第11話 「折れない心」の育てかた

「宝地図?」


 「まめじゅく」講師で大学院生の伊賀栗麗子は、七海と志桜里に「宝地図」を作ろうと提案した。しかし、海賊でもないのに、どういう地図が必要だというのか。


 「宝地図」とは、望月俊孝氏が開発した「夢実現を加速するためのツール」である。同氏が代表を務める株式会社ヴォルデックスが主体となり、書籍を出版し、セミナー等を実施している。

 筆者は個人的に、スピリチュアル的なものが苦手で、ちょっと敬遠したい部分もあるのだが、しかし氏の提唱されている「宝地図」というもの、そのものは、認知心理学的にも、脳科学的にも、非常に理にかなった、優れたツールであると考えている。

 自分が一度抱いた目標を、決して忘れず、くじけることなく黙々と努力できる人であるなら、「宝地図」は必要ない。時間の無駄になってしまう。しかし日々の同じことの繰り返し、思うようにならない日常に疲れて、自分の目標を見失ってしまうような事があったとき、これから紹介する「宝地図」は、有用である。


 伊賀栗麗子と七海と志桜里は、「喫茶船江」を出て、さっそくその足でダイソーへ行き、いちばん大きなコルクボードを2枚、購入した。その後、3人は「まめじゅく」の教室の中で、宝地図の作成を始めた。「まめじゅく」は基本、カギがかかっていないから、誰でも出入り自由な場所である。泥棒さんもウエルカムなのである。しかしこれまでそんな事件は起きたことがない。

 コピー用紙も年々値上がり傾向にあるが、まめじぃは今、行きつけのリカーショップで新作の日本酒と大好物のシングルモルト・ウイスキーを物色しているところなので、その隙にコピー用紙をいっぱい使って「宝地図」を完成させてしまおう。


 用意する材料は、コピー用紙と、それをコルクボードに留めるピンや両面テープ。あと筆記用具。コピー用紙でなくても、色紙やボール紙でも大丈夫。色ペンや色鉛筆、クレヨンなどで手書きしてもいいし、パソコンなどを用いて素材を作って印刷してもいい。


 それがどのようなものかは「宝地図 作り方」で画像検索をすれば、グーグル先生はすぐに教えてくれる。


 まずは「実現させたいゴール」を言葉や写真、絵で表す。それをコルクボードに張り付ける。

 2人の当面のゴールは、看護学校に入学することである。しかし本当のゴールはそこではない。


 七海にとっては、晴斗が行きたい大学へ進学できるように、経済的にもちゃんとバックアップできるようにしたい、という目標がある。奨学金を借りる事もできるが、それをあてにして私が何も努力しないのは違う、と思っている。だから七海は「年収500万円」と書いた。

 看護師ならば実現できる年収である。大手予備校だって、余裕で通わせてあげられる。

 コルクボードの真ん中に「年収500万円」と印刷した紙を貼り付けた。MicrosoftWordで作成し、印刷したものを、ハサミでチョキチョキ切り抜いて、真ん中に貼るだけ。


 志桜里も看護師になりたいと思った理由は、看護の道に人生を捧げたいから、ではなかった。家を出て、一人で自立して生きていくために、「稼げる」看護師を選んだ。

 だから極太の油性マジックで「自立」と大きく書いた。「自立」の文字のカタチに切り抜いて、コルクボードのど真ん中に、貼り付けた。

 

 看護師はもっと尊い職業?理由が不純?そんなのどうでもいい。手堅く稼げるんだから。生きていくために、稼ぐんだ。


 次に、2人の看護師さんがナース服を着て笑顔でポーズをとっている写真をネットから探して来て、印刷して、ハサミで切り抜いた。そして自分の写真も印刷して、顔だけを切り抜いて、そのモデルさんの顔の上に張り付けた。

 これには3人で大笑いした。七海も志桜里も、モデルさんの顔のサイズと、自分の顔のサイズがまったく一致しておらず、まったくバランスの悪いものになった。

 しかし、2人のナースは、七海と、志桜里である。この写真を2枚作って、お互い、自分のコルクボードに張り付けた。ひとりでがんばっているんじゃない、一緒にがんばっているんだ、という事を忘れないように。でも、まめじぃの存在はすっかり忘れていた。


 七海はこの他に、晴斗と一緒に撮影した写真や、看護学校の写真も印刷して切り抜いて、コルクボードに張り付けていった。


 志桜里は、インターネットから引っ張ってきた、おしゃれなロフト付きマンションの部屋の写真を貼った。こんな部屋で一人暮らしがしたい、という想いがあるからだ。


 「宝地図」とは、要するに、自分が実現したいこと、叶えたいことを、言葉や絵、写真などで表して、それをコルクボードに張り付けていけば、それで完成する。言ってしまえば、それだけのものである。


 ところが、一度これを作り上げたら、毎日毎日、眺めているだけで、自分の進むべき道を見失わずに済む。いま、じぶんは何のためにがんばっているのかを「宝地図」は教えてくれる。折れそうな心を、支えてくれるのだ。


 その代わり、「毎日眺める」というルーティンを忘れてしまうと、その効果は薄まるか、無くなってしまう。また日々努力を重ねる中で「宝地図」をリニューアルさせるべきときはは当然、出てくる。だから日々メンテナンスしながら「最新バージョン」に仕上げていくことも大切である。


 ふたりは1時間ほどで、「宝地図」を完成させた。まめじぃはどこにも登場しない。


「あの・・・えっと・・・ルーティーンついでに・・・」


陰キャでコミュ障な大学院生、伊賀栗麗子先生は、こんなことも教えてくれた。


 一、勉強するとき専用の「戦闘服」を決めて、それを着て勉強すること。


 学校の制服でもいいし、お気に入りのTシャツでもいい。迷彩服でもいいし、和服でも、何でもいい。まめじぃは夏場「甚平」をよく着ているが、「ワシの戦闘服」だと言い張っている。ただお酒を飲みに行くだけなのに。

 空手家や柔道家が、真っ白な道場着に身を包み、黒帯をキュッと締めると表情や雰囲気がガラッと変わるのも「戦闘服」に身を包んだからだ。


 衣服の力をナメてはいけない。

 

 二、勉強する前の1分間でもいいので、目を閉じて、深呼吸する。


 回数も決めておくといい。これを毎日することで、深呼吸するだけで「勉強スイッチ」が入るようになる。このとき、自分の呼吸に集中すること。鼻から息を吸い込み、空気がどんな風に自分の体の中に入って、どんなふうに出ていくか、呼吸という行為だけに100%集中すること。「マインドフルネス」でも用いられ、まめじぃが45年間、欠かさず稽古をしている剛柔流空手道でも「息吹(いぶき)」と呼ばれる、呼吸法である。


 三、勉強前に聞く「曲」を決めておくのもいい。


 アニメ「映像研には手を出すな」の主題歌「Easy Breezy」(チェルミコ)が大好きすぎて、かならず仕事前にこの曲を聴いてから始めるまめじぃ。いい歳してこんな曲聞くんだ。でも何だか「やってやろうじゃないか」という気にさせてくれる曲らしい。

 著作権の関係で歌詞は載せない。


 要するに、毎日勉強する前に、必ずやることを決めておく。それをひたすら毎日やる。どんな些細な事でもいい。人が見たら笑ってしまうような「儀式」でもいい。

 麗子の家は伝統ある神社なので、巫女の衣装が戦闘服なのだそうだ。それを身にまとい、神様に奉納する舞をひとつ舞えば、心が研ぎ澄まされて、集中力も増すという。その衣装のまま、修士論文に取り組んでいるらしい。


 そういった「始まりの儀式」を、愚直に毎日繰り返していると、日々の努力に「リズム」が産まれ、集中力は増し、心が折れにくくなる。


「ルーティン」の威力なのだ。


 「宝地図」を作ったから、はい、成功、なんてことは、麗子も信じていない。しかし、自分で作った「行くべき場所」を、毎日毎日、勉強前に確認することで、モチベーションを高めることは間違いなく有用である。


 七海も志桜里も、勉強を始める直前は、まめじぃの真似をして、チェ ルミコの「Easy Breezy」をかけながら、戦闘服に着替えることにした。

 

 七海の戦闘服は「天上天下唯我独尊」と刺繍がある「つなぎ」である。つまり、例の暴走族の方々がよく着ていらっしゃる、アレである。そんな衣装を持っている事も、七海の過去も、志桜里は知らない。興味もない。ただ、看護師を目指す道を教えてくれた恩人であり、一緒にがんばる仲間である。


 志桜里は、高校の制服にした。入試当日も制服を着ていくのだから、入試本番と同じスタイルで勉強したいと思った。休みの日でも、勉強前には必ず「Easy Breezy」を流しながら、制服に着替える。めんどうだけど、どうせやるならめんどくさくやろうぜ。その方がスイッチが入りやすい。


 もちろん、それだけで絶対に心が折れない、なんてことはない。体調が悪い日もある、どうしてもやりたくない日だってある。生きているんだから、それが当然。機械でさえ、使い過ぎれば壊れるんだ。


 それでも「奮い立たせてくれる何か」の存在は、大きい。それは大切な人だったり、目標だったり、色々だ。それらを「可視化」したものが「宝地図」なのである。


 さらにそれを「毎日眺める」というルーティンをつくる。他のルーティンと組み合わせて。


 すぐに折れない心が手に入る、というものでもない。


 心は、育てるもの。


 体だって、カルシウムを今日摂取したから、もう骨カッチカチ、なんて人、いないのと同じで。


 育てていく。


 その気持ちがあれば、毎日の努力は、楽しみに変わる。


 しつこいけれど、無理な日もある。それがふつう。


 麗子が2人に教えてくれた「じぶんにスイッチを入れるためのルーティン」は、ふたりが看護師になってからも、ふたりを支えてくれた。


 折れない心を育てるには


 そんな都合のいい、便利な答えは、本来、無いのかもしれない。折れるときは誰でも折れる。それが生きているってこと。


 しかし二人は、伊賀栗麗子先生と出会ったことで「心を育てていく」こと、そのために「ルーティン」が大切であることを、学んだ。


 その学びは、ふたりの財産になったことは、間違いない。


つづく


参考:https://studyhacker.net/toshitaka-mochizuki-interview01

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