第21話 【数学が苦手!を乗り越える(1)】キーワードは「あともどり」
「ああもう~いやあ~」
「ママ、どうしたの?」
「あっ、ごめん。数学の問題が難しすぎて、思わず心の声が漏れてしもた」
夕食後の食卓で、海野家親子の勉強会が続いていた。2DKのアパートでふたり暮らし。
ひとり息子の9歳になる晴斗は、勉強が大好きで、どれだけ勉強していても苦にならない。今日も、夕食後は母親の七海と一緒に、食卓のテーブルを仲良く半分こして、勉強をしている。晴斗の部屋はあるにはあるのだが、こうして、夕食後ふたりで一緒に、それぞれの勉強をすることが日課になっていた。
母親の七海も、息子に負けていられない。受験勉強に「ここまでやったら大丈夫」という明確な線引きは、ない。だからこそ、まめじぃや、伊賀栗麗子といった、受験に慣れている人のアドバイスを受けながら日々、努力を続けている。
何を、どこまで、どのくらいの時間をかけてやればよいのか、相談しながら、1時間あたりの勉強内容をどこまで濃くできるか「密度」を意識してやっている。
今日は、中学生レベルの方程式の計算問題に取り組んでいた。
2x+3=4x+5
といった、移項して整理するだけの問題は、それなりにできるようにはなってきているが、問題に「分数」が入ると、とたんに計算スピードが落ち、正解率もダダ下がりしていた。
分数を含む一次方程式は、両辺に同じ数を掛け算して、分母を払う。
たったそれだけで、計算はぐんと楽になり、正解までのプロセスが単純化できる。
しかし、七海の場合、その方法は知っていても、いざ計算しようとすると、モタモタしてしまい、ミスも頻発してしまう。
「ママ、まめじぃが言ってたんだけど、計算って、リズムよく、テンポよくできないと、正解率も落ちちゃうんだってさ」
晴斗は涼しい顔をしながら、宿題の漢字ドリルをさっさと終わらせてしまい、図書館で借りてきた、黄色い本を読みだした。
ポール・ナース著 『生命とは何か』 ダイヤモンド社
「はるぅ~、あんたまた、難しそうな本、読んどるぅ」
「ノーベル賞を受賞した学者さんが、初めて一般の人向けに書いた本なんだけど、ぼくたちの『いのち』が、どこからきたのか、それを解き明かす、とってもエキサイティングな本なんだ!すべての生物の命が、動物も、植物だって、もともと共通の祖先から枝分かれしていたなんて。たった1つのバクテリアから、キャベツも人間もうまれたんだから、今日のキャベツ炒めも、ある意味『共食い』してたんだよ」
「9歳の子が読む本じゃないわぁ~・・・ホント尊敬しちゃう。ところで、どうやったら、すらすらテンポよく計算できるん?はる、計算すごい速いやん」
(※筆者注:一部の三重県民は、語尾にやたら「やん」を付けがちである。例えば、「これはできないでしょう」と伝えたいとき、
「これできやんやん」
と、「やん」を2回重ねてしまう。だから、いい歳したおじさんも頻繁に「やんやん」と言っている)
「これは、ぼくの予想だけど、ママって、いつも分数でつまづいてる印象があるよ。特に、最小公倍数を求めるのに難儀している印象がある」
「9歳の口から、『最小公倍数』とか『難儀』なんて言葉を聞くとは!それがウチの息子やとは!すごいやん!自慢しかできやんやん!」
「だから、いったん、中学校の勉強をストップして、小学校の算数ドリルで『最小公倍数』をしっかり練習した方が、結局それが近道になると思うな」
「ええ~そんなんイヤやあ。せっかく中学の方程式まで進めたのに、また小学校の算数をやりなおしなんて、本番まで時間あらへんのに、無理やん」
「いやいや、『急がば回れ』というのは、科学的に十分立証された有効な格言だよ。まめじぃにも聞いてみてよ。きっと同じ事を言うよ」
「え~」
そんなやりとりがあった夜。晴斗が寝てから、まめじぃにLINEを送った。晴斗からこんなことを言われた、と。つまり、小学生の算数ドリル、最小公倍数の練習問題からやり直した方が良いというアドバイスについてだった。
「そんなもん、あたりまえじゃ。はるくんが正しい」
それが、まめじぃの返事だった。
そういうなら、そうなんだろうけれど・・・
めんどくさい
やりたくない
気が乗らない
だってわざわざ、小学生の算数からやり直していたら、受験日までにどうやって間に合わせるというのだろう。
しかし、まめじぃは言う。
「あともどり」
苦手なところ、わからないところがあれば、必ず「あともどり」をしなさいと。
わからない原因、苦手な理由は、きっと過去にある。算数・数学という科目は「積み上げ型」の科目で、どこか抜け落ちている単元があれば、必ずそれが原因となって、どこかの新しい単元で躓いてしまう。
しかし逆にいえば、だからこそ効率よく上達できる科目でもあるといえる。なぜなら、必要に応じていつでも「あともどり」して、やり直せる科目であるからだ。
七海のいま抱えている「分数を含んだ方程式になると、途端にできなくなる」原因は、晴斗の見立て通り「最小公倍数の練習不足」にある。
だから、たとえ「めんどう」でも「やりたくない」と思っても、「気が乗らない」としても、やるしか、ない。
逆にいえば、やりさえすれば、ひょいと壁を乗り越えて、次へ進める。算数・数学とは、そんな科目なのだ。
問題集や参考書は、逃げない。いつでも本棚にいて、必要なとき、ページを開けば、いつでも、どんなときでも、必要な知識を与えてくれる。
人間の先生なら、同じ質問を何度も繰り返してしまうと、怒ってくる場合もある。何度いえばわかるの!なんて先生、けっこう、いる。
でも、本は、違う。何度おなじページを開いても、擦り切れてボロボロになっても、根気よく、同じ知識を提示してくれる。
「あともどり」をしなければ、次に進めない。もし無理に進んだとしたら、そこが「穴」となって、益々苦手科目になってしまう。
だから「ここが苦手だ」・「ここがわかってない」と気づいたら、すぐに「あともどり」を始めることが、数学を効率よく学ぶ方法でもあるのだ。
「ママに、これ、貸してあげるよ」
翌朝、学校へ行く直前、晴斗は一冊の本を七海に手渡した。
『自由自在 算数 小学高学年』 受験研究社
おそらく、日本における算数の参考書に関して、最高峰だ。問題のチョイス、解説の詳しさ、おそらくこれ以上の書籍は存在し得ないとさえ思えてくる。
「これで、練習すればいいと思うよ」
9歳が、どうして小学校高学年向けの参考書を持っているのか、狭いアパートでふたり暮らしの七海にも、謎だった。
晴斗の部屋にある段ボール箱には、七海もよく知らない、晴斗が大切している書籍類が詰まっている。本棚を買ってあげるお金が無いから、スーパーでもらってきた段ボールが、晴斗のおもちゃ(=本)箱だった。
さっきのポール・ナースの本といい、いったいどこで買ってきたのか・・・ま、まさか・・・そんなウチの子に限って万引きは(ヾノ・∀・`)ナイナイ・・・七海は勘ぐり出すと止まらない・・・
お小遣いもあげていないのに、どうしてそんなに本が買えるのかな・・・まさかとは思うけれど、まめじぃ、内緒で買ってくれていたりとか・・・いや麗子せんせいかな・・・いやでも・・・
「あ、うん、ありがと」
七海は、それ以外なにも言えなかった。
ともかく、七海は、息子から借りた『自由自在』で、最小公倍数を求める練習を繰り返した。
2と3の最小公倍数は、6だとすぐにわかる。しかし、4と6の最小公倍数は、24と思ってしまう。4×6=24がまず出てきて、それより小さいのか~どうなのかな~と思案しているうちに、時間がかかってしまっていた。
しかし、練習を繰り返すうちに、例えば4と6の最小公倍数ならば、まずは6の倍数を考え、それを4で割り切れるかどうか検討することで、最短距離での正解にたどり着けることがわかった。
これは「誰かから教えてもらった知識」ではなく、「自分で手を動かして発見できた知識」である。これはもう、忘れることは無い。
そして「理解」ができたら、あとは手を動かして「習熟」していくのみである。考えるより先に、手が勝手に動くようになるまで、毎日少しずつでよいので、反復練習を継続していく。
結果、受験日当日、七海は工事中かと思うほどの大音量でドガガガと、勢いよく計算ができるまでに成長する。
しかしそれはまだ、先の話で、いまはとにかく「あともどり」である。
小学生の範囲だから、恥ずかしい?
カンタンすぎてやる気が起きない?
できない言い訳は、誰でもできる。やらない理由は、いくらでも見つかる。それでも、そこをエイヤとやってしまう事こそ、その人の成長につながる。
わからないところがあれば、あともどりして、やりなおせばいい。
これはある意味、算数や数学では「あたりまえ」のことである。ところが、この「あたりまえ」が、難しい。
ひとつは、上述した「メンタル的」な理由から。
そしてもうひとつは、何を、どこまで「あともどり」すればよいかの見極め。
これはやはり、自分ひとりで勉強していると、見誤ることがある。
過剰な「あともどり」のし過ぎで、本番までに必要な勉強が間に合わない等のミスを防止するためにも、先生や勉強の得意な友人・先輩など、頼れる人に「何をどこまであともどりすればよいか」を一緒に考えもらう事をオススメする。
「ちょっと?」
―――七海が口を開く。
「筆者?また、ひとり語りしてない?」
―――あっ、すみません。
こうして、海野七海は、『自由自在』という助っ人のおかげで、分数を含んだ方程式でも、スラスラとテンポよく解けるようになることができた。
「わからなくなったら、あともどり」
この習慣の大切さを、身をもって経験したのだった。
「う~ん!無理!」
―――次はどうした。
「方程式の文章題がわけわかめ!」
―――わかめ?
「文章を読んでも、数式にできない!」
―――ここは「まめじぃ」に登場してもらうしかない。数学を苦手と感じている人が、方程式の文章題を、どうすればスラスラと数式に置き換えることができるのか。
(つづく)
※この作品はハーフフィクションです。
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