第8話 逃げられなかったその後

 絞り出すようなジュリアン様の告白を、私は懸命に理解しようとした。

 目の前にいる人はジュリアン様だけど、私の知っているジムでもある?

 たしかに似てるけど目が違うわ。それに……


「ジュリアン様はジムよりも逞しく見えます……」


 しかもさっき私が落ちた時、彼はとっさに上から飛び降りて下で私を受け止めたのだというのだ。

 嘘でしょう? と、泣きたいような気持ちで私がそう言うと、前髪をかき上げたジュリアン様は少し苦笑いのようなものを浮かべた。


「妖精の目の時は人並みの体ですが、満月前後には妖精の力が身体に現れるのです。おかしな話でしょう」


 彼の特殊な先祖返りは、何もかもが普通とは違ったらしい。

 ひと月のあいだに妖精の特徴が半々で現れるなど、めったにないことなのだそうだ。しかも見た目と特徴が真逆に現れることなど、ほかに聞いたこともないという。


「じゃあ、本当にジムなのですか?」


 思い切ってジュリアン様のそばまで行くと、彼は少しためらってから私の手を取るとソファへと促し、一緒に腰掛けた。

 ドギマギするのは距離が近いからかしら。それとも彼の緊張がうつったから?


(ジュリアン様の手が氷みたいだわ。本当に緊張してるんだ……)


「はい。あなたと一緒にいたジムは私です」




 それからポツポツと語られたことは、私にとっては驚くことばかりだった。


 以前聞いたように、曾祖父の代から両家に結婚の話があったのは事実だ。しかし、両家共に代々生まれるのが男ばかりで実現しなかったという。

 その後ジュリアン様と年の合う待望の女児、つまり私が生まれたことで約束が果たされるかと思ったが、ジュリアン様の身体的な秘密のために(実際、それについてうちには教えなかったそうだけど)、次の代にと延期されていたという。


 でも今回お父様が伯爵家に泣きついたことで、恩返しの意味を兼ねて一時期に私を妻として迎えたふりをした。


「一時的ですか?」


 はじめて聞いた真実にパチパチと瞬きをすると、ジュリアン様は真面目な顔で頷いた。


「知らなかったと思いますが、あの頃借金を盾に、あなたによくない縁談が来ていたのです。それから逃れる手段として、身分的にも立場的にも私の妻になったと示した方が早いということでそれに同意しました。白紙にしていたとはいえ、もともと婚約する予定だったのは本当でしたから。こちらとしても妻を迎える予定などなかったし、一部の親戚を黙らせるのに都合がよかったのです」

「独身主義だという噂は本当だったのですか?」


 私が何のけなしに聞いたことに、彼は自嘲するように唇をかすかにゆがめた。


「人であれ妖精であれ、こんな半端な男のもとへ、好んで嫁ぎたい女性などいないでしょう。弱いものなら気が狂いかねない。そんな神経をすり減らす結婚をするよりも、養子なりなんなり、跡継ぎに関しては方法はあります」


 妖精ではなくても、彼の姿を見れば忌避する人がいることは容易に想像できた。

 

(でもジムが妖精であってもそうでなくても関係ない女性はきっといたわ)


 私ではなくても、私よりもずっと伯爵夫人にふさわしい人がきっといる。

 でもその人は立場だけが大事な人かもしれない。貴族としてはそれでいいかもしれないけれど、そんな女性はここにいる妖精たちを守ってはくれなかったのではとも思った。


「アン。本当は、妖精にまつわる秘密を教える予定はありませんでしたし、あなたの前での私は、あくまで家令のジムで通すつもりだったんですよ」

「さっきのフォールさんが、本物のジム、というか彼が本物の家令なの? 今までのジムは彼のふりをしていたということ?」


 ややこしさに眉を寄せた私は、うっかりジムに対するような話し方になってしまう。でもジュリアン様はほんの少し頬を緩め、「そのままで」と言った。

「いつもの話し方の方があなたらしいです」と。


 本物の家令であるフォールさんは、ジュリアン様の影の役割も担っていた。年は離れているけれど目元さえ隠してしまえばとても良く似ているため、必要に応じて入れ替わっていたのだそうだ。

 それでもジュリアン様が妖精の目の時に人前に出なくてはいけない時も稀にあるそうで、そんなときは最近都市で流行しているという黒い眼鏡をかけていたらしい。

 その姿を想像すると暗黒伯爵の名の通り、半端じゃなく迫力があっただろうことが容易に想像できた。それでなくても威圧感がすごかったもの。


(でもきっと、私がいるせいで余計に苦労させたんだろうな)


 きっと気の休まる暇などなかったのだと思うと申し訳ない。なのにジュリアン様は「アンには窮屈だったでしょう」と申し訳なさそうに言った。


「法的には、あなたはここのお客様なのですよ。夫人だと思っているのはジョアンナだけです。そのほうが都合がよかったので」

「でも式は上げましたよね?」

「ふりですけどね」


 あれは、本当に結婚したふりだったんだ……。


 しかもお父様だけはこのことを知っていた! うちを建て直すまでの間、伯爵家で丁重にもてなすと約束していたなんて、ほんと、嘘でしょう。

 きっと今はお兄様たちもそれを知っているに違いないわ。

 どうりで手紙を出しても反応が静かだと思った。


「実は図書室で顔を見られた時にバレたと思ったのです。まさかあなたが私の顔を全く覚えていないとは思ってなかったので」


 ああ。だからあの時私に聞きたいことがないのかって!


「だってお式の時は緊張してて、ジュリアン様の顔なんてまともに見られなかったんですもの」


 少しすねた言い方になってしまうと、ジュリアン様がクスッと笑う。そのさりげなくも温かい声が、私の中の蝶を震わせた。


「最初から話してくれたらよかったのに」

「そうですねぇ。そしたらあなたは大人しくしていましたか?」

「ええ、もちろん!」


 本気で頷いたのに、なぜか面白そうな顔をするジュリアン様は、やっぱり私が好きになったジムなんだと実感した。彼が小さく笑うだけで、私の中の蝶が忙しく羽ばたくのだ。おかげで胸がぎゅうぎゅうと痛くて苦しくてたまらない。


「信じてないわね?」

「どうでしょう」


 これは絶対信じてない。でもまあ、遅かれ早かれあの地下室に入ってしまったんじゃないかとも思ったから、多分彼の方が正しいのだろう。少し悔しいけど。


「でもね、アン。色々隠したし、騙すことにもなりましたが、これだけは信じて欲しい。あなたを私に……妖精に嫁がせるつもりなどなかったのです」

「でもジム、いえジュリアン様は妖精ではないじゃないですか。妖精でも構わないですけど」


 本当にどちらでも構わないんだ。

 そう思った瞬間、すとんと何かが落ちた気がした。


(そっか。そうなんだ。ジュリアン様がジムでも、彼が妖精でも人でも、全然関係ないんだわ。私はただ、目の前にいるこの男性が好きなんだから)


 目の前が開けた気持ちの私に、ジュリアン様が「構わないのですか?」と苦笑いする。信じてないんだろうな。


「構わないですよ? 私は妖精が好きだもの」

「それではまるで、私の妻になってもいいと言ってるように聞こえます」


 そんなわけないでしょうと言ってるような声にムッとして、私は彼の顔をじっと見上げた。

 少し吊り上がった目。無表情になると怖く見えるくらいなのに、今は少し怯えたように見えるから不思議だ。

 彼が否定しながらも息をつめて私の答えを待っているのだと気づき、なんだか自分がすごい存在になったような気がした。だってこの目は――。


「逆にお聞きしますけど、ジュリアン様は私を妻にしたいと思うのですか? それに今夜、本当は何をしにいらしたの? ジョアンナは初夜を迎えるのだと思い込んでたんですよ」


 少しだけ声が震える。ぶっきらぼうになってしまったけれど、期待と不安で胸が締め上げられて呼吸もままならなかった。


 私の勘は当たってる? それともこれはただの願望?

 ねえジム……。本当はあなたも私と同じ気持ちだった?


 息を詰める私の前で、初夜の単語に絶句したらしいジュリアン様は、数回口をハクハクさせた後、「ちがう!」と言った。


「違う、違います。ああ、だから逃げようと。――違うんです。私はただ、この姿を見せて本当のことを話そうと思っただけです」


 順序を間違えたのだと、あまりにも絶望した彼の顔に、体の内側からプクプクとあわだつように笑いがこみ上げてくる。

 ああ、なんて可愛い人なの。


 でも一生懸命笑いをこらえている私の顔を見たジュリアン様は、どうやら怒っていると勘違いしたようだ。


「アン。――いえ、ヴィアンカ。許して下さい。誤解なんです」

「それは初夜が? そうですよね。別に私と結婚したいわけではないわけで」

「結婚したいです!」


(えっ?)


 かぶせ気味に大きな声を出したジュリアン様は、コートのポケットから小さな箱を出しながら私の前にひざまずいた。


「受け入れてもらえるなどと甘いことを考えてはいない。でももう、あなたから違う名前で呼ばれることに耐えられないのです。万が一、すべてをあなたが受け入れてくれるなら。――ヴィアンカ、どうか私の妻になってもらえないだろうか」


 言葉とは裏腹に、こちらを見る彼の目には断られる覚悟が見える。

 驚きすぎて頭が真っ白になったまま視線をおろすと、彼の差し出した箱にはきれいな宝石がふたつが収まっていた。


「これは昔、我々のひいお祖父様たちが共に見つけた石です。両家の婚姻が結ばれる時、これを身につけるもの、例えば指輪などに加工するよう言われてきました」


 とっさにこぶしを握ったのは、私の手が普通の令嬢のようにきれいじゃないからだ。


「でも私の手に指輪なんて似合いません。知っているでしょう」


 素敵な求婚に水を差す自分が恨めしい。

 こんなときごく普通に当たり前の令嬢だったらと思わずにはいられなかった。

 なのになぜかジュリアン様は少しだけ目を見開いた後、にっこりと笑ったから心臓が止まりそうになる。


(本当にもう! 表情だけで私を殺す気なの?!)


「なんで笑うの?」

「だって、アン。まるで断る選択肢がないみたいじゃないですか」

「だってないもの。意地悪ばかり言うと泣くわよ」


 言いながら目が少し潤んだのに、私を見たジュリアン様が髪をかき上げながら面白そうな目をする。


「なかせてみたいと言ったでしょう。ただし私の腕の中限定ですが。答えは【はい】だと思ってもいいですか、アン。心の底から、あなたを愛してます」


 私がすぐに返事が出来なかったのも、彼の胸に顔をうずめて泣きじゃくったのも、全部全部ジュリアン様のせい。甘い声であやすから、涙がなかなか止められないんだもの。


「わ、わたしだって、ジムでもジュリアン様でも、妖精でも人でも、あなたのことが好きで好きで、一番誰よりもいっぱい愛してるわ」

 だから

「求婚をお受けします」




 初夜から逃げようとした夜、私は世界で一番好きな人と結婚することになった。

 順番が色々違ってしまったけれどまずは――


「誓いの口づけからやり直しましょうか」


 夫の提案に反対する理由なんて、全然ないわよね。



 その後改めて私たちは正式な結婚式をあげた。

 お兄様だけはすべてわかってたとばかりにニヤニヤしていたのが解せないけど、祝福されてるのは間違いないのでよしとする。


 余談としては、結婚後ジュリアンは人の目のままである時間が徐々に増え、二人のあいだに子どもが生まれるころには妖精の目になることはなくなったのだった。


 イノスがぼそっと、

「ジムがやっと大人になったんだ」

 と呟くので笑い転げてしまうけど、ジュリアンには内緒。

 きっとこれが愛の力ってやつなのよ。ね?


fin

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初夜から逃げる5分前 相内充希 @mituki_aiuchi

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