↓第40話 ごらんなさい、このせかいを (間章 迷子の場合2)

「お、お母さん! おねがいがあります!」


 迷子の母は、暖炉のそばで編み物をしていた。

 ぎこちない口調で、迷子は思いを口にする。

 窓に打ちつける雨音が強まる中、話を聞き終えた母親は、そっと編み物の手を止めた。


「事情はわかったわ。でも、うちで飼うことはできないの」


「そ、そんな……」


「ただ、めいちゃんの思いは伝わったわ。よく正直に言えましたね」


 にっこり微笑む母を見て、迷子の顔に安堵の色が浮かぶ。


「子犬を助けるのはめいちゃん次第。自分の力で動いてみなさい」


 母親の手は、やさしく娘の頬を包む。


「自分で……うごく?」


 幼いながらに、迷子は母親の言葉を咀嚼した。


「助ける……」


 そして迷子は、あるアイデアを思いつく。

 里親を探すことにしたのだ。

 子犬は一時的に屋敷であずかり、食事などの世話は迷子が担当する。

 学園やSNSなどで呼びかけを続けて、二週間が過ぎたころ。

 里親を希望する老夫婦が現れた。


「はじめまして、さいじょうめいこともうします!」


 実際に会ってみたところ、動物を愛してくれそうなやさしい二人だった。

 会って話をするうちに、この人たちになら任せることができると思い、迷子は子犬を託すことを決める。


「それじゃあ、元気でね!」


 老夫婦に抱かれながら屋敷を去る子犬。

 別れを告げる迷子に向かって、ときおりワンワンと吠えるその声が、耳から離れない。

 それでも明るく振る舞って「元気でねー!」と手を振っていると、やがて子犬と老夫婦の姿は見えなくなった。

 そこで迷子は静かに手を下ろす。

 そして声を上げないまま、そっと涙を流した。


「よしよし」


 そんな彼女を、リリィはそっと抱き寄せる。

 迷子はそこではじめて、わんわんと大粒の涙を流した――



       ☆       ☆       ☆



 出会いがあれば別れがある。

 迷子が子犬と別れてから数年後。

 彼女は二度目の別れを経験することになる。

 人の寿命には限りがある。

 才城リリィは、もうじきこの世を去ろうとしていた。


「おばあちゃん……ッ!!」


 天蓋つきのベッドに伏した祖母の手を握り、迷子は必死に呼びかける。

 主治医が力なく首を横に振る中、周りの家族は様々な思いで目を伏せた。


「めいちゃん……」


「お、おばあちゃん!」


 シワだらけの祖母の手を握り、迷子は詰め寄る。


「どうしたんだい、そんな顔して」


「だって……だってぇ……!」


 お迎えが来れば、もうリリィに会うことはできない。

 今までのように会話したり、お茶を飲んだりすることもできなくなる。

 寂しさや悲しさの感情が渦を巻いて、迷子の心を支配していった。


「おばあちゃんがいなくなったら、グスッ……わたしは……わたしは……ッ!」


 嗚咽をこらえながら話す迷子に、


「大丈夫よ、めいちゃん」


 リリィは穏やかに語りかけた。


「わたしがいなくても、めいちゃんは大丈夫」


「グスッ……ぜんぜん、大丈夫じゃない……です!」


 リリィは震える手で、迷子の手を握り直す。


「いい? 世界は楽しいことであふれているわ」


 リリィは窓の外に目を向けて、


「わたしからめいちゃんに宿題よ」


 そんなことを言った。


「わたしの最後の作品が、この世界のどこかにあるわ。それをめいちゃんに見つけてほしいの」


 その言葉を聞いた瞬間、周囲からざわめきが起こる。

 彼女が倒れる寸前まで書いていた小説は、関係者の間では未完に終わると言われていた。

 しかしそれがすでに完成して、この世界のどこかにあるという。

 世間にこの情報が流れれば、おそらく大ニュースになるだろう。

 事の重大さを理解していない迷子は、ただ祖母の最期の言葉に耳を傾けた。


「世界は宝石箱みたいなものよ。その箱を開けるたびに喜びや困難にぶち当たる。だけどそのたびにめいちゃんは成長していくわ」


 いたずらを仕掛けた子供のように、リリィは楽しそうに笑う。


「その過程を経験して、大きくなるめいちゃんを天国から見るのがわたしの楽しみ。だからちっとも寂しくないの。ふふ。さぁ、めいちゃん。わたしの宿題が解けるかしら?」


 迷子はこぼれそうな涙を精一杯ぬぐって、


「グスッ……ぜったい見つけます! おばあちゃんの小説を、わたしが見つけますから! だから……だから――ッ!」


「行かないで」――迷子はそう、言いたかった。


「ふふ、わくわくしてきたわ」


 でも、リリィはやさしく孫の頭を撫でると、


「またね、めいちゃん」


 そう言い残して。

 ――動かなくなった。


「うっ……うわああぁぁぁああぁぁぁーーーーーーーん!!」


 泣いた。

 大粒の涙をボロボロ流しながら、迷子は泣き続けた。

 それからしばらくして、リリィの葬儀は身内だけで静かに行われた。

 火葬も済み、遺骨は西洋風の大きな墓石に収められる。

 そして――


「……わたし、決めました」


 喪服に身を包んだ迷子は、祖母の前で誓う。


「迷っている場合じゃありません」


 滲む視界を拭って、


「勝負です」


 堂々と宣言する。


「おばあちゃんの遺作。かならずわたしが見つけてみせますからっ!」


 一陣の風が木の葉をさらい、曇りのない青空に抜けていく。


 そう。


 迷子の冒険は、ここからはじまった――





――――――――――――

●お読みいただきありがとうございます。

 次回もお時間のある方は、ごゆるりとお立ち寄りください。

 それではまた(^^)

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