第7話 似てる?

(バカね。ジムなら落ちた私を受け止められるわけないじゃない)


 一瞬期待したなんて、泣きたいような笑いたいような気持になる。

 最後に会えたのかと思ったなんて。会ったとしてもどうにもならないのに……。


 なのに目を閉じれば、私を横抱きにしたまますたすた歩く伯爵様、もといジュリアン様は、声も話し方もジムなのだ。

 なんとなくジムよりも少し逞しい気はするし、見上げれば結婚式で見たあの目がそこにあるのは分かってる。

 

(もうこのまま目を閉じて、夢に逃避していたい)


 こんな早く見つかるなんて。




 意識が遠のきかけていた私は、しばらくの間夢うつつの状態だったようだ。

 なにか周りで話している声がしたり、明りを感じたので屋敷内に戻ったのだと感じたりはしたもののまるで現実味がない。そっと横たえられたあと医師らしき人に診察されているのをぼんやりと感じたものの、重い瞼を開けることも指を動かすこともできずにいた。


「――だから言ったではないですか。まずは説明からだと」

「言うな。わかってる。だが説明をしようと部屋に行ったらこの始末だったんだぞ」


 聞いたことがない男性の声と、ジム……ではなく、ジュリアン様の声。どこか焦ったようなジュリアン様の声にかぶせるような勢いで、もう一人の男性がわざとらしいくらい深いため息をついた。


「そもそも順序が違うのですよ、旦那様。事情を言えなかったことは重々承知しております。ですが今なら受け入れてもらえるのではと思ったのですよね。我々は喜んでお膳立てしたでしょう。なのに実際行ったのは言付け、しかも部屋に行くと一言ですか。はああ、情けない。だから奥様がおびえて逃げたんです。無理もありません。おかわいそうに」

「わ、私のせいなのか?」

「他にいますか? 分からないならはっきり言わせていただきますがね、今の奥様にとって旦那様は、ほんのひと時隣を歩いただけの見知らぬ男に他ならないのです。顔も覚えられていないのですよね? ――だと思いました。ああ、部屋に行くのがほんの数秒遅れていたらと思うとぞっとします。我が主が腰抜けなばかりに」


 嘆かわしいと、泣いているような声はわざとかしら。

 夢見心地のまま、なかなかひょうきんな人がいると感じた私の心がゆっくりと浮上していく。

 ジュリアン様がタジタジになっているようで、そんなことが出来るこの男性は誰だろう。そんなことを考えるともなく考えていると、ジュリアン様が苦々しい声で相手の名前を呼んだ。


「……ジム……おまえなぁ」


(え? ジム?)


 無意識に声にならない声が漏れ、私の指先がピクリと動く。ゆっくりと重い瞼を開くとまぶしくて、もう一度目を閉じてから薄く目を開けてみた。


「奥様、気づかれましたか」


 誰よりも早く私に気づいたその男性が指示したらしく、見覚えのないメイドが水を飲ませてくれた。


(この人もジュリアン様付きのメイドなのかしら。それともいつも姿を見せなかった妖精の一人?)


 ゆっくり水を飲んで私が人心地つくと、メイドは一礼して退室した。

 改めて見てみればここは私の部屋で、脱走が失敗だったことを痛感する。


 気づけばたくさんあった気配は綺麗に消え、残っているのはジュリアン様と知らない男性だけになっていた。それでも二人きりではないことに安堵し、見知らぬ男性に視線を向けると、彼は丁寧に一礼をしたあとチラリとジュリアン様をうかがう。なのに主が自分を紹介する前に少しいたずらっぽい顔をして、自ら口を開くのでびっくりしてしまった。


「お目にかかるのは初めてでございますね、ヴィアンカ様。私はジム・フォールと申します」

「ジム・フォール?」


 私がかすかに首をかしげると、ジムと名乗った男性はさらに爆弾を投下した。


「はい。当ラファイア家の、本物の家令でございます」


 後から考えればバカバカしいんだけど、私はこの時一瞬だけ、ジムが一気に老けたのかと思ってしまった。

 というのも、このもう一人のジムは背格好だけなら髪の色を含め、私が知ってるジムにとても似てるのだ。

 でもこのフォールと名乗ったジムはたぶん四十歳前後だし、目の色は深い緑。口元は若々しいけれど目尻には笑いじわのようなしわが少しあって、この優しそうな雰囲気は私の知ってるジムにはないものだった。


 それでももし髪で目を隠して話し方を代えたら、よく知らない人なら間違えるだろうと思うくらい似ている。後ろ姿なら私でも間違えるかもしれない。

 戸惑いながら隣に立つジュリアン様を見て、私は小さく息を飲んだ。


(え? この二人も似てる?)


 もちろん顔は全然似ていないし、まとう雰囲気も全然違う。それでもジュリアン様とフォールさんが同じ服を着て後ろ向きで立ってたら迷ってしまうんじゃないかしら。


(この二人とジムが並んで後ろ向きで立ってたら、もう誰が誰だか分からない気がする)


 それに顔が似ていると声も似てると聞いたことがある。

 さりげなくジュリアン様を見てみれば、輪郭も鼻や口もジムとよく似ているように思えた。

 そんなことを考える私にフォールさんが理解を示すように頷くと、なぜか満足した猫のように目を細めてにんまりと笑った。


「今までジム・・が奥様に無礼を働いたことでしょう。代わりにお詫び申し上げます」

「え、あ、そんなことはない、です」

「左様でございますか?」

「はい」


 フォールさんの言葉に肩の力が抜けたのは、この人と私が知ってるジムが別人だと言われたも同然だからだ。家令は普通一人だけど、ここでは違うのかもしれない。

 でも私が首を振るのと同時にジュリアン様が「そんなことはしていない」などと言っていて、心の中で首をかしげる。しかも彼の顔はパッと見無表情なのに少しすねてるようにも見えて、私は不覚にも(あ、可愛い)などと、とんでもないことを思ってしまった。


(うそうそ。ないわ、ないない。伯爵様が可愛いだなんてありえないわ)


 慌てて私が目を伏せて二人から視線を逸らすと、ジュリアン様が軽く咳払いをしてフォールさんに退室するよう命じた。助けを求めるように慌てて顔をあげたけど、フォールさんは優しく微笑んで一礼する。


「ゆっくりお話くださいませ」


(いや、無理です。おいて行かないで!)


 心の中で訴えたけど、もちろん通じるわけがない。いえ、多分分かってくれたように思うけど、フォールさんは励ますように私に頷きかけ、ジュリアン様にはしっかりやれとでも言わんばかりの強い視線を向けてから出て行ってしまった。


 ということで、結婚前から合わせても初の二人きりです。ううう。逃げたい。


 部屋の中に時計の音だけが響き、胃がキリキリと痛む。

 再び俯いたまま、せめてジュリアン様が出て行ってくれればと思ったけれど、それは無理な話なわけで……。

 それでもフォールさんは話をしろと言ったわけだから、もしかしたら本当に話をしに来たのかも? と気づいた。

 それなら朝までひたすら話しかければいいのでは?


 勇気を出して顔をあげようとすると、先に声を出したのはジュリアン様の方だった。


「アン……」


 びくりと肩が震える。


(いや。その声でその名前を呼ばないで)


 知らず涙が浮かんだ目でジュリアン様を見ると、彼はわずかに目を見開いた後、手で前髪をぐしゃぐしゃにしてしまった。そうするとまるで、


「ジム……?」


 つい零れた名前を閉じ込めるように口元を手でおさえたけど、ジュリアン様はハッとしたように肩を揺らして私の方へ数歩進んだ。


「分かりますか? アン。騙すつもりはなかったのです。いや、本当のことを隠そうとしてたのだから騙していたも同然ですね。申し訳ない。話を聞いてくれますか?」


 うそ。まさか。そんなまさか。


「ジム、なの? ジュリアン様?」

 どっちなの?

 声にならない声に答えるよう、目の前の男性ははっきりと、

「両方です」

 と言った。


 妖精の目をしたジムは、満月の前後だけ人の目になる。

 それがラファイア伯爵であるジュリアンの秘密なのだと――。

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