第4話 片山志桜里(1)

 過去問題を入手するというのが、こんなに大変なことだったとは。まめじぃは知っていたのだろうか、と七海はため息をつきながら、まめじゅくに向かっていた。


 「神都市医師会准看護学校」の過去問題を運よく入手できたものの、本命の「神都市保健衛生専門学校」の過去問を入手できずにいた。門前払いだった。校門前ナンパ大作戦も、撃沈。本当に警察が来てしまい、叱られた。地元でもほとんど友だちのいない七海は、知り合いや友人の「つて」というものも使えなかった。


 書店で看護学校の過去問題集を漁ってはみたけれど、他県の学校の問題ばっかり。これでも無いよりましかと思い、まめじぃに相談する前に、自腹で購入した。


 まめじゅくに到着した七海は、准看護学校の過去問題だけを持って、まめじぃに報告した。


「だめでした。准看の過去問しか手に入りませんでした」


「いやいや、よくやった。上出来じゃ」


 表情が全く読めないまめじぃ、なんだか嬉しそう。

 

「ワシが試したかったのは、入手できるかどうかじゃなくて、どこまで行動できるかどうか。七海さんは、いま自分ができることを全部やったという自負はないか」


「ありますよ。あるけど、結果これだもん」


「結果がこれでも、七海さんの行動したことに意味はある」


 そう言いながら、まめじぃは、ふたつの封筒と、二冊の本を七海に手渡した。


「これは、それぞれの学校の過去問題と、書店で手に入る市販の過去問題集。まずはこれを解く。解けなくても、問題を読んで、解こうとすること。手が出なくても、問題文を読んで、意味のわからない箇所に線を引くくらいできるじゃろう」


「・・・」


 七海は、目の前に揃っている過去問題と問題集を見て、声が出なった。心の中ではこんなことを言っていた。


―――あるんかーい!全部そろとるんかーい!わたしが買った本まであるんかーい!


 なんて意地悪な人!私の本気を試すために、わざと探させたの?わざわざ?仕事だってあるのに。最低な人じゃない?と、「自分の人生なんだから」と決意した数日前のじぶんはどこへやら、七海は怒りの気持ちを抑えきれずにいた。これはもう、黙っていられない。


「あのね、わたしが動き回らなくても、最初からあるんだったら、そう言ってくれませんか?わたし問題集も自分で買いましたよ。何回も学校へ通って、警察まで呼ばれて。叱られて。人をからかって楽しんでいるんですか」


「ちがう」


 まめじぃの声は太く、重かった。


「これは、ワシが揃えたんじゃない。志桜里さんが集めてきてくれて、七海さんに渡してくれって。この全国の看護学校の過去問題集は、ワシが買ってきたの。プレゼント」


「え?しおりん?晴斗がいつも仲良くしてもらっている、あの志桜里ちゃん?」


「そう。第一話でちょろっとだけ登場した、片山志桜里さんは、七海さんの影響を受けて、というか、七海さんの言葉に触発されて、看護師目指すって、ワシに言ってきた。そして過去問題は、彼女のツテで、手に入ったというわけ」


「なんでしおりん?わたしの言葉って・・・?」


―――せんせい、あのね、オンナがオトコの財布をあてにせず生きていくには、看護師は最強のお仕事なんです!


 高校三年生の片山志桜里は、雷に打たれたような衝撃を受けた。看護師!看護師か!その手があったか!


 彼女は小学生のころからまめじゅくに通う高校三年生。七海の息子である晴斗とは、九歳も年齢の離れた親友であった。

 小学生の、異性の親友。まさか志桜里はそんな相手ができるとは思ってもいなかった。おそらく、晴斗の尋常ではない賢さと、学習意欲に、自分にはないものを感じ取り、年下ながら「尊敬の念」を抱いたことが大きい。

 そして志桜里自身のコミュ力もあったと思う。高校三年間、コミュニケーション能力をひたすら磨いてきた自信だけは、ある。


 志桜里は、彼女が幼い頃に両親が離婚した。この点、晴斗と同じである。そういう共通点も、ふたりが仲良くなるきっかけだったのかも知れない。

 

 両親が離婚した後は、母とふたりで仲良く暮らしていた。母は家にほとんどいなかったが。それでもそれが普通の生活になっていた。


 ところが、小学五年生の夏休み、とつぜん知らない男の人が家に来て、新しいお父さんだと聞かされた。知らない男の人と一緒に暮らすのは、十一歳の志桜里にとって、決して幸福な事ではなかった。いつも家にいない母が、家にいる時間が長くなったことだけが、唯一の「いいこと」だった。


 新しいお父さんだと称する謎の男は、母が仕事に出かけてからも、ずっと家にいた。料理をするのはわたし。掃除をするのもわたし。洗濯物も全部わたし。

 夏休みだから、ぜんぶ自分でやるのは当たり前なんだけど、というより夏休みでなくても、家事はずっとこなしている。

 だけど、この知らない男は、朝から晩までひたすらテレビの前でビールを飲んでいる。誰だおまえは。ビールが主食のビール男か。 

 

 一緒にお風呂に入ろう?私のカラダをベタベタ触るな。オマエのおもちゃじゃないんだ。エロ本をその辺に置きっぱなしにしないでほしい。変なDVDもわたしの前で見ないで欲しい。とにかく、苦痛でしかなかった。お母さん、どうしてこんな男を連れてきたの?コイツは一体、何なの?


 変態ビール男が家に来て一カ月ほどして、母のお腹が大きい事に気づいた。弟が生まれるという。ちょっと待って。聞いてない。わたし、弟が欲しいなんて言ってないし。どうせ面倒みるの、わたしでしょう?


 ところが、母が弟を出産してからというもの、変態ビール男は、朝から仕事に出かけるようになった。母は仕事に行かずに家にいるようになった。最高か。

 赤ちゃんは、まあ可愛いし、お母さんは二時間おきにミルクをあげたり、おむつを替えたり、大変。

 変態ビール男だけは夜中起きないけれど、わたしとお母さんとで交代でおむつ替えをしたり、ミルクを人肌の温度までさまして飲ませてあげたり(母は母乳が出なかった)、背中をトントンして”げっぷ”させたり、寝不足で眠かったけれど、それでも毎日充実感はあった。変態ビール男がうざいこと以外は、まあ、よかった。


 しかし弟が成長するに従って、わたしはこの家にいること自体が苦しくなってきた。

 変態ビール男は、血のつながった息子の誕生により、勤勉な労働者に変貌し、息子を溺愛した。「一家の長」であるかのように振る舞いもした。

 母親は、家にいるようになり、せっせと長男の服を自作したり、愛する息子とおさんぽやおでかけをしたりして、そのときの写真を家中にペタペタ貼るようになった。わたしの幼い頃の写真なんて、見たことが無かったのに。

 

 あれ、わたし、居場所が、ない。


 その頃から、わたしは、はやく家を出たい。そればかりを考えるようになった。でも、どうやって。


 地元は好き。神都市は大好き。神宮にお参りすると心が安らぐし、空気がきれい。水もおいしく、まち全体がのんびりしていて、居心地がいい。友だちもいっぱいいる。親友の晴斗もいる。

 前に住んでいたところは、都会だったけれど、空気も水も、そして人も、汚れていたと思う。お父さんはお母さんの髪の毛を引っ張っり倒して、怒鳴ってばかりいた。朝から道端で酔っぱらって寝ている人を何人も見た。

 ここは、おしゃれなお店はほとんどないけれど、美しいまちだ。朝隈山の頂上からの景色は、絶景という表現がこれほどふさわしい場所は無いんじゃないかとさえ、思っている。天気のいい日は富士山が見える。三重県なのに。


 でも、家からは出たい。全寮制の高校に通いたかったけれど、お金がないからと、自転車で通える近くの県立高校に進学した。

 高校を卒業したら、ひとり暮らしをする。これは決定事項だった。でもそれで思いついたのは、アルバイトをいくつも掛け持ちするフリーターだけだった。

 

 あのとき、はる(晴斗)のお母さん、七海さんがまめじぃに向かって放った言葉がなかったら、わたしは、看護師という言葉にまったく反応しなかっただろう。


 母のように男にぶらさがって生きるのは、いやだ。じぶんの力で、じぶんひとりで生きてやる。

 「看護師は最強のお仕事なんです」って、七海さんかっこいい。自分でも調べてみたけれど、学費はアルバイトと奨学金で何とかなる。生活費だって、医師会所属の病院で働けば、寮に入れるし、何とでもなる。

 看護師にさえなってしまえば、苦労は多いかも知れないけれど、それでも「自分の力で生きていける」はずだ。


 もう、決めた。わたしの居場所は、わたし自身でつくるんだ。看護師だ!


 こうして片山志桜里は、七海と違い、まめじぃに言われる前に、自分で気づいて、過去問を探し回った。


 志桜里の場合、力強い味方がいた。それは「友だち」だ。彼女は高校入学時、心に決めたテーマがあった。それは「広く・浅く・誠実に」。どういうことか。

 八方美人とは違う。でもできるだけ幅広く、友だち関係を広げようということだった。特定の決められたグループで、例えば三人グループだったら、たぶん長持ちする。いつも三人でお弁当を食べて、いつも三人でおしゃべりする。それはそれで、気楽でいいだろう。でもそれだと、自分の成長が無いような気がした。


 いろんな考え方を持った人と接したい。自分には無いものを持った人から、いろんなことを学びたい。そう考えた志桜里は、高校三年間で、ひとりでも多くの仲良しさんを増やそうと、男女構わず先輩後輩関係なく絡みまくった。


 部活動は、新聞部にした。理由は、学校内のいろんな人と絡めると思ったからだ。特定の部活動に所属すると、そのメンバーとだけ仲良くなることが多い。部活をまたいでの交流もあるにはあるが、例えば陸上部だと、陸上部員同士でつるむことがやっぱり多い気がする。

 その点、新聞部は、いろんな部活動をはじめ学校内の出来事を取材できるため、この三年間で仲の良い友だちがたくさん増えた。取材ばかりしている志桜里の事を知らない生徒はいなかったし、彼女自身も学校内で知らない顔は無い、くらいになっていた。

 さらには「高文祭」と呼ばれる、他校との交流を深める文科系の部活動の祭典があり、この活動を通じて、さらに学校外の友だちもたくさんできた。正式名称は「全国高等学校総合文化祭」という。

 もっといえば、学校の外を飛び出して、市長さんにインタビューをしたこともあるし、地元のイベントにも出向いて取材させてもらったことも何度もある。社会人の知り合いも多いのだ。

 新聞部の活動によって、志桜里のコミュニケーション能力は、飛躍的に成長した、と本人は自負している。

 

 こうして、偶然ではなく、本人が高校入学時に決めた明確なテーマに従って、彼女には「親友」とまでは呼べないけれど、普通に気軽に連絡を取り合える友だちは、三百人を軽く超えていた。


 片山志桜里は、「人脈」という、彼女が高校三年間、心血を注いで築き上げてきた最大の武器を生かして、過去問の入手を試みた。


 「神都市医師会准看護学校」の過去問題は、すぐに手に入った。一学年上の先輩のひとりが、受験していたからだ。捨てずに取っておいてよかったと、わざわざ自宅まで届けに来てくれた。


 「神都市保健衛生専門学校」も、友だちのお姉ちゃんの知り合いの友だちという、志桜里もまったく知らない人から、いいよ、あげるよ、と申し出てくれ、あっさりと入手できた。これをミニストップでコピーして―――ミニストップはコピー代が安いから本当に助かる―――七海さんに渡そう―――ああでも、と志桜里は逡巡した。


 もし志桜里から直接、七海に過去問を手渡す場合、どう言えばいいんだろう。七海さんのあの言葉に感動しました。なんて言うんだろうか。憧れの人に直接そんなこと言えないなあ。どうしよう、と志桜里は悩んだ挙句、まめじぃを利用させてもらうことにした。


 学校帰りにまめじゅくに立ち寄った志桜里は、さっきコピーした過去問題をまめじぃのデスクの上に置いた。そしてまめじゅくでコピーすればタダやんと、今さらながら、後悔しつつも、言った。


「まめじぃ、あのさ、これ、私からって言わないでね。七海さんに渡しておいて。それで、わたしもさ、看護師になるから。七海さんに、言わないでね。言ったらぶちのめすからね。内緒で、渡しておいて」


「渡すけど、内緒はいやじゃ」


「ええーなんでよう。ダメやんイヤやん恥ずかしいやん」


「やんやんうるさい。ワシからうまいこと言えばいいじゃろうが」


「うん。じゃあ頼みます」


 そう言って志桜里は、そそくさと帰って行った。あれ?勉強はしていかないのか、とちょっと寂しそうな背中で、まめじぃはその過去問を改めてコピーして、折りたたんで、封筒に入れた。

 

 志桜里は、家庭に居場所が無い分、外に求めた。


 最初は、まめじゅくが、大切な居場所だった。


 高校生になった志桜里は、もっと世界を広げたいと思った。


 自分の「我」を捨て、とにかく人の役に立つことだけを考えて、みんなのために駆け回っていた。新聞部の活動を通じて、仲間を増やし、友だちをたくさんつくって、それを自分の財産にしようと考えていたし、実際にその努力が、いま、実を結んだ。


 人のため、人のため、と自分を後回しにして、人のことばかりを考えていくのはしんどい。自分が何なのか、わからなくなる。自分がからっぽになった気分になる。


 しかし、それでも志桜里は「人のため」を貫いた。なぜなら、それこそが、自分の存在理由で、最大の武器だと思ったからだ。部活動で活躍している人たちの取材だけでなく、レギュラーに入れなかった補欠部員たちまで細やかに連絡を取り、話を聞き、その部員が陰でどんな努力をしているか、目立たないながらも、みんなを支えている事などを記事にして、学校中の好評を得た。


 ほんとうは、志桜里は小説が大好きで、特にBL系がたまらなく好きで、ほんとうは部屋に籠って小説をずっと読んでいるのが大好きだった。でも、そんな自分の「我」を通していては、たくさんの友だちはできない。せいぜい、同じ趣味を持った仲間が数人できるくらいだろう。


 それじゃだめだ。「我」は捨てよう。じぶんが好きなものに執着しちゃいけない。みんなが好きなものに目を向けよう。共感しよう。応援しよう。


 それが正解かどうかはわからない。でも居場所のないじぶんが、居場所を得るためには「我を通す」ことなんて、邪魔だと考えていた。本当はそうではないのだとも思う。我を通していい場面もあるんだと思う。でも、わたしには、わたしには、これしかない。我を消して、ひとりでもたくさんの人の役に立つ。そしてたくさんの友だちを得る。それでしか生きていけない、と彼女は信じ込んでいた。


 そんな片山志桜里にとって「看護師」という職業は、願ってもない道だった。もともと面倒見の良い性格で、人と接することもこの三年間で得意になったと思う。言われたことをきちんとこなしていける自信もあるし、自分で考えて行動することも、できると思っている。判断力、洞察力、責任感、人に言葉で伝える力・・・新聞部で培ったことは、無駄ではないと信じている。勉強もキライじゃない。


 でも・・・志桜里には、もうひとつの、大きな夢があった。


つづく

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