第3話

 修業が始まって数か月。ヒルダの厳しい指導に何とか耐えてきたナハトだったがその我慢も限界に近づいていた。何せ朝から晩まで休むことなくの訓練の日々、ナハトの唯一の生きがいといっていい読書の暇さえもない。寝る前に読もうにも毎日限界まで疲れ果てているためにすぐさま寝落ちしてしまっていたのだ。ストレス解消できるわけもなくイライラだけが募っていく。


「そろそろ薬草集めも終わりにしょうかね。次は調合の基礎から―――」

「も~げんかいだよばあちゃん! こんなこと続けたらぼく死んじゃうよ!」


 初歩の初歩たる薬草集めがようやく終わり、いよいよ本命たる調合へと移行しようとしたその日、ナハトはついに爆発した。家の自分の布団に潜り込んだままその場を動こうとしない。ヒルダに睨まれようが怒られようが徹底的に抵抗をする。


「今更何を言ってんだい! ほら起きな!」

「むり、おきない。もうやらなくて良いって言ってくれるまでここから動かない!」

「あんたが言い始めたことだろうに。そんなんじゃ勇者なんて夢のまた夢だよ!」


 駄々をこねるナハトにヒルダは呆れ気味だ。ナハトにとってみれば確かに厳しかったかもしれない修行だがそれはとしての修業の基礎部分。本命たる呪術師の修業もナハトの希望たる勇者を目指すための鍛錬にもまだ一歩も踏み入れてない状況。体力づくりの一環をかねての薬師修業だったのだがこの基礎段階で躓くのはヒルダとしては予想外。彼女の孫は予想以上に貧弱だった。


「体力とか当初に比べたら随分とついてきたじゃないか」

「どうせぼくにはむりだったんだよ…わかってたんだ、じぶんでも」

「大丈夫、成長してるよ。まだこれからってところだよ、もう少し頑張ってみな」


 手段を変えて褒めて持ち上げてみても全く響かない。そればかりか卑屈な言葉が出てくる始末。さすがにこのままではまずいと考えたヒルダは頭を悩ませる。ここで修業を止めてしまうのはナハトの今後を考えた上でもどうしても避けたかった。まだまだヒルダは現役のつもりだが歳のことを考えれば今後どう転ぶか分からない。もし一人で生きることになっても困らないように修業のついでとして薬師などの技術を教え込もうとしていたのだ。時間の制限は確かにありこのままでは何一つ伝えることが出来ない。


「ばあちゃんだって前に言ってたじゃないぼくには勇者はむかないって」

「確かに言ったかもしれないけど、呪術の方が向いているということを伝えたかったんだよわたしは―――」


 前に自分がぽろっと溢した言葉がブーメランとして返ってくる。危機的状況だったがその言葉によって閃くものがあった。それは咄嗟の思い付きであっても確かな事実。


「よし計画変更だよナハト。薬師の修業は一端やめて呪術師の修業を始めようじゃないか!」

「…ばあちゃん、ぼくはしゅぎょうをやめたいって話をしているんだよ。どうしてそうなるの?」


 どこか呆れたようなナハトの言葉に対してもヒルダは不敵な顔を浮かべたまま言葉を続ける。


「あんたが嫌になってる理由は結果が全くでないから。違うかい?」


 その質問にナハトはグッと押し黙る。それがまったくもってその通りだったからだ。ナハトとしてはここ数か月すごく頑張ってきたつもりだ、だがその努力に見合うほどの成長が全く感じられない。それがとても悔しくて悲しい。そんな状況が毎日続けば嫌になっても仕方がない。


「図星みたいだね。わたしも悪かったよ、あんたの気持ちに気づいてやれなくて。だが安心しな呪術師の訓練であれば間違いなくすぐ成長できる。その才能があんたにはある! わたしが保証してやるよ」


ヒルダはナハトに呪術師と才能がある事を確信していた。あってほしいという望みではなく確かな事実。呪術師としての基本は少しずつではあっても今までも伝えてきていた、その習得速度は確かなもので才能を確信するには十分な根拠。助長させてはまずいかと今まで面と向かって伝えることはしてこなかった。だがこの時がナハトの今後を決める分岐点。誤魔化すことなく正面から伝えた。


 強く言い切ったヒルダの言葉には強く惹かれるものがあった。『才能がある』なんて生まれてきてからはじめて言われたかもしれない。つよく心動かされるその言葉。それに耳を傾けそうになって、ふと思い出した。


「ぼくは呪術師になりたいわけじゃないよばあちゃん。なりたいのは」

「あんたの言いたいことは分かる。わたしは分かったうえでいっているのさ」


 根本的な望みそれは今の話とは別物で。心が再び沈んでいくのが自分でもわかる。

―――ただそればそのあとの祖母の言葉を聞くまでの間で。


を倒せるほどの。そういってもあんたの気持ちは動かないのかい?」


』という敵対者が確かに存在する世界。そんな世界でそれを倒せる存在正義があるとすれば―――それは間違いなく…。


その言葉を聞いた日からがナハトにとっての本当の修業と言えたのだろう。ヒルダの言葉通りに彼には呪術師の才能が確かにあった。どんどん知識を吸収し成長していくナハト。その成長が早ければ早いほど次に課される修業の難易度は跳ね上がっていく。それでもナハトは負けずに食らいついていった。確かな成果と目指すべき目標が出来たこと。それはナハトの気持ちを前に向かわせる原動力となっていた。気持ちが変われば行動も変わる。並行して行われることになった薬師の修業と鍛錬もまた少しずつであっても継続されていくことでナハトを成長させていった。




――――あれから数年。無事修業をやり遂げたナハトの現在は大きく変化を迎えていた。

 自宅兼薬師の店舗となっているその場所で独り、彼は薬の調合に取り組んでいる。その近くに師であり唯一の肉親であった祖母ヒルダの姿はもうない。あるのは在りし日の家族を映した写真が一つだけ。

 

 ナハトがすべての修業をやり遂げた時、ヒルダは滅多に見たことのないうれし涙をその目に浮かべナハトを抱きしめた。それに驚いたナハトは気恥ずかしがったり感極まったのか自分も泣いてしまったりと大慌て。ただそのしばらく後は何時も通りの態度で。だからこそそれは突然だった、その明くる朝、眠るように天へと祖母が旅立ってしまったことは。


 もちろん彼女がなくなってしばらくは茫然自失の毎日。それからようやく立ち直ったナハトが始めたことは村の薬師としての立場を継ぐこと。そのための知識も技量もすでにナハトは持ち得ていた。もろもろの引継ぎを終えての再出発。


 これが日常といえる状態まできてふと思うこと。呪術師としても薬師としても一人前となった今であっても変わらない。


「ばあちゃん、やっぱり僕は勇者なんかにはなれそうもないや」


 呪術師として一人前にはなれた。彼の祖母が言っていた『魔王を倒せる力』は確かにあった。ただそれは思っていたそれとはだいぶ違ったもので。彼がそれを使おうなんて思える日が来るとは到底思えない。なにせ今でも彼はが大嫌いなのだから。





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