなのだ。
そういう事があるから、決して「単純でわかりやすい」事が、常に正義とは限らないのだ。複雑な事象をわかりやすくすることは、じつは複雑な事象の本質から大きく外れてしまう事につながりやすい。
また、池〇彰という方の解説はわかりやすい、というが、しかし本当に複雑な事象については、テーマとして取り上げないか、もしくは取り上げたとしても、核心をはぐらかし、煙に巻くような解説しかできていない。それは決して池〇氏のせいではない。番組のプロデューサーのせいでもない。
この世界がそんなにわかりやすいなら、こんなに多くの問題や争いは起きていないのだ。複雑な事象を、複雑なまま理解する努力が求められる。
とはいえ、七海の不満を何とか解決しなければ、まめじぃの先生としての威厳は保たれない。確かに「もっと練習しろ」だなんて誰でも言えるアドバイスだ。
「まあ、数学教育の専門家には邪道だと言われておるが・・・」
まめじぃは、少し言いにくそうに喋った。
「比例関係の式は全部『T字』で表現できる。これを図で覚えておくと、いいかもしれん」
そう言って、ホワイトボードにアルファベットの「T」に似た線を引いた。
「比例の関係とは、y=axで表すことができる。この関係を、T字に描いた線の中に文字を埋めていくと、Tの上の部分、平な線の上に、yと描く」
ホワイトボードのTの字の水平になっている部分の上に「y」と描いた。
「次にT字の左下、ここにaと描く」
そう言って、Tの字の左側の空間に、「a」と描いた。
「最期は、xな。T字の右下」
まめじぃは、Tの字の右側の空間に「x」と描いた。七海はせっせとノートに書き写している。
「それでな、例えばaの値を求めたいとする。その場合、aを指で隠すんじゃ。するとどうなるか」
七海は元気よく答えた。
「yとxが残りますね」
「そうじゃ。これ、どんな関係かというと、分数になっとるな」
「そうですね」
確かに、Tの水平な線は、分数の横線として見る事ができる。分子にはy、分母にはxがある。
「だから、aの値を求める式は、x分のy。つまりy÷xとわかる」
「お~なるほど。で、これが平均と何の関係があるんです?」
「yは合計、aが平均、xは人数や個数」
「あっ!そうか!平均を求めるときは・・・合計÷人数」
「そうじゃな。例えば平均値はわかっていて、人数もわかっていて、合計だけわからないときは」
「yを隠せばいいんだ」
「そう、そうすると『横は掛け算』と覚えとく。[平均×人数]で、合計がわかる」
「この図を覚えて、求めたい箇所を指で隠すと、自動的に式がわかる!そういうことですね!」
「そうなんじゃ。これは平均値だけでなく、食塩水の濃度や、道のり・速さ・時間の関係など、いろんな計算式で活用できる」
「やった!まめじぃ、こういうの!こういうのを求めてたの!」
「でもな、七海さん、どうして数学教育の専門家が、このやり方を毛嫌いするかわかるか?」
「わからないし、どうでもいい。わたしは、これがいい」
「う、うむ。そうじゃな。ただ忘れないでいて欲しいのは、これが『比例の関係』にあるから、T字型の図で考えることができる、という事な。そういった『原理・原則』を理解せず、ただやみくもに、機械的に図を描いて、適当に数字を入れて解く、というのは、もはや数学ではないからな」
「わかった・・・ってウソ!よくわかんない。でも、別に数学の先生を目指していないし、まずは苦手意識を克服することが第一なんだから、この図を活用することは、わたしにとっては今日イチの『お役立ち情報』なわけ。ありがとう!」
「そうじゃなあ。まずは解けない事には、いかんもんな。ワシもかなり封印しておったんじゃが―――思考力が育たないからダメだって偉い先生方が口を揃えて言うもんだから・・・しかし・・・」
まめじぃは、メガネの位置を整え直してから言った。
「七海さんみたいな数学まったくできん人が、私にもできる!って思ってもらうには、いい方法なんだよな」
「まったくできんて何よ~ひどい!一発蹴り入れさせて!」
ガタン!
「すまぬぅ~あっちょっとやめてイスに座って!ああっごめんて!老人虐待~」
スパアアン!
七海のフルスイングは、金属バットから、回し蹴りに変わっていた。座っていたイスから立ち上がったと思ったら、ホワイトボードの前に立っていたまめじぃの臀部を正確に狙いすまして打ち抜いた。その間、1秒も無かった。プロの仕業か。
「はるくんにもこんなことやっとるんかい」
「してないわよ!まめじぃが悪い!」
「ごめんなさい」
「そりゃあ、数学苦手だけど、努力してるんだから」
そう言いながら、席に戻る。
「生徒から体罰を受ける先生って珍しいのぉ」
「今度悪口言ったら、バットだからね」
「冗談でもやめてぇ!!!」
何故かまめじぃは、乙女口調になっていた。実は彼は、空手道歴45年の超ベテラン師範でもあった。若い頃は三重県の指定強化選手だった。それにも関わらずクリーンヒットを決められたというのは、それだけ七海は、生まれ持った身体能力とセンスに恵まれていたとしか思えない。
―――看護師しながら、格闘家目指さないか
本気で今でもそう思っている。
「まめじぃさあ、ところで、T字以外にも、何か図で描いて覚えられる公式ってあるの?」
「うむー例えば『三平方の定理』や『三角比の定義』なんかも、よく式で覚える事が多いけれども、やっぱり自分で手を動かして図を描いて、そこから導けるようになるといいな」
「なるほどね」
「数学って、数字を扱う学問だから『数学』って呼ぶんだけれど、紀元前の大昔から、人類は図を描いて数学を表現してきた。エジプトのピラミッドを作るのに、当時はコンピュータなんて無かった。もっといえば、数式すらなかった。なのに、正確無比な三角比の技術でもって、緻密な建築物を作っておる」
「それも『数学』なのね」
「うむ。今では『幾何学』という名前がついておるが、これだって立派な数学。だから数学を図で考えるというのは、とても大切なことだし、便利なんじゃな」
「わかった!今日はありがとう!」
「ケツ痛いちゅうの!」
その夜、帰宅してからの七海は、晴斗のために用意してあった夕食が、手つかずにそのままであることに気が付いた。食卓に晴斗はいない。部屋に籠っているのか。
晴斗の部屋の扉をそっと開ける。いない。
「晴斗~?ただいま~?」
トイレにもいない。お風呂にもいない。七海の部屋にもいない。
そういえば、玄関に靴が無いことにやっと気づいた。もう夜の9時を過ぎている。小学生が、9歳の男の子がひとりで外出していい時間帯ではない。
じぶんも軽い食事を済ませたら、今日の平均値の復習をしようと思っていたのに、それどころではなくなった。携帯やスマホの類はまだ持たせていない。
どうしよ!どうしよ!
ガチャッ
玄関の扉が開いた。
「あっ、ママ、おかえり!」
「こらあ~はるぅぅ!てめえどこほっつき歩いとるんじぁワレコラあ!」
七海はまめじぃのときと同じように、瞬時に駆け寄り、ひとり息子の晴斗との距離を詰めた。
出るのか、回し蹴り。やっぱり七海も、父親同様に・・・
「ママいたいって!もう苦しい~」
七海は思い切り、晴斗を抱きしめた。
「もう~めっちゃドキドキしたんやで!どこ行ってたん!」
涙目になりながら、晴斗をこれでもかと抱きしめた。
「ごめん~!ママ、知らないの?もういっぺん、外行こう。ほら」
晴斗に促されて、一緒に外に出た。晴斗は外で何をしていたのか。
「ママ、空」
「え?」
「ほら」
「あっ」
夜空に、うっすらとではあるが、光の線が描かれた。一瞬の出来事だった。
「ほらまた」
「ほんまや」
「今日は、流星群が見ごろだって、学校で習ったから、外で観てたの。あっママほら!願い事!」
「えっ!あっ!一瞬やで無理~」
「ほらママ!」
「ああ~見逃した!」
「ママが合格しますようにって、何度もお願いしておいたからね!」
「はるぅ~」
「ママもちゃんとお願いしておいてね」
「うん」
いったい、夕食も摂らずに、何時間お願いしていてくれていたのか。七海は、この優しい男の子が、大きくなっても、優しい人でいてくれますように、と心に願った。
―――でもはる、無断で黙ってこんな時間に外出するなんて、ママが心配するって想像できるやろ?もし何かあったら・・・
と言いたかったが、言わなかった。ただ、晴斗の頭を右手でゴシゴシとこすっていた。
つづく
※この物語は、ハーフフィクションのはずが、今回ほぼ実話です。
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