第10話 平野議員の事情
三浦は葉室の肩を一度だけぽんっと叩いて、平野議員事務所の中をのぞきこみ、おおいと声をかけた。
「大丈夫ですか!? どなたかいらっしゃいますか!」
「は、はい……大丈夫です……」
事務所の奥からか細い声が聞こえてきて、二つ並んだ事務机の向こうにグレーのスーツを着た女性が立ち上がった。
「お怪我は?」
「ありません……驚いて思わずしゃがみ込んだだけですので」
机を回り込み表へ出ようとした女性は、はっと立ち止まった。靴を履いていても躊躇するほどの大量のガラス片が事務所の床を覆っていたのだ。
「あー、ちょっと待ってください。とりあえず人1人歩ける程度に片しますから」
葉室がのろのろと腕をあげ、右に左に払う動作をすると、女性から正面の引き戸まで一直線に道を作るかのように、ガラス片がバラバラと音を立てながら左右に積み重なった。ちなみに、物を持ち上げる魔法は、物体浮遊と呼ばれる技だ。
「葉室、あと頼む。僕は警察に通報するから」
スマホを手にしながら、三浦は葉室たちから離れていった。
「あ、人為的特異事象ですか?」
さすが国会議員の秘書を務める女性は、魔法などと俗語を使わず、正式名称で問いかける。
「はい、そうです」
葉室はどこか覇気のない声で答え、「市役所防災対策課の葉室です」と名乗った。
「あ、お世話になります。平野の第一秘書を務めております加納です」
「あ、名刺あとでいいですよ。とりあえずできるとこまで片します」
散らばったガラス片を壁に寄せ、フレームが曲がったサッシを取り外す。
ついでに安全を確保するため、臭気探知を使おうと思った。
「すいません、加納さん。今から臭気探知という魔法を使いたいんですが、かまいませんか? ガス漏れや万が一火が出ていないかを知りたいんです」
「ええと……どんな魔法ですか?」
「わずかな匂いも探知出来る様にするものです。犬みたいにね。発動すると周囲全体が適応範囲になりますので、自分の匂いを探知されたくないという方がいれば、使いません」
「いえ、大丈夫です。念のためですから、ぜひ使ってください」
秘書から許可を得て、葉室は魔法を発動させた。臭気探知は発動していることが他者からは分かりにくい。そのため黙って使うこともできるが、葉室は必ず対象となる人に許可を取った。それがマ学技士としての誠意だからである。
ただ地味に、許される範囲で魔法を使っているだけなのに。
魔法は駄目だとはどういう意味だ。
もう会う機会もないのだろうか。
心ここに在らずで黙々と作業を続ける葉室の態度を見て、それを機嫌が悪いととったのか、秘書はおずおずと話しかけてきた。
「すいません、平野が提出予定の特異脳変除去義務法案、マ学技士の方にとっては不愉快ですよね」
「え? ああ……人によってはそうなんじゃないでしょうか」
正直、どうでもいい。今、葉室の胸をしめるのは柔らかく微笑む遠藤で、青い顔でふるえる遠藤なのだ。
「どうか平野を悪く思わないであげて下さい。平野は……幼い日に母親を魔法使いに殺されたのです」
深々と頭を下げる秘書の言葉の重さに、さすがに葉室も彼女の方を見た。
「そんなこと、不用意に他人に言ってもいいんですか」
「経歴書に書いているわけではありませんが、特段秘密にもしていませんので」
「僕も知ってた」
三浦がそう言いながら、すでにサッシが取り除かれた入口の前に立った。
「N新聞の三浦です。その辺も含めて取材をさせて頂こうと考えておりました。本日はご挨拶に……と思っておりましたが、葉室悪い、僕は被害の範囲を確認に行ってくるよ。警察や消防が来る前に取材しとかないとね!」
そう言って足早に去っていく三浦の背中を、葉室と秘書は言葉もなく見送った。
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