第6話「やりたいこと」と「やるべきこと」を両立させる方法

 片山志桜里のおかげもあり、必要な過去問題を無事入手し、まめじぃ、海野七海、片山志桜里の三人で「看護学校受験プロジェクト」は始まった。

 

 まずは過去問題を解く。このミッションが受験勉強のはじめの一歩であると、まめじぃは主張する。それは二人も納得し、取り掛かりつつある。しかし七海にとっても、志桜里にとっても、大きな障壁があった。それは「受験勉強に専念できない」ことである。

 

 何といっても、海野七海には、葬儀社のアルバイトの仕事もありながら、家事をこなし、九歳になるひとり息子の晴斗の子育てもある。そんな中で、いつ受験勉強に打ち込める時間があるのか。


 学費を稼ぐためにも、そして何よりも、晴斗と二人の生活のために、仕事はやめられない。勤務時間も減らせない。家事も、九歳の晴斗も手伝ってくれるとはいえ、自分がやらないわけにはいかない。そんな中での勉強時間の確保。「二足のわらじ」どころではないのである。


 もし、三年制の正看護学校に合格したら、思うようにアルバイトもできない。生活費をどう捻出するかを考えれば、今稼げるうちに稼いでおきたい。

 

 志桜里にとっては、受験勉強に専念しようと思えばできるのではあるが、彼女には「小説家になりたい」というもうひとつの夢があった。


 それだけでなく、毎日少しずつ小説を書き溜める事が彼女の生きがいにさえなっている状況で、彼女は、受験勉強と小説の執筆を両立させる、と決めた。一度こうと決めたら曲げないのが、母に似ていると、彼女自身も感じている。どうしようもない。それがじぶんなんだから。


 ふつう、「小説執筆と受験勉強を両立させる」なんて、そんなことを言ったら、否定的な言葉を発するのが「先生」というものだ。


「受験生なんだから、受験勉強に専念するのが当たり前だ、そんなのでは落ちるぞ」


と生徒たちを脅しながら、特別講習代や合宿代の名目でお金を巻き上げ続けるのが、民間の教育サービス業ではなかったか。


 しかし、まめじぃは違った。両立の方法を教えてくれた。


 一、コクピットを作れ

 二、タイマーを用意せよ

 三、二十五分集中+五分休憩を一セット

 四、朝活をしろ

 五、夜更かしするな


 以上の五か条だった。


一日が二十四時間であることは、全員平等である。しかしその持ち時間をどう使うかで、人生は、激変する。「やりたいこと」と「やるべきこと」の両立は、できる。


 一、コクピットを作れ


 これは、机回りの話。


 飛行機の操縦席を見ると、なんだかよくわからない計器やボタンやレバーが並んでいる。素人の目からすれば、なにやらゴチャゴチャしていてわかりにくいが、パイロットたちは、それぞれの役割をちゃんと頭に入れていて、必要なときに、必要な操作を、的確に行うことができる。


 これと同じで、自分の勉強スペースを「コクピット」と名付けて、どこに何を置いて、どういう動作をすればどういう作業ができるか、必ずルールを決めること。


 例えば三角定規は、必ず三角定規を収納する場所をひとつだけに決めること。いつも必ず決まった場所に三角定規があって、使おうと思ったら、もう考えるより先に、手がパッと動いて、三角定規を手にしている。使い終わったら考えるより先に、パッと三角定規の本来あるべき場所に格納される。


 これをできない人は、三角定規を、右側の下から二番目の引き出しから取り出し、使い終わったら、机の上のすみっこに置いておく。そして本やらノートやら他の文房具に紛れ込んでどこかへ行ってしまい、そのうち、机の脇から、ストンと床に落ちてしまう。

 そうして次、三角定規を使おうとしたら、どこにあるのか探すところから作業が始まるので、時間がかかってしまう。


 英和辞典も同じ。いつも必ず同じ場所に収納して、必要と思った瞬間にパッと取り出して、使い終わったら必ず決められた場所にパッと戻す。


 志桜里の場合は、小説を執筆するための道具と、勉強するための道具を、それぞれ場所を分けておく。本も自分が読むための小説や、小説を書くための本は、受験勉強や学校の勉強の本と、混ぜない。ペンでさえ、執筆用のペンと、勉強用のペンは、混ぜない。


 机のまわりにあるものすべてに「固定の居場所」を決めてあげて、使い終わったらすぐにそこに戻すクセをつける。


 これは実は、お寿司屋さんも徹底してこだわってやっている。


 シャリ(ごはん)をどの位置において、その日のネタをどうやって置いておくか。例えば、マグロの赤身をどこに置いておくか、毎日決められた場所に置いておいて、使ったら残りはすぐに決められた場所に戻す。それが徹底しているから、注文を受けてから、間違えることなく、すぐにお客さんに美味しいお寿司を提供できるようになっている。


 「システム化」と言い換えてもいい。暗記をするために必要なセットは必ず同じ引き出しの中に収納しておいて、暗記することが必要になったら、すぐにパッといつでも取り出し、使い終わった瞬間にパッと元の場所にしまう。


 これを素早くできる人は、同じ十分間でも、できることの量が違う。


 これをできない人は、同じ十分間でも、無駄な時間が多くなってしまう。


 こんなことをいうと、こんな反論をする人がいる。


「無駄な時間も大切ですよ」


 これは「無駄」の意味がちがう。


 例えば、豊かな人生を送るのに「無駄な時間」がおおいに役に立つという。それは間違いない。しかしその「無駄な時間」とは、一見無駄に思えるような時間だったとしても、後になって振り返ってみれば、その人にとって良い時間であった、という意味である。


 三角定規が見つからなくて、イライラしながら、ああめんどうだから、フリーハンドでいいや、ああ、うまく書けない、もう勉強いやだあ、なんていう、マイナスしか生み出さない時間が、人生を豊かにしてくれるとは到底思えない。


 無駄の意味が違うのである。


 だから、机回りは必ずすべてのものに「固定の居場所」を作り、使ったら素早く戻す、を繰り返すだけで、同じ十分間で、できることが増える。これを一年間続けたら、その差は相当大きい。


 これがまめじぃの「一、コクピットを作れ」の真意である。


 次に「二、タイマーを用意せよ」という。

 

 スマートフォンにもタイマー機能はある。しかしまめじぃが言うには、100均のものでもいいから、タイマーを用意しろという。使えばわかる、というのだが、どうだろう。

 七海と志桜里は、それぞれ100均でタイマーを買った。ふたりで買いに行ったので、おそろいだ。できれば二個持ちがいい、とまめじぃは言っていたので、ブタのタイマーとカエルのタイマーを買った。これでダイソーだと気づいたあなたは、相当、ダイソーに通い詰めていますね?


 二個持ちの理由は、次の掟にある。

 

 「三、二十五分集中+五分休憩を一セット」


 二十五分?たったそれだけでいいの?だったら集中できそう、と七海は思った。でもどうして二十五分?そして休憩が五分?そこにどんな意味があるのか、不思議に感じていた。


 とりあえず、タイマーは二十五分にセットしたブタさんと、五分にセットしたカエルさんを、両方を交互に使う事にした。


 二十五分集中とは、勉強を二十五分間だけ集中して取り組んで、どんなに途中でも、タイマーが鳴ると同時に勉強をやめる。そうすると、ああ、もう少しで終わるから最後までやっちゃえ、という気持ちも湧いてくる。しかし、ルールとして、ゼッタイに二十五分経ったら強制的に五分間の休憩に入る。

 休憩中は何をしてもいい。でもできれば、スマートフォンをいじったり、漫画を読んだりせず、体を動かしたり(七海の場合は洗い物の続きとか、洗濯ものをたたむとか、途中でも区切れそうな家事をする)、勉強とはまったく程遠いことをするのが良いとされる。

 しかし五分経てば、何をしていたとしても強制的に、勉強に戻る。


 これを一日で何セット繰り返せるか、試す。もちろん曜日でも違うし、その日の体調や予定によって、差は出る。しかし、何セットできたかをカレンダーなどに記録していくと、明日はもう一セット増やそう、なんて気持ちも育ってくる。


 ところで、なぜ二十五分なのか、七海は率直にまめじぃに聞いてみた。結果は、プロの研究者たちが長い年月と時間をかけて実験しまくった結果、この方法がいちばん効率良かった、という答えだった。 


 なんだ、まめじぃのオリジナルじゃないのか。


 七海は少しがっかりした。でも、心理学的にも脳科学的にも、医学的にも理にかなった方法であることがわかって少し安心した。


 途中で強制的に終了するというのも、実は集中力を最大化させるためのテクニックなのだそう。「ああ、もっとやりたい」という意欲が育つらしい。結果、次の二十五分の集中力も高まるそうだ。

 二十五分という時間も、厳密に研究に研究を重ねて得られた「集中力が最も高まる時間」という。


 七海は、そういった話をこれまで興味を持って聞いたためしが無かったが、いざ自分が受験生となると、がぜん興味のある話になってきた。


 志桜里も、この方法で勉強と小説の両立を目指した。二十五分勉強、五分休憩、二十五分小説の執筆、五分休憩、二十五分勉強・・・と規則的に繰り返していくことで、以前よりも小説もはかどるし、勉強もちゃんと進められることに驚いた。


 七海にとっては、寝ている晴斗を起こすわけにはいかないという親心から「タイマーが鳴ったら負け」というルールを自ら作り、アラーム音の鳴る1秒前にストップできるようにした。だから厳密にいうと二十四分四十九秒なのであるが、それは愛する息子のためである。どうってことない。

 でも負けたらどうするかまでは、考えていない。だって、鳴らさないもん。というのが七海の決意だった。


 「四、朝活をしろ」


 とにかくどんなに夜更かしをしても、早朝に起きろ、というのがまめじぃの教えだった。できる限り朝はやく起きて、どんなに天気が悪くても、外の光を網膜に取り入れろという。


 これを数日続けただけで、七海も志桜里も体調に大きな変化が起こった。夜、かなり眠い。そして、朝、起きてしまうようになった。七海は完全に、早起きにはまってしまい、朝四時には起きて、活動を始めた。晴斗が起き出すのが朝七時。三時間ある。この三時間で、いろんなことができた。


 朝起きてすぐに二十五分で身支度を整え、五分間の休憩は天気が悪くても窓の外の光を網膜に入れる、つまりカーテンを開けて外光を取り入れつつ、ストレッチをし、天気がいいと外に出て深呼吸をするなどした。

 その後の二十五分で集中して勉強。五分間の休憩でコーヒーを飲み、二十五分また集中して勉強。はかどるはかどる。


 晴斗が起き出す午前七時前、ラスト二十五分が朝食の準備の時間。調理時間も二十五分と決めて取り掛かると、テキパキと調理できる。決して手は抜かない。

 六時五十五分には、もういい匂いをさせた味噌汁とご飯とハムエッグとほうれん草のお浸し(おかかのせ)が、食卓の上にあった。


 「二十五分+五分」で日常生活を区切ることは、なんだか時間の奴隷になった気分になるかも、と思っていたが、なぜか心地いい。リズミカルに生活するというのが、心身の健康にとってもよいみたいだ、と感じていた。


 一方、片山志桜里も、朝五時には起きて、勉強二十五分、五分の休憩(朝の身支度をする)をおいて、二十五分で小説を執筆し、五分の休憩(朝の身支度をする)、これで一時間。これを二セット繰り返しても、学校の時間には十分間に合うことがわかった。


 この「朝活」をスタートさせてから、志桜里は夜更かしができなくなった。午後十時を過ぎると目がトロンとしてくる。


 でも、まめじぃは、それでいいという。


 受験本番は、午前中。面接は午後から、といった学校もあるが、たいていは、午前中が勝負の時間。そうなると、午前中に最大のパフォーマンスを発揮できるように訓練しておくのが良いという。


 そのために、体内時計をリセットし、朝型の生活習慣を取り込むための「朝活」をしろという、まめじぃの教えを、ふたりは素直に聞き入れ、取り入れようと努力した。


 そうすると、


「五、夜更かしするな」


 そんなことを言われなくても、ふたりはもう、晴斗に負けないくらい、夜はぐっすり眠っていた。おかげで体調もいい。


 そう、自分の好きなことを続けていくために、じぶんの大切な人を守っていくために、必要なのは「じぶんの心身が健康であること」。


 このことは、受験生にとって最も必要な要素であるということを、まめじぃは伝えようとしていた。


 もちろん栄養バランスも大切だし、こんなものを食べるといいとか、あるいはメンタルのためにもヨガを取り入れるといいとか、いろんな方法があると思う。でも全部を取り入れるのは現実的ではない。


 そんな中でも、ふたりのことをよく理解し、ふたりだからこそやれそうなことを、まめじぃは、提案してくれる。「やれ」と口調は厳しいけれど、でもそこには思いやりと愛情を感じる。説得力と現実味を感じる。


 二十五分という黄金の時間を知ってからというもの、七海は実は苦手だった家事も、テキパキこなせるようになり、朝ダラダラと学校へ行く準備をしていた志桜里も、朝活の時間を捻出するために、短時間で無駄なく朝の用意ができるようになった。


 こういう「生活リズム」の質が上がってくると、同じ一日の勉強も、中身は大きく変わってくる。


 「生産性の向上」という言葉がある。製造業で、ある製品を作る時、一時間あたりどれくらいのコストで、どのくらいの量を生産できるか。それを徹底的に分析し、追求し、できるだけ少ないコストで、できるだけたくさん、そしてもちろん、できるだけ高品質の製品を作ることが、最大の利益を生み出す。製造業のキホンである。


 「生活の中での生産性を向上させる」


 これは、受験生にとって、とても大切な意識である。いくら徹夜で勉強していましたと主張しても、ボロボロの体調で、ヘロヘロの集中力で、フニャフニャになっていても、実力は発揮できない。それでは時間の浪費になってしまう。


 だから試験日当日、試験時間に最大の成果を挙げられるように、毎日の生活をリズムよく、テンポよく、そのリズムを、テンポを、楽しみながらこなしていけるようになれば、小説を執筆しながらでも、家事をこなしながらでも、受験勉強だけにすべてを費やして挑んできた人とも、じゅうぶん戦える。断言する。


 それはまめじぃが、30年間、毎日受験生と向き合って得た結論である。


 そうしてふたりは、とにかく過去問を解いた。


 現役高校生である片山志桜里にとっては、高校受験レベルの問題は特に難しいと感じることは無かった。何問か間違えた問題はあったが、決して理解不能というものではなく、正解を聞いて、解きなおして、すぐ納得できるレベルだった。


 問題は、海野七海、三十二歳。


 何とかギリギリ高校を卒業できたのは、いつだっけ。勉強とは無縁の生活をしてきた。無縁どころか、できるだけ逃げに逃げてきた。ところが息子の晴斗は、なぜか勉強が大好きになってしまい、さらには人並み外れた才能があることも判明した。

将来の夢は科学者になること。応援したい。応援したい。その夢、一緒に叶えたい。


 しかし「想い」だけで問題は解けない。問題文にある「濃度」というものが、実は公式があって、方程式を自分で作って解かなければいけない問題であることを、彼女はまったく理解していない。

 学校で習ったはずだが、授業中はだいたい隠れてお菓子をつまむか、友だちと手紙を交換するか、寝ていた。


 過去問題の問題文の意味が、そもそも理解できないことが多かった。「傍線部ア」が指すものを選べ?「傍線部ア」?なんて読むの?はたせんぶあ?なんでアだけカタカナなんだろう?


 致命的だった。


まめじぃは、この現実を、まだ、知らない。


つづく。

 

参考文献 『独学大全』 読書猿 ダイヤモンド社

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