第3話 緊急ミッション、校門前ナンパ大作戦

 「過去問を入手できない」という事実に直面した七海。出勤前の慌ただしい時間帯、急いでまめじぃに電話をかけた・・・が、出ない。ああもう。仕方がないのでメールで伝えた。「撃沈」とだけ。

 仕事の合間のお昼休憩にスマートフォンをチェックすると、まめじぃからの返信はひとこと。


「え?何が?」


 ああもう。説明するのも面倒だ、こうなったら―――、と決断した七海の行動力は尋常ではない。午後の勤務を早めに切り上げさせてもらった七海は、急ぎ神都市医師会准看護学校へ向かった。


 「過去問題をどうやったら入手できるのか、知恵を貸して欲しい」という相談を学校へ直接出向いて、元気よく訴えているひとが、いま、目の前に、いる。

 神都市医師会准看護学校の事務職員としてもう二十五年働いているが、こんなことは初めてだと、丸山由紀子は困惑していた。


 非公開ですと繰り返し伝えているにも関わらず、どうしてこのひとは一歩も引こうとしないのか。相当冷たい態度であしらったつもりなのに、十年ぶりに再会した友人に会うみたいな笑顔で、そこを何とか、なんて食い下がってくる。

 自分の娘と年齢はそう変わらないくらいだろうか。三十歳になるかならないか、だろう。笑顔が素敵だな、でも言っている事は理不尽すぎるだろう、と心が落ち着かなかった。

 しかし努めて冷静に、できるだけツンケンした態度で、相手があきらめてくれるように、同じセリフを繰り返した。


「規則で決まっているので」


 それでもこの海野と名乗る女性は、あきらめない。


「もちろん。規則で非公開なのはわかりましたよ。でも、何とか入手できる方法はないかと、そこを一緒に考えて欲しいんですよ」


 ―――そんな勝手なこと言われても!


 由紀子は、心をかき乱された。何なのよいったい。冷静さは失われ、思わず本音がこぼれ落ちた。


「それじゃ非公開の意味ないでしょ?受けた人から見せてもらうんなら、こちらも防ぎようはないけど」


 ―――アドバイスしちゃった。


 由紀子は自分の言動に驚いた。海野と名乗る人は、おひさまみたいな笑顔で


「それだ!ありがとうございます!失礼します!」


 と元気よく走り去って行った。由紀子はやっといなくなってくれて、ほっとした、と同時に、またあの人に会いたいな、とも思った。


 そうしたら、次の日、また会った。授業が終わり、放課後となった午後四時十五分。ふと窓の外を見ると、彼女は学校の校門前で学生一人ひとりに話しかけている!何をやってるの!?小走りに廊下を駆け外に出る。


「ちょっと、あなた、何をしているんですか!?」


「あ、昨日はありがとうございました。何をしているかって、在校生の方でどなたか過去問を見せてもらうことはできませんか、って、声をかけてます」


「許可していませんよ?」


「ビラ配りじゃないですし、大丈夫です」


「大丈夫かどうかは、学校が決めることです!ちょっと事務所へいらっしゃい!それか警察呼びますか?」


「どうぞ呼んで下さい。客引きしているわけじゃないし。過去問が非公開なんだから、仕方ないじゃないですか。それに、あなたが教えてくれたんですからね」


「ちがいます。校門前で声を掛けなさいとはひとことも言っていませんよ。いいから事務所にいらっしゃい。学生たちもみんな忙しいんだから」


 うぬぬ。こりゃあ作戦失敗だったか、と、七海は心の中でつぶやいた。四十人も学生がいれば、放課後に毎日声を掛け続ければ、四・五人くらい、友だちをつくる自信はあった。葬儀社のアルバイトの時間を早めに切り上げさせてもらって、数日間は校門前でナンパするつもりだった。


 昨日の夜、改めてまめじぃに相談し、一緒に作戦を立てた。まめじぃは別ルートで過去問を入手できないか探ってみると言ってくれたが、それに甘えていてはいけない。私の受験なんだから。私の人生なんだから。そう自分に言い聞かせて、「校門前ナンパ大作戦」を決行した。

 

 結局、由紀子がカンカンに怒って、強引に七海を事務所に連れ込む形となった。七海は事務所の応接セットの椅子に座って、神妙な顔つきで、しょ気ている。いや、しょ気ているふりをしているだけではないか、由紀子は勘ぐった。でも、なぜか七海のためにコーヒーを淹れている。

 

 由紀子本人もわかっていない。このコーヒーは、由紀子が心の中で王子様と崇めている、神都市医師会の会長で、准看護学校の校長でもある、松原先生のために買っておいた、とっておきのコーヒー豆だ。なのになぜ、いま、こんなわけのわからない小娘(六十五歳の由紀子からすれば、三十歳くらいの女性は小娘だ)のために、このコーヒーを淹れているのか、自分自身がわかっていない。

 

「あのね、海野さんでしたっけ?あなたみたいに勝手なことされると、本当に困るの。なぜそこまでするの?」


「すみません。どうしても合格したくて」


「以前はね、過去問題も配布はしていたのよ。オープンスクールに参加してくれた人だけに、学校案内のパンフレットと一緒に配っていたの。でもね、その過去問題を無断で使用して、商売をしている輩がいることが判明してね」


「えっ、それ塾の先生ですか」


「そう。無断でそのまま転用して、有料で販売していたの。悪質でしょう」


「まさか・・・その塾って・・・」


「東京の看護専門予備校で、名前は忘れたけどね・・・」


―――ああ、まめじぃじゃなくてよかった。


 七海はホッとした。


「わかるのよ。過去問題があれば、受験生は助かるもん。配れるなら配ってあげたいわよ。でも、そういう外道なことをする人がいる以上、こちらも厳しいルールで対抗しないといけなくなったのよ」


 なるほど、と言いそうになったそのとき、由紀子の頬が赤く染まり、みるみる笑顔になっていくのを、七海は見逃さなかった。由紀子の目線の先には、四十代くらいのスーツ姿の男性がいた。開け放たれた事務所の入り口に立っていた。


「あら~松原先生~」


 由紀子の声が、何オクターブも急上昇した。椅子から立ち上がり、そそくさと事務所の入口に向かう。


「いえね、ちょっと由紀子さんに用事が・・・来客中でしたね」


「こんにちは!」


 七海は勢いよく立ち上がって、元気よく挨拶をした。松原は笑顔で右手を挙げた。


「やあ、こんにちは」


 松原は、神都市医師会の会長としても、准看護学校の校長としても、まだ就任したばかりだった。実際の年齢は六十二歳だが、見た目の年齢は四十代、いや三十代後半といっても通じるかも知れない。

 由紀子が「王子様」と崇めるのは、そのスタイリッシュで若々しい外見と、気さくさ、そして神都市内でも有数の総合病院の二代目院長(ボンボン)である、という由紀子の大好きな要素がてんこ盛りに詰まった男性だったからだ。

 七海も相当な面食いでジャニオタであるが、そんな七海でも、すてきな男性だな、と初見で思わせる魅力があふれ出ていた。


「由紀子さん、あとでちょっと相談したいことがあって。それよりお客さんはもしかして、受験希望ですか?」


「はい!海野七海と申します。わたし、どうしても合格したくて。それで、どんな手段を使ってでも過去問をゲットしたいと思い、ご相談に伺いました。そうしたら、こちらの職員さんから、学生から見せてもらうのはどうかとご提案頂いたので、校門前で学生さんに声掛けをしていたら、めっちゃ怒られました」


 由紀子は七海の発言に反論したかったが、口がアグアグ動くだけで、言葉が出なかった。松原はクスクスと笑って、丸山由紀子に伝えた。


「由紀子さん、一部コピーしてあげて下さい」


 王子様の高貴なお口から、信じられない言葉が発せられた、あわわ、なんてこと。六十五歳の由紀子は、動揺を隠しきれなかった。こんなことあっていいわけがない。

 

 松原は説明した。


「実はね、過去問題を欲しいという人には、配っていいようにしようって話になったんですよ。その代わり、ちゃんと学校まで取りに来てくれて、無断転載しません、著作権を守ります、という書類にサインしてもらうことを条件とします」


 七海に再び、おひさまみたいな笑顔が復活した。心の中では、よっしゃあああ!と叫んでいた。ナイスだおっちゃん。とは声に出しては言っていない。


 由紀子は動揺した声で松原に聞いた。


「そんな決まり、いつできたんですか。わたし、聞いていませんけど」


「だから、その相談に、いま来たんだけど、いいよね、由紀子さん」


 いやんもう、そんな甘い声でわたしの名前を呼ばれたら、断れないわよ、とは由紀子も言えない。いいよね、由紀子さん、ああ、そこ録音させて欲しかったあ~由紀子の妄想世界では、いま、白馬に乗った松原王子に抱きかかえられて、いいよね?と言われている、花柄のかわいいドレスを着た自分がいた。


「由紀子さん?」


 松原が聞き返しても、丸山由紀子は妄想の世界から抜け出せない。六十五歳になっても、妄想癖というものは、止まらないのだ。


「はっ、失礼。先生がおっしゃるなら、わたしは別に・・・」


「ありがとう。由紀子さん。他県の学校では、有料で販売したり、ホームページから自由にダウンロードできたり、過去問の扱いは色々だけどね、結局、非公開って意味ないんだよね。禁止すればしたで、裏でコソコソ取引する人が出てくるのでね」


「はっ、はい」


 由紀子は直立不動だ。目がハートマークになった直立不動の六十五歳というのも、なかなか見られるものでもない。


「その点、堂々と校門前で過去問を教えてくれと学生に聞いて回るって、あなた、海野さん?すごいねえ。その行動力があれば、きっといい看護師になってくれるね。期待していますよ」


 予想もしていない言葉を松原から投げかけられ、しかし七海は元気よく返事をした。


「はい!ありがとうございます!」


「由紀子さん、はい、これ、書類渡しておくから、こちらに記入してもらって。すごいタイミングで来たねえ海野さん、持ってるねえ」


 松原はそう言って、丸山由紀子に書類を渡した。中には、著作権に関する説明書きや、過去問題を他に転載や流布することはしませんという事に関する同意書が入っていた。


「ところでさ」


 松原は言った。


「海野さんは、どうして看護師を目指そうと思ってくれたの?面接じゃないからね?差し支えなければ教えて欲しいなと思って」


「あっ、はい。うちの子が行きたいと思う大学へ行かせてあげたくて、あっ」


 あっ、しまった。やっちまった。こんな自分勝手な理由を、まさかこれから受験する学校のボスにバラしてしまうなんて。やっちまった。落ちた、と七海は思った。


「いや、いいと思うよ。困ってる患者さんのために、なんて言われるよりずっといいよ。お子さんのためにね。それ以上強い想いは無いもんね。素晴らしいと思いますよ。しっかり稼いで欲しいです」


 松原の意外な答えに、七海はきょとんとするしかなかった。


「では、わたしはこれで失礼しますね。由紀子さん、それ、よろしくね、海野さん、ありがとう、応援してますからね。じゃあ」


 そういって、松原はさわやかに事務所を出て行った。


「ちょっと待ってて。今からコピーしてくるから。よかったわね、海野さん」


「はい!ありがとうございます!」


 こうして七海は、著作権に関する書面に同意のサインをして、過去問を入手した。


 やっと一歩が踏み出せた。受験勉強は過去問を解くことから始まる。普通の高校受験や大学受験では、過去問があることは当たり前だけれど、看護学校の場合は入手が困難な事も多い。

 もっと過去問題がオープンになれば、それだけ不正に流出なんてしようがないのだから、ホームページから無料でダウンロードできる学校は、素晴らしい取り組みをしているんだと、七海は思った。


 さて、次は正看護師の方だ。七海の次のミッションは、三年制で、正看護師を養成するための学校「神都市保健衛生専門学校」の過去問の入手であった。

 

つづく

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