↓第50話 よるの、たたかい。

「仁紫室さん! あきらめて投降してください!」


 数分後、迷子たちは最上階に辿りついた。

 屋上のプールは黒服たちに囲まれ、非常扉も完全に塞がれた。

 デッキチェアから身を起こした仁紫室は、三日月をバックに髪を掻き上げる。


「あきらめる? なんのことだい」


「証拠は上がっています。今すぐ警察に出頭してください!」


 迷子が言うと、ゆららが携帯端末をかざして画面を見せる。

 そこにはエレナに扮装して集めた証拠の数々――売春の現場が記録されていた。


「ハーイ! まさ~かこの時代に通気口に潜んで隠し撮りするなんてネ! ベタすぎてワタシもビックリデース!」


 エレナの声で喋るゆららを見て、仁紫室はため息をつく。


「なるほど……おもしろい。だが、キミたちは自分の立場がわかっていないようだね?」


 追い詰められているハズなのに、その表情は余裕だ。

 むしろこちらが追い詰めているとばかりに、仁紫室は悠然と迷子たちに語りかける。


「悪いことは言わない。その証拠を渡すんだ」


「いいですよ。でも、死ぬほどバックアップとりましたから意味ないですけど?」


「フフ、だろうね。それならボクのやることは一つだ」


 仁紫室は目を細めて、


「夢の国を渡すわけにはいかない」


 月をバックに両手を広げると、


「キミたちには、眠ってもらうよ」


 獣のように赤くなった瞳を、爛々と輝かせた――



       ☆       ☆       ☆



 階段にエレベーターなど、それらの出入口は駆けつけたSPにより封鎖される。

 彼らも本気だ。

 おそらく迷子たちを帰す気はないのだろう。

 ジリジリとにじり寄る彼らに対し、迷子たちは背中を合わせて神経を研ぎ澄ませた。


「あらぁ、囲まれちゃったわぁ」


「へへっ、ボスラッシュみたいでわくわくするぜ!」


「うぅぅ、そんなことよりまだ口の中がニガイです……」


 そんなことを言っている三人を、雲間からこぼれた月明かりが照らす。

 それを合図とばかりに、男たちはサングラスを光らせて一斉に襲いかかってきた。


「フン、そっちがその気なら――」


 うららは迷子たちに目配せをして、プールの中へ誘導するよう指示する。

 SPたちはそれを追っかけて、水面の中に足を突っ込んだ。

 膝の上まで濡れて、プールの周りをぐるっと包囲する。

 完全に逃げ場を失った迷子たちを見て、「残念だったな!」と、勝ち誇った態度を示した。


「あきらめろ! どのみち三人じゃ話にならない!」


「へぇ、そう思うか?」


「強がりはよせ! 結果は見えてる!」


「はは、知ってるか? 『ザコ』って『雑』と『魚』って書くんだぜ?」


 うららは八重歯を光らせる。

 するとゆららが水中に潜り込み、姉の足を自分の手のひらに乗せた。


「いっくぜーーーッッ!!」


 そのままカタパルトの要領で、うららの身体を空中に放り上げる。

 イルカのように跳ねて空中で一回転。

 うららのカカトが水面に叩きつけられた。


「苦楽園流暗義・『一血字句いちじく』!!!!」


 ドッパァァンと巨大な水柱が立ち上がり、音の波が円形に水面を伝う。

 その衝撃波がSPたちの足を伝い、一瞬で脳天にまでダメージを与えた。


「ぐはぁァァツッ!!」


 全身を痙攣けいれんさせた男たちは、やがて締められた魚のように気絶する。

 それを見ていた陸のSPたちは、脅威を感じてすぐさまプールから離れた。


「はっはーっ! やっぱ魚は大量に限るぜ!」


「ブクブク……――ぷっはぁ! やっとニガイのがとれましたっ!」


 一方、迷子はプールに顔を突っ込み、口の中をすすいでいた。

 水面から顔を出すと、まだやられていないSPたちがたくさんこちらを見ている。

 このままではキリがない。

 残りの体力を考えると、数で押されるのは危険と判断した。


「仁紫室さん、もう終わりです! 降参してくださいッ!」


 迷子は指を突き立てる。

 自らの悪事を告白するように、彼を促した。


「ハン! まだだ。ここで終わるわけにはいかないんだよッ!」


 しかし仁紫室は応じようとしない。

 自分の目的のために、ここで迷子たちをほうむるつもりだ。

 彼は右手で合図し、さらに応援を呼び寄せる。

 かなりマズイ状況だ。


「チッ、これじゃあキリがねぇぜ」


「ほんと、困ったわねぇ」


 うららとゆららも眉をひそめている。

 迷子は唇を噛み、なにかを決意したように前を見据えた。


「仁紫室さん、どうしても投降しないつもりなんですね?」


「ああ」


「どうしても?」


「もちろんだ」


 その言葉をきっかけに、


「じゃあ、迷ってる場合じゃありません」


 迷子は走り出す。


「止める方法は一つです!」


 真っ直ぐに仁紫室のふところに体当たりすると、そのままプールサイドの縁まで押し込んで、あっという間に二人とも屋上から落下した。


「迷子ォッ!!」


「メイちゃん!!」


 二人が叫んで駆け寄る。

 SPたちの間には戸惑いが広がり、仁紫室の安否を確認するため、身を乗り出して下を覗き込んだ。


「――――……!?」


 男たちは思わずサングラスを外す。

 はるか下――ホテルの入り口付近に、大きな四角い物体が見える。


「――――……うぅぅ、危なかったです」


 それは巨大なクッションだった。

 迷子も仁紫室も、その上で大の字になっている。

 

 ――二人は生きていた。

 

 このクッションは、迷子が才城家に頼んで用意させた特注のエアバックだ。

 高度120メートルからのダイブはさすがに無茶がすぎるが、迷子の決断と特注性能のおかげで、仁紫室を引きずり下ろすことに成功した。

 周りにはたくさんの警官とパトカーが包囲しており、すでに一部はホテルの中に突入している。


「迷子ちゃん!」


 そこへ澪が駆けつけてきた。

 彼女は迷子の指示で、警察に売春の証拠を提出していた。

 それだけではない。

 迷子の端末を介して送られてきた映像を、リアルタイムで澪の端末に受信していた。

 その映像を警察に見せて、内部の情報を伝えていたのだ。


「大丈夫!? どこも痛くない!?」


 澪に抱き上げられた迷子は、フラフラになりながら答える。


「秘密兵器……役に立ちましたね……」


「もう! いくらなんでも無茶だよ!」


「大丈夫ですよ」


 怒る澪に迷子は、


「わたしは、みおちゃんを信じていましたから」


 そう答えて親指をグッと立てる。


「もう、迷子ちゃんったら……」


 そして澪は、メガネの下の涙をそっと拭った。

 ――そのころ屋上では、


「はぁ……ドキドキさせやがって」


「打ち合わせしていたとはいえ、心臓に悪いわぁ……」


 迷子の無事を確認して、メイドの二人は安堵のため息を吐く。

 駆けつけた警察たちが屋上に流れ込み、拳銃を構えてSPたちを次々と拘束していった。

 仁紫室は警察に連行され、その姿を見届けたうららとゆららは、軽く微笑みを交わすと、風のように屋上から撤収していった。


「……これで事件は終わったのね」


 迷子に寄り添った澪は、呟く。


「仁紫室さんを調べれば、事件の真相が――」


 テソロを見上げながら、そんなことを言う。

 取り調べが進めば、『X』との関係もいろいろと浮き彫りになるだろう。

 あとは警察に任せて、しばらく待てばいい。

 ひとまず作戦は成功したのだ。


「迷子ちゃん、いろいろありがとう。これであの人もきっと――」


 澪が視線を落とすと、スースーという寝息が聞こえる。


「…………」


 迷子は大の字になったまま、穏やかに眠っていた。


「……お疲れ様」


 親友にそっと語りかけて、澪も一緒に横になる。

 安心したせいか、なんだかまぶたが重い。


 パトランプの灯る慌ただしい夜。

 二人は三日月の下、静かな眠りにつくのだった――





――――――――――――

●お読みいただきありがとうございます。

 次回もお時間のある方は、ごゆるりとお立ち寄りください。

 それではまた(^^)

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