↓第54話 さがしていた、じんぶつ。

「くごう……かなた?」


 その名前を聞いたとき、一瞬、澪は誰のことだかわからなかった。

 それもそのはず。

 オペラ歌手の公郷の顔は、『X』とは真逆の印象だったからだ。

 ピシっとしたスーツと後ろで結んだ長髪。

 溌剌はつらつとした表情と、どこまでも伸びの良い声量。

 動画をきっかけにハマった澪にとっても、彼はよく知る人物だった。


「ようやく謎が解けました。音楽に親しんだ勝神さんと日鷹さんだからこそ、奏多かなたさんに既視感を懐いたんですね。音楽好きの間で彼は話題の人物でしたし、留置場で勝神さんと日鷹さんに確認したところ、奏多さんをご存知でした。ちなみに仁紫室さんはアニメ好きでしたけど、音楽に興味がなかったせいか、彼のことを知りませんでした。わたしは才城家主催の音楽イベントで見かけたことがあったので、記憶の隅に残っていたのでしょう」


「ち、ちょっと待って! それはそれとして、もっと大事な問題があるよね!?」


 澪は言う。

 それはシンプルで根本的なものだった。


「つまり……奏多さんは生きてるよね!?」


 そう。


 彼は生きている。


 その証拠に迷子たちは、奏多の姿を目撃していた。

 星蓮荘の食堂で、一緒にテレビを観たときだ。

 あのとき兄である『公郷悟くごうさとる』の謝罪会見が行われ、弟の奏多はツアーの開催が中止されたと報道された。

 自宅からの中継は、迷子たちの記憶に新しい。


「はっきり言います。あのニュースは、ウソなんです」


「――!?」


「正確に言うと、わたしたちやマスコミが騙されていたんです。すべては勇雄いさおさんの筋書き――お芝居です」


 澪は言葉を詰まらせる。

 お芝居?

 いったいどういうことだろう?


「最初に言っておきますが、奏多さんの死亡は間違いありません。神奈川に住んでいるご家族に確認をとったところ、すべてを白状しました」


「迷子ちゃん、わかるように説明してくれる?」


「まず、謝罪会見の内容を覚えていますか? あのとき兄の悟さんは仕事のことでノイローゼになっていました。父親の仕事に対する厳しいプレッシャーのせいです。それが原因で失踪し、大勢の人に迷惑をかけました」


 色黒で体格のがっしりした兄が、丸坊主で頭を下げていた姿をもう一度思い出す。


「あのとき実は、弟の奏多さんも失踪していたんです」


「そんな……でも、テレビの映像には彼の姿が映ってたよね?」


「そうです。しかし遮光カーテン越しに長髪の男性が見えただけですからね。それをわたしたちは奏多さんと勘違いしたんです。あれはウィッグを被った悟さんの姿。映像は謝罪会見と別の日に撮られたものですから辻褄は合います。失踪後に戻ってきた彼に弟を演じさせたんですよ。すべては勇雄さんが命じたお芝居です」


「でも、なんでそんなことを? 隠す必要はないんじゃ――」


「いえ、勇雄さんにとっては大打撃です。悟さんだけでなく奏多さんまで失踪。これ以上騒ぎが大きくなると、仕事にもダメージが及ぶと考えたのでしょう。少しでも被害を抑えるために、裏では秘密裏に奏多さんの捜索が行われていました」


 澪は黙り込んでしまう。


「――とはいえ奏多さんが近畿地方に逃げているとは思いもしなかったようです。リモートで死体を確認してもらったところ、勇雄さんは愕然としていました」


 澪はもう一度、『X』の顔を思い出してみる。

 確かに表情を険しくすると、兄の悟にそっくりだ。

 スーツに隠れているが、兄と同様に身体を鍛えられたため、体格もがっしりしている。

 後ろで結った髪をだらんと垂らせば、あの野生児めいた姿が再現できた。

 色白だった肌に関しては、野宿をしているうちに日に焼けたということだろう。


「奏多さんもまた、勇雄さんからのプレッシャーを受けていたそうですね。歌手を続けたい本人の意向を無視して、勇雄さんは会社の一部を強引に任せようとしていたのだとか。みおちゃんが聞いた「俺は呪いから逃げてきた」というセリフは、父親の呪縛から逃げてきたという意味だったのでしょう。まぁ、突発的に家を飛び出したせいで、サイフや身分証を持っていなかったようですが」


 反射的にお金を握り締め、奏多は西へ西へと電車を乗り継いだ。

 これは駅の監視カメラにより、記録が確認できる。

 才城家の情報部隊が、できる限り奏多の姿を集めたようだ。

 そして海岸に辿り着いた彼は、暑さのせいで上着を脱ぎ捨てたのだろう。

 このまま家に帰ることもできず、かといって誰かに真実を打ち明けることもできない。

 もし身元を明かしてしまったら、再び父親のもとに連行されてしまうからだ。


「これはわたしの推測ですが、奏多さんはみおちゃんに勇気づけられたんじゃないでしょうか?」


「――わたしに?」


「はい。彼は右左津さんを殴ってまで石を取り戻そうとしました。そしてみおちゃんに渡そうとしたその背景には、心境の変化があった――つまり、みおちゃんに会ったことで、もう一度自分の人生に向き合おうと決心がついたのではないかと思うんです」


 澪はふと思い出す。

 いつだったか、一人でこの岬に立って歌っているところを、奏多に見られたことがあった。

 澪は恥ずかしがって赤面したが、拙いその歌声を奏多はとても褒めてくれた。


 うれしかった。


 そして奏多は笑っていた。

 それがきっかけか、二人はより打ち解けたようだった。

 以降はプライベートなことも、会話の中で話すようになっていた。

 星蓮荘がなくなることも、卒業したら大好きな歌を諦めることも。

 澪は無意識に喋っていた。

 将来どうしていいのかもわからず、彼女は彼女なりに自分の道を探そうとしていた。

 人生の岐路に立たされているという点では、澪も奏多も同じだったのかもしれない。


 だからこそ。


 そんな二人だからこそ通じるものがあったのかもしれない。

 運命に翻弄されながらも、逃げずに道を模索する澪。

 彼女を見て、奏多の心は揺れ動いたのではないだろうか?


「みおちゃんに出会ったことで、奏多さんはもう一度自分の力で舞台へ戻ろうとしていたのではないかと思うんです」


『近いうちにケリをつける』――その言葉が澪の脳裏をよぎる。

 決して簡単なことじゃないけれど、今ならその意味がわかるような気がした。

 もう一度、父親と向き合おうと心に決めたのだろう。

 それは勇気のいることだ。

 ひょっとしたら恐怖の感情が勝るかもしれない。


 ――でも。


 思いを伝えよう。

 父親に自分の意志を伝えるまでは、前に進めない。

 そう決心した彼は動き出そうとしていた。

 自分の力で。

 澪をきっかけに。


「…………」


 石を見つけ、そして澪に渡すことで、自分を縛っていた鎖を解き放とうとしていたのかもしれない。

 偉大な一歩を踏み出すために。

 自分の意志を、つらぬくために。


「…………」


 ひょっとしたらそれは自己満足かもしれないけど。

 きっと彼にとっては、大きな一歩だったはずだ。


「奏多さん……」


 澪はゆっくり顔を上げて、水平線の彼方を見つめる。

 沈みかけた夕日が切なくて。

 だけどその光は、すべてを包み込むように、海岸を照らしていた。


「――ありがとう」


 ただ一言。

 そう告げて。


 メガネの奥で滲む景色を、澪は忘れないよう記憶に刻んだ――





――――――――――――

●お読みいただきありがとうございます。

 次回もお時間のある方は、ごゆるりとお立ち寄りください。

 それではまた(^^)

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