第12話 行動思考(ハゲはハゲなんだから)
「どうして私って、こんなにバカなの」
海野七海は、受験勉強を始めて1カ月で、すでに両手で数えきれないくらい、何度も何度も、心がへし折れていた。
昨日確かにおぼえたはずの二次方程式の解の公式が、今日になってまったく出てこない。昨日あんなに必死になって練習したのに、どうしてなのか。
―――どうして。どうして。どうして私は・・・本当のバカだ。
この日も、やはり七海は「できないじぶん」を責めていた。
勉強をしていると、新しい発見をしたり、遠い過去に忘れていた記憶がよみがえったり、楽しい想いをすることは、多い。
しかし同じくらい、いやそれ以上かもしれない。自分の至らなさに打ちのめされる事も、多い。
実はそれは、ほとんどの人がそうであって、一度習ったら絶対に忘れない人というのは、総人口の1%もいないだろう。
七海のように、できない自分に心が折れる位の方が「普通」なのだ。しかしそんな事実は、いまの七海にとっては何のなぐさめにもならない。
せっかく麗子先生に「宝地図」を教えてもらって、これで頑張れると思ったのに、勉強をすればするほど、やっぱり自分の能力の低さを思い知らされる。それをまめじぃに相談したところで、「それが普通ですよ。私だって同じです。大丈夫」と慰めてくれるのはわかっている。だからこそ、相談し難い。
そんなある日、いつものように「まめじゅく」に足を運ぶと、まめじぃに声を掛けられた。
「相当へこんでますね」
七海はドキッとした。いつも人前では元気よく振る舞うようにしている。上機嫌で明るく元気でいる事こそ、相手への最大の礼儀だと信じて疑わない七海だから、どんなに落ち込んでいても、それを人前で見せることは無かった。
もちろん、葬儀社でアルバイトをしているだけあって、深刻な場面ではちゃんと深刻そうにはできるのだが。そういうTPOはわきまえているつもりだ。でも、今日も「まめじゅく」に入ってくるときも元気よく挨拶できたし、そんな落ち込んでいる様子を見せたつもりは無かった。
「ぜんぜんへこんでませんよ?元気ですが何か?」
七海はそんな返事しかできなかった。そのうち志桜里も到着し、授業は始まった。
「今日はまず『KPT法』について学ぶ。これまでの勉強を振り返ろう」
まめじぃは耳慣れない言葉を口にした。「KPT法」?七海はキョトンとした。志桜里も七海を見て「知ってる?」と言いたげな顔をしていた。
七海と志桜里に、それぞれ1枚の白紙が配られた。何をするのだろう。
「まずはこの用紙を3つの部屋に分けたい。次のように線を引こう」
そう言ってまめじぃは、黒板に、カタカナの「ト」とが左右反対になったような線を引いた。ふたりはそれを見て、配られた白紙を同じように線で区切った。要するに1枚の白紙に2本の線を引いて、3つの書き込みスペースを確保する、という事だ。
アルファベットの「T」を90度倒したような線を引いた。「T」の横棒が、ちょうど用紙の縦を半分に区切るカタチとなった。左側には2つ、右側には1つのスペースができた。
「『KPT法』の『KPT』とは、”Keep”,"Problem","Try"の3つの単語を略したものでな。"Keep"とは、いまじぶんが継続して取り組めていることで、今後も続けていくことを書く。まずは3つのスペースのうち、一番左上に”Keep”を書こう。現在進行形で取り組んでいることで、これからも継続してくことだな」
七海も志桜里も、毎日継続していることがある。それは語彙の勉強と、計算練習。これだけはどんなに疲れた日でも欠かさずやっている。ふたりはそれを書いた。
七海は書き終わって、少し誇らしい気持ちと、不安な気持ちとが入り乱れた。誇らしい気持ちというのは、こんな自分でも毎日勉強を継続できている、という自負。不安な気持ちというのは、やはり自分なんかが勉強したところで、本当に受験に間に合うのかという不安だった。
「次、”Problem”な。いま勉強していて困っていること、改善したいこと、見直したいことなどをまとめる。左側の下の段に書こう」
七海はドキッとした。今日2回目だ。
困っていること・改善したいこと・見直したいこと・・・数学の公式を覚えるのが苦手で、昨日やったことを今日には忘れてしまう。練習の成果が実感できない。計算が遅い。ミスが多い。手書きの文字が下手すぎる。集中力が無い、記憶力が無い、理解力が無い・・・スペースいっぱいに、びっしり書き込んだ。
それを見て、まめじぃは言った。
「七海さんは、あれができない、これもできない、と悩んでおるんじゃな。『どうして?なんで?』って思ってないか。ワシもそういう事あるよ」
ほらやっぱり。まめじぃはそう言うと思った、と七海は心の中でつぶやいた。「ワシもそうだよ」って、そんなの解決策になっていないし、何のなぐさめにもなっていない。
「しかしな、七海さん、『理由』ばかり考えていると、解決せんのよ」
「え?」
七海は思わず「え?」とだけ言った。志桜里も「え?」という顔をしている。
「この『KPT法』が優れている点は、『理由』についてあれこれ言わないところなんじゃ。人はすぐに『理由』を知りたがる。たとえば芸能人が離婚した、政治家が不祥事を起こした、というようなニュースを見て、なぜだろう、と思いたがる。それは自然なことなんじゃが、それをいくら考えたところで、どうしようもない」
七海はドキッとした。3回目だ。筆者もついにコピペを使うようになったか。いやしかしドキッとしたのは間違いない。「理由を考えたところで問題は解決しない」とは、どういうことか。
「誰しもよく『理由』を考えたがる。もちろん、原発事故など『原因』を調査しなければ、何も解決しない事柄も多い。火事の原因を調べたら、今後の火事は予防できるからな。しかし、どれだけ火事の原因を調べたところで、燃えてしまった家はもとに戻らないよな。ワシが言っとるのはそこ」
まめじぃは続けた。
「やっちまったミス、起こってしまった失敗、それについて振り返るのは必要。必要だけど、それをいくらクヨクヨ考えたところで、ゼッタイに解決しない」
そこが七海には理解できない。
「でも先生、失敗したら原因をちゃんと調べて、対策しないとダメでしょう」
思わず聞いた。
「そうじゃ。そこで『KPT法』の出番。さいごの”Try”じゃな。これが何より大切な事なんじゃ。『理由』を考えちゃダメ、と言っているんじゃないぞ。考えてしまうものは仕方ない。『原因究明』も必要なことだな。可能ならな。でも、そこでいくら考えていても『で、どうするか』へ進まないと、何の問題解決にもならん」
そりゃそうでしょう。当たり前のことじゃんか、と七海は思った。
「ところが、どこの誰とは言わないが、なんで、なんで、と理由ばかりに囚われてしまって、前に進む推進力が失われてしまうことがある」
七海はドキッとした。4回目である。「なんで」が心の中で口癖になっていた。
「だから『KPT法』は役に立つ。3つの項目のうち最後の項目である”Try”を書き込む作業を通じて、『で、どうするか』を考えることができるからじゃ」
どこの誰かって誰よ。なんでそんなに私のことがわかるの?もしかして私の事好きなの?・・・「どぶろっく」か。七海は自分でつっこんだ。
「先生、なんで私が苦しんでいるってわかったの?」
またもや思わず聞いてしまった。
「ん?ああ、受験勉強を始めて、1カ月になるじゃろ。この時期はな、『なんで?なんで?』って、自分の不甲斐なさに打ちのめされる人が続出するんじゃよ。だからワシの授業では、そのタイミングで『KPT法』での振り返りをいつもやっとるの」
なーんだ、そうだったのか。七海は納得しながらも、どこかつまらない、という顔をしていた。(*´з`)こんな感じ。
自分の課題に対して「なぜ?」と原因や理由を問うことは、もちろん大切である。しかし、その事で前に進む原動力を失ってしまうケースもある。
例えば、リアルまめじぃは、30歳あたりから、髪の毛が抜け落ちてきた。親も祖父も、そこまで毛が薄い家系ではない。親族・親戚一同、どちらかといえば、フサフサ系だった。
なぜ?なんで?シャンプーが原因?不規則な生活?え?もしかして橋の下で拾われて来た子どもだったの?
原因は、いくらでも考えられる。しかし「なぜ」を考えたところで、髪の毛は生えてこない。そう「ハゲまっしぐら」だ。
図書館や書店で育毛に関する書籍を読んだり、育毛剤売り場でウロウロしたり、そんな間も「なんで?」という疑問に囚われていた。この期間、鬱々とした日々を過ごしていた。仕事もうまくいかない。
35歳で、悟りを開いた。
そうか。ハゲなんだ。わかった。剃ろう。
そう、生えてこないものを、生やそうとするのではなく、髪の毛の無いことを受け入れるのだ。
リアルまめじぃのT字カミソリは、禁断のもみあげより上のゾーンまで達し、わずかに残っていた髪の毛たちも、一網打尽となった。
さっぱりした。育毛剤に悩む事もない。美容室にも理容室にも行くことが無くなった。寝ぐせを気にすることもないし、ドライヤーも必要ない。風呂上りにバスタオルでさっと拭けば、それでオッケー。なんて快適。
でもシャンプーだけは使っているのが、謎のプライド?わずかな希望?でもボディソープだけだと頭皮が痒くなるので、シャンプーは必要なのだ。お願いだから薬局の店員さん、お会計のとき、シャンプーを手に取ってワシを二度見するのやめてくれい。
ともかく、残存するわずかな髪の毛をどう生かそう、とか、抜け落ちてしまった髪の毛をどう取り戻すか、という煩わしい事に、ただでさえポンコツな脳の資源を無駄遣いしているのはもったいない。
それにしても「なんで」から解放されたときの、あのすがすがしさ。仕事も右肩上がり。評判は口コミで広がり、日本テレビから「すごい先生がいる」と密着取材を受けて、「と、東京からテレビが取材に来たぞー」と人より猿・鹿・猪の方が多い田舎まちは、騒然となった。
もちろん、正解は人の数だけある。剃らないで、人工の毛髪を装着する手もある。かつら、という。何が正解かは、自分次第。
ところで、これは看護学校の受験のお話であり、わたしがハゲ・・・スキンヘッドであるという告白をするお話ではない。
伝えたい事は、
「なんで」に囚われているとしんどいし、前に進む力が弱くなっちゃうよ、という事だ。
「行動思考」という。
理由や原因も大事だけれど、
次へ進むことはもっと大事。
七海の場合、いくら忘れっぽくても、いくらミスが多くても、
日々練習するしかないのである。
そこで、ミスの原因がどこにあるのか、忘れてしまう要因はどこなのかを冷静に分析して、次に生かす、というのは「アリ」。
しかし「なんで自分はこんなにバカなの」といった「なんで」は、「ナシ」。時間の無駄なのだ。
「なんで自分はハゲなの」と悩んでも、ハゲはハゲなんだから。
だからハゲはハゲとして、ハゲを楽しもうという悟り方を、リアルまめじぃは、した。
「スキンヘッドおじさんあるある」だが、カミソリには相当詳しくなった。どこのメーカーのどんなカミソリはどんな切れ味で、どんな特徴があるか、など。ちょっとしたマニアだ。というよりスキンヘッドのおじさんはたいていそうだ。話が盛り上がる鉄板ネタだ。
わずかに残存する髪の毛たちには申し訳ないが、ヒゲを剃るときに同時に刈り取らさせてもらっている。それでもいじらしく伸びてくるものだから、時折申し訳ない気持ちになる。
だからもう、ハゲの話はいいのだ。
七海の「どうしてこんなに自分はダメなんだろう」という、その想いは、実はオリンピックの金メダリストだって、悩んでいる事なんだから。
一度、たとえ偶然でも金メダルを取ってしまえば、次のオリンピックで銀だと、がっかりされる。銀メダルでも凄すぎるのに、もうあいつの時代は終わったと言われる。偉大なメダリストは、連続で金メダルじゃなかった自分を責める。
これじゃ報われない。
自分の力の無さを責めるのは自由だし、普通のことではあるが、そこに囚われていては、解決にはならない。
「できない自分」を責めたくなったら、「KPT法」に取り組む。
七海はまたひとつ「折れない心」を育てるツールを手に入れた。
「宝地図」・「KPT法」と続いた。次は、何だ。
つづく
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