第20話 育った環境を言い訳にしない

「では、本日のゲスト、教育評論家『オジママ』こと、尾地直樹先生に登場して頂きます。先生、どうぞ!」


「どうもぉ~」


「先生、今日も視聴者の皆様からたくさんのお便りが届いています。スタッフが厳選した質問から、今回も私がひとつ選んで、先生に応えてもらいます。いいですね?」


「いいわよぉ~ん」


「それでは、神奈川県にお住まいのペンネーム『水星の魔女』さんからのお便りです。読みますね。


―――オジママ、聞いて下さい。中学1年生になる私の息子が、担任の先生から『お里が知れるわね』と言われたそうなんです。

 息子はとても勉強が苦手で、よい点数を取ったことはありませんが、それが担任の先生に言わせると、生まれ育った家庭環境が悪い、という事らしいのです。

 確かに、ウチは貧乏ですし、塾へ行かせるお金もありません。それに小学生の頃から、習い事らしい習い事もさせてあげられず、他の子たちに比べて、得意なこともないし、いろんなことに自信が持てないのは、親の私たちのせいだと、貧乏な家に生まれたせいだと、担任の先生は暗にそう言いたくて『お里が知れる』なんて言葉を使ったんだと思います。

 母親の私が責められるのは、いくらでも耐えられると思っていましたが『お里が知れる』という言葉を息子に発した担任の先生の無神経が、私は許せません。

 私だって、好きで貧乏でいるわけではなく、主人と共働きで、朝から晩まで必死で働いています。それでも、主人の大学時代の奨学金の返済や、住宅ローン、車のローン、様々な支払いが積み重なって、そこに会社の業績不振。転職すればいいとカンタンに言われるかも知れませんが、転職して給料が上がる人なんて、ほんの一握りです。

 先生、私は母親として、息子にどう言ってあげればよいでしょう。


ということだそうです。さあ、オジママの答えはいかに?」


「そうねぇ~、やっぱり、勉強のできる子っていうのはねぇ、環境なのよね。貧乏かどうかじゃないわよぉ。親が子に、何を与えられたかなのよ」


「ほう、経済的な支援ということですか」


「ちがうわよ。あなた、人の話聞いてる?ちがうの。お金のあるなしじゃないの。ある研究によると、確かに、親の年収と子どもの学力は比例しているわ。でもね、親の年収が高いと、全員成績がいいの?ちがうわよ?」


「はあ」


「どれだけお金持ちの家に生まれてもね、親が文化的、教育的に、子どもに何も与えてなければ、ちゃんと育つわけがないのよ」


「どういうことですか?」


「たとえばね、幼い頃から親子の会話が少ないとね、子どもの『コミュニケーション力』はもちろん『言語能力』や『思考力』は大きく低下していくの。赤ちゃんが少しずつ言葉を覚えていく過程で、親子の対話がどれだけなされたかは、その子の学力向上と大きく関係しているの」


「親子の対話ですか」


「そうよ。まだ言語を言語として認識していない年齢から、積極的にわが子に語りかけるの。根気よく、根気よく。言葉を少しずつ理解し始めて、少しずつ話せるようになったら、ほんと、3歳までが大事なのよ~。どんどん対話して、言葉に興味を持たせるのよ」


「言葉に興味を持たせると、学力が向上するんですか」


「あたりまえよ~勉強って何で学ぶの?数式だって『ことば』のひとつよ?物心つく前から『ことば』のシャワーを浴び続けた子と、そうじゃない子と、その差は大きく開くに決まっているわね」


「なるほどぉ。それはお金かからないですね」


「そう。確かにね、受験戦争において、親の経済力というのは大きな格差を生み出しているわ。首都圏だと私立の受験に月10万円のお月謝なんて別に高くもなんとも無いけれど、地方でそんなお月謝を払い続けられるのは、医者か弁護士か・・・とにかく、経済的強者は、子どもの教育においても、強者であることは間違いない。間違いないけれど、いくらお金をかけて育てても、3歳までの親子の対話が乏しい子は、やっぱり差を付けられてしまうのよ」


「そうなんですね」


「あたしの家も貧乏でね。塾なんて行かせてもらえなかったわよ。でもね、家に百科事典があったの。昭和40年代から50年代前半は、各家庭に百科事典があるのは珍しいことではなかったわ。当時の日本人は学歴に関係なく、家に百科事典を置くことが当たり前のような風潮があったわ。居間、今でいうリビングね。そこに百科事典があることが、文化的な家庭という証だったような、そんな空気が確かにあったのね。ウチも貧乏だったけれど、百科事典はあったわ。遊ぶおもちゃも買ってもらえないから、あたしは、百科事典を読み漁るくらいしか娯楽が無かったの、うふん」


「ふむふむ」


「そのおかげで、あたしは、親との対話の代わりに、百科事典と対話することで、ことばを学んだわね」


「先生、つまり、やっぱり家庭環境っていうのは、子どもの学力に大きな影響を及ぼすんですね」


「そうねえ。でもね、貧乏を理由にしちゃだめよ。百科事典が無くても、それを理由にしちゃだめよぉん。育った環境を言い訳にしていたら、成長できないわよ。自分なんて努力しても報われるわけがないと、何でも環境のせいにして、逃げてる人のいかに多いことか」


「それで先生、『水星の魔女』さんには、どんなアドバイスを送りますか?息子さんにどう言えばいいでしょう」


「逃げたら1つ、進めば2つ手に入る」


「え?」


「だから、逃げたら1つ、進めば2つ手に入る」


「え?」


「だからね、言い訳して逃げたら、ひとつ手に入るのよ。一時的に楽になれるわ。言い訳せずに進めば、ふたつ手に入るの。経験値も、プライドも。経験だって!」


「いや先生、それアニメの主人公のセリフそのまんまですやん」


「スレッタ・マーキュリーは言っていたのよぉ~」


「いや、あれスレッタのお母さんが言ってたんでしょー」


 産婦人科のベッドに横たわりながら、七海はテレビを観ていた。尾木ママは知っているけれど、だれ?オジママって。オジさんなのにママなのか。尾木ママとかぶってるなあ・・・進めばふたつ・・・か・・・


 今度は、出産した。この子の父親は、正直、誰だか、よくわからない。でも今度は、出産した。二度もあたらしい生命を奪いたくない。この子は、あの子の、私が殺してしまったあの子の、生まれ変わりに違いない。そう信じていた。


 生きていくために、いろんな男に頼った。少し甘えれば、しっぽを振って男は言うことを聞いてくれる。少し弱いところを見せれば、仕方がないなと、経済的に支援をしてくれる。


 男は便利な生き物だ。


 当時の七海にとっては、男とは、依存の対象であると共に、じぶんが生きていくための「道具」でもあった。


 そんな七海だったが、産まれた子どもと対面した瞬間、また別の感情が生まれた。


―――今度こそ、わたしが、この子を幸せにしてみせる。


 七海の母親の花子は、どうしても七海を愛せず、無関心を貫いた、と七海は感じている。当の花子は花子で、苦しんだのだ。母性の無い自分を、責めて責めて、責め抜いた挙句、無関心を装うことで、ある意味では、逃げた。

 しかしある意味では、七海が大人になるまで養ったのだから、母親として不適合であったかも知れないが、すべてを否定されるまでのことではなかった。花子の生い立ちを鑑みれば、同情の余地もあった。


 それでも七海の立場からすれば、愛情の乏しい母子家庭に育ったという負い目は、コンプレックスとなり、一生消えることのない傷として、花子に対する嫌悪感もセットで、日々を生きている、という事になる。

 その分、七海は、産まれてきた子には、最大級の愛情を注ぐんだと決めた。


 そのためにも、お金がいる。


 生活していくには、お金がかかる。


 いろんな男を引っかけて、利用した。


 私は育ちが悪いんだから、男を利用して、何がいけない?


 そんな風に思っていた節もあったという。


 葬儀社でアルバイトを始めた理由も、そこの社長に言い寄られたからだ。


 これは良い金ヅルができたとばかりに、すり寄ったのだ。肉体関係をエサに釣り上げ、焦らして焦らして、高い時給で自由なシフトで働かせてもらっていた。


 そんな七海は、まめじぃにこう言い放ったのだ。


「せんせい、あのね、オンナがオトコの財布をあてにせず生きていくには、看護師は最強のお仕事なんです!」


 育った環境を言い訳にして、逃げるのは、楽だ。


 しかし、そこに逃げてしまうと、未来は拓けない。


 七海は、言い訳をやめた。逃げるのを、やめた。


 ひとつは、自分の年齢のことがあった。


 容姿に優れた女性が、男たちからチヤホヤされるのは、人生のほんの一時期だ。


 考えてもみてほしい。西暦2000年生まれの日本人の平均寿命は100歳に到達する見込みである、という研究がある。


 そのうち、半分以上の期間、彼女は「おばさん~おばあさん」の時期を過ごす。


 いやこれは男性もそうだ。男として生まれたら、もう人生のほとんどを「おじさん~おじいさん」として過ごす。女性は「おばさん~おばあさん」の期間が最も長い。当たり前のことなのである。


 しかし若い七海は、そのことに気づいていなかった。


 いつまでも若いままでいられないということは、知識として知っていたが、実感としては若さがいつまでも続くと思っていた。


 しかし32歳にもなると、もう、20代の子たちに、勝てない。葬儀社の社長も、興味はがぜん、新入社員の22歳の女の子をどうやって口説き落とすかに移行してしまい、七海なんぞは「おばちゃんグループ」の一員となっていた。


 そうなると、自分は何を武器にして、何を頼りに生きていけばよいのか、わからなくなっていた。


 そんなとき、出産時にお世話になった、看護師さんたちのことを想い出した。


 ほんとうにすごい人たちだと思った。


 出産を控え、不安しかない「母親予備軍」の女性たちに、とことん親身になり、はじめての出産でも安心してその日を迎えられるように、心身ともにケアをしてくれた。つわりがひどいときも、陣痛で苦しいときも、看護師さんたちの24時間体制の手厚い看護があったからこそ、七海は、出産できた。


 看護師


 七海はスマホを取り出し、看護師の仕事について調べてみた。


「え?月収46万円?マジで?」


 夜勤も含め、諸手当等合わせると、月に40万円以上稼ぐことは、珍しいことではないという。


 その記憶があったことから、ひとり息子の晴斗が、勉強が大好きで、将来科学者になりたいと目をキラキラさせて語ったときに、すぐに、


 看護師


 というワードを閃いた。


 そしてもうひとつ。あの産婦人科の病室で観ていたテレビ、「オジママ」が言っていた、親と子の対話が多ければ多いほど、子どもは頭が良い子になる、という言葉を信じて、彼女は息子の晴斗がまだ言葉がしゃべれない時期から、積極的に話かけた。どんなに忙しくても、晴斗との対話の時間を何よりも大切にした。それは今でも変わらない。


 図書館で絵本を借りまくった。読み聞かせをイヤというほど繰り返し、七海はちょっとした絵本博士だ。今では手元に絵本が無くても、例えば『ぼくをさがしに』とタイトルを言えば、そのお話の一節をスラスラと暗唱できるくらいになっていた。


 晴斗も、同じ本を何度も何度も聞かされて育ったから、本が大好きになっていた。


 決して裕福な家庭ではなかったが、常に絵本と、親子の対話があった。


 七海は、立派に「母親」になっていった。


 七海ひとりで、母親になれるわけではない。晴斗という、わが子がいてこそ、母親になれる。


 ―――育った環境を言い訳にして、逃げてきた自分を、もうやめる。


 晴斗が成長すると同時に、七海も成長し、「母親」になっていく。


 そしてその母性こそが、彼女の武器となっていく。


 晴斗のためなら、がんばれる。


 晴斗のためなら


 この子のためなら


 そういう自分を、愛せるようになっていく。


「まあねぇ、あたしだって育ちがいい方じゃないのよぅ?でもねぇ?過去をいくら嘆いても、変えられないでしょう?でも未来はいくらでも変えられるわよねぇ?」


尾木ママといい、オジママといい、新宿二丁目のママたちも、どうして、こうベタなオネエ言葉で話すのだろう。女性でもこんな調子で話す人は、そういない。男性が「女性的な話し方」をしようとすると、たいてい同じような話し方になる。かなりバイアスがかかってしまっている。


 出産は、痛かった。世の中にこんなに痛いものがあるのかと、七海は思った。親知らずを麻酔無しで抜かれた方が、100倍マシだと思った。


 それでも、晴斗が産まれてきてくれた、その喜びは、何ものにも代え難いものがあった。誰に祝福される出産でもなかったが、世界でいちばん幸せとさえ思った。


 確かに、私は、育ちが悪い。ひどい事をいっぱいしてきた。


 だから、これからも、ひどい生き方をしていくしかないのか?


 そうじゃない。


 オジママはあのとき、言っていた。


 「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」


 それを信じたい。


 じぶんのやってきたこと


 コンプレックス


 負い目


 心の傷


 これらを、無かったことにはできない。


 これらを、抱えながら、私は生きていくしかない。


 でも、それを理由に、言い訳に、くだらない日々を送ってきてしまった。


 取り戻したい。


 目をキラキラさせて学ぶことをやめない、晴斗を見習って、


 わたしも、もっとたくさんのことを学びたい。


 そう、モチベーションがどうのこうのと言っていたが、


 七海には、ほんとうは、ゆるぎないものがあったのだ。


 過去の自分と決別し


 晴斗とふたりで、新しい未来をつくっていく。


 確かに計算練習はしんどいし、ミスするとイラっとくるけれど、


 確かに関数のグラフの問題になると睡魔が邪魔をしてくるけれど、


 もう逃げない


 もう負けない

 

 っていうか、たとえ負けても、勝つまでやれば、最後は勝利なんだから、やってやる。


 育った環境を言い訳にしない。


 わたしはやるぞ。


 そんな心の声を、誰かに届けたくて、どうしても今、伝えたくて、午前4時、グループラインに書き込んだ。早起きして受験勉強をする習慣は、着実に身についてきた。さっきまで見ていた夢は、過去のじぶんの振り返りだった。


「みんな!わたし!受験がんばる!」


 まめじぃも、志桜里も、麗子も、経緯がわからないから、困惑しながら返事を返した。


「うむ」


「わたしも」


「はい!」


 みんな起きていた。


 それぞれの夢に向かって走り続けるために。


つづく


※この物語はハーフフィクションです





 

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