第10話 「夢」に日付を書けば「予定」になる

 (今回から数回に分けて「モチベーション」をテーマとしたお話を書きます。)


 ある日、七海と志桜里は、まめじぃが主宰する「まめじゅく」で講師のボランティアをしている、大学院生の伊賀栗麗子と一緒にある相談をしていた。


 ある相談とは、モチベーションの維持・向上の方法だった。

 

 そんなことをまめじぃに相談したら、やる気が無いなら受験なんてやめとけ、と言われそうで怖い、というのもあって、同じ女性同士、伊賀栗麗子先生なら、と思った七海が、志桜里も誘って、3人は「まめじゅく」の近所にある喫茶店「喫茶船江」で落ち合った。

 神都市駅から国道をつなぐ「八間道路」という道沿いにある、シフォンケーキと12時間かけてつくる水出しコーヒーが自慢の昔ながらの喫茶店である。

 

 伊賀栗麗子は、高校1年生の時、いじめがきっかけで不登校になった。その後退学。2年間、引きこもっていた。

 しかし、あることがきっかけで「まめじゅく」に通うようになり、まめじぃの指導のもと、高卒認定に合格。その後、実家の神社の仕事も手伝いながら、大学受験にもチャレンジ。見事、地元の皇道館大学国文学科に合格。現在は大学院に進学し、修士論文に取り組んでいる最中である。


 伊賀栗麗子は、引きこもっている期間、曾祖父が遺した蔵書の中から『萬葉集』(日本最古の歌集)と、曾祖父の研究ノートを見つけた。研究ノートにあった「万葉仮名」と一般に呼ばれる、漢字だけで書かれた古語の世界に魅せられた。

 まだ「ひらがな」や「カタカナ」が発明されていなかった時代、私たちの祖先は、中国から輸入した「漢字」という最先端のシステムを用いて、なんとかじぶんたちの言葉を記録しようと試みた。それが「万葉仮名」と呼ばれるものだ。もちろん、当時(奈良時代以前)の人々は、自分たちのそれを「万葉仮名」とは呼んでいない。後世の人々が名付けたものだ。

 有名な言葉としては「孤悲(こひ)」=「恋」がある。漢字という当時の日本人にとって最先端の道具を使って、我々の祖先はようやく、じぶんたちのことを「記録」できるようになったし、「うた」を文字として記録しておけるようになった。

 「萬葉(=万葉)」とは、「数えきれないくらいたくさんのことば」という解釈もできなくはないが、別の説では「何万年先の世に残る」という意味が有力とされる。

 筆者としては、どちらも採用したい。この書物のタイトルを誰がどんな意図をもって「萬葉集」としたのか、様々な説はあるものの、エビデンスは無い。想像するしかないのだ。

 だったら「数えきれないくらいのたくさんのことば」を、私たちの祖先は用いていたし、それを「漢字」という文字を借りて、それで何千年、何万年先の人たちにも、「われわれの歌」を届けたい、と解釈しても、大伴家持(編纂者とされている)は怒るまい。ロマンがあるもの。

 さて、麗子が着目したのは、歌の内容というよりは、万葉仮名のしくみだった。奈良時代の古い漢字表記を調べていくと、


「邪馬台国」は、


「ヤマト国」と読む。


 だから、学校で教えている「ヤマタイコク」なんてものはなくて、それは「倭国」のことなんだ。


 そのように、曾祖父は研究ノートに記していた。


 このことに、麗子はワクワクが止まらなくなった。


 麗子が一心不乱に勉強するきっかけになったのは、この「ワクワク」だった。もっと古代のことばについて学びたい、専門的に研究したい。

 そしていつか、大学教授になって『萬葉集』の面白さ、古代の言葉の楽しさを、学生たちに伝えられるようになりたい。高校中退だけど、それでも夢はかなう、と自分の人生で証明したい。

 

 これが、麗子を支える土台だった。


 マインドセット、という。


 いつか、大学教授になりたい。みんなにこの楽しさを伝えたい。


そう思って勉強するのと、


 はやく、テスト終われ。もう暗記とか無理。


と思って勉強するのとでは、同じ1時間の勉強でも、まったく違う。これが365回繰り返されれば、その差は歴然だろう。


 その人がどんなマインドセットを行うかで、モチベーションは大きく変わる。当然、やる気に差が出るのは当然である。


 ところで「モチベーション」と「やる気」は別のものである。しかしこれについて語り出すと、第10話も1万文字を楽々超えてしまい、何ならそれだけで一冊の書籍ができてしまう勢いになってしまうため、割愛する。


 ただ誤解を恐れず簡潔にいうならば、


 「モチベーション」があるから「やる気」が出る。


 という表現にとどめておく。


 さて、麗子にとっては、志桜里はともかく、32歳の海野七海は年上でもあり、麗子の中学時代の先輩からの情報で、「相当怖い先輩」という事で有名だったこともあり、腰が引けた。噂でしか知らないが、ひとりで地元のレディース(暴走族)と抗争を繰り広げた末、解散させたという。地元の不良たちがペコペコ頭を下げるような人だとも聞く。

 正直、怖い。自他ともに認める陰キャの麗子にとって、「元ヤン」という噂は、それだけで、怖かった。


 でも、こうやって、その怖い(と聞く)伝説の大先輩が、真剣なまなざしで頭を下げて私に相談をしてくれている。どう答えたら怒らせないで済むだろうか、と悩んでいた自分がちょっと恥ずかしくなった。

 麗子は、自分の体験や、自分の考えからしかアドバイスはできないけれど、という前提で、おどおどしながら、話した。


 「夢」に、日付を書くんです。そうすると、それはもう「予定」ですよね。やるしかないんです。


 おどおどしていて、たどたどしいのだが、麗子の言いたいことは、だいたいは、そういうことだった。


「夢に日付を書くと予定になる」


 七海は、なんだか、カーっと熱くなった。心の底から「熱」が湧き出てくるような。早く家に帰って、大きな紙に大きく書いて壁に貼っておきたくなった。せっかく12時間かけてじっくり淹れてくれたコーヒーの味もよくわからない。シフォンケーキの上に乗っかるフワッフワのホイップクリームも、もうどうでもいい。はやく勉強したい。


 正直、心折れそうになっていた。毎日の語彙力特訓、計算トレーニングに加えて、過去問の解きなおしや問題集の演習、参考書で解き方を調べて、まちがえた問題はノートにまとめなおす。でもほとんど間違えるから、ノートはびっしりと文字で埋め尽くされて、これをこのまま続けたら、家中ノートで埋まるのでは、と思ってしまう。まめじぃに質問すればいいんだろうけれど、何を質問していいか、それさえわからないことも多い。


 こんなことで本当に勉強ができるようになるんだろうかと、苦しかった。やるしかない、のは理解していても、心はしんどかった。

 でも、夢だけは忘れていない。いっぱい稼いで、晴斗が行きたい大学でやりたい研究ができるように、サポートしたい。あの子の夢は、わたしの夢。


 日付を書けば、予定になる。


 これは、がぜん、力が湧いてきた。麗子先生すごい。なんかしゃべりは心配だけど、とっても強い意志を持って、大学教授を目指しているんだなとわかった。


「あの・・・もしよかったら、なんですが・・・えっと・・・『宝地図』を一緒につくりませんか」


麗子は提案した。


「たからちず?」


七海と志桜里は、口をそろえた。


つづく

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