↓第39話 がんばるには、どうすれば? (間章 迷子の場合)

 これは迷子がまだ小さいころの話だ。

 降りしきる雨の中、彼女は赤い傘を差したまま動けなくなっていた。

 目の前には、ずぶ濡れの子犬がいる。

 段ボール箱の中で、つぶらな瞳をこちらに向けていた。


「ど、どうしましょう……」


 あきらかに捨てられた犬だ。

 このまま放っておいたら、死ぬかもしれない。

 かといって連れて帰ったら、母親に怒られるかもしれない。


「うぅ……っ!」


 迷子は目を伏せて、傘のハンドルをぎゅっと握る。

 迷った結果、この場を勢いよく立ち去ってしまった。



       ☆       ☆       ☆



「おばあちゃん!」


 全力疾走で屋敷にたどり着くと、迷子はレインコートを脱ぐのも忘れて、祖母の書斎に駆け込む。

 祖母である『才城リリィ』は、著名なミステリー作家として、世界に名を馳せていた。

 作品は国内だけでなく海外版にも翻訳もされており、彼女の新作を待ち望むファンは多い。


「どうしたの、めいちゃん?」


 孫の切迫した声に振り返る。

 溢れんばかりの涙を目に溜めて、迷子がふところに飛び込んできた。


「うわぁぁぁーーーん!!」


 大声で泣き出した少女を抱き締め、リリィはやさしく頭を撫でる。


「わんわんが……ヒック! わんわんが……ック!」


 嗚咽おえつをもらしながら、迷子は先ほどの出来事を話した。

 リリィはゆっくり頷きながら、「よしよし」と孫をなぐさめる。


「話はわかったわ。その前にまず、服を乾かそうか」


 リリィは迷子のレインコートを脱がせると、部屋のハンガーに掛けて、タオルを持ってきた。

 それで小さな顔を拭いてあげたのち、テーブルに置いてあったティーカップに紅茶を注ぐ。


「さぁ、お飲み」


 茶葉の豊かな香りが、迷子の嗚咽をやわらげる。

 一口、また一口とカップに口をつけると、彼女の気持ちも次第に収まってきた。


「めいちゃんはやさしい子だねぇ」


「え?」


「迷うということは、それだけ相手のことを考えている証拠だよ」


「う~ん……でも、わたしはイヤです……」


「どうしてだい?」


「だって……なかなか決めれないので……」


 カップに口をつけたまま、迷子はムスっと頬を膨らませる。


「答えが出せないことが不満かい?」


「…………うん」


「そうだねぇ、それじゃあ――」


 リリィはおまじないをするように、人差し指を立てると、


「さぁ、おかわりだよ」


 空になった迷子のカップに、再び紅茶を注いだ。


「おばあちゃん! わ、わたしはお茶を飲みに来たんじゃあ――」


 その言葉を遮るように、リリィも自分のカップに口をつける。


「いいかい、めいちゃん。急がなきゃいけないことがあっても、焦っちゃいけないよ」


「?」


「どうしていいかわからないときは、一回立ち止まってみるといい。一つ一つのことを別々に考えれば、案外、道は見えるものだよ」


 リリィはカップを置いて続ける。


「めいちゃんはどうしたい?」


「え?」


「いちばん心が納得するには、どうすればいい?」


 迷子は考える。


「わんわんを助けたいけど……お母さんが……」


 視線を逸らしてそう答えた。


「まだ聞いてないのかい?」


「…………」


「そう。じゃあまずは聞くところからはじめよう」


「でも……」


「怒られるかどうかは、やってみなきゃわからないよ?」


 それでもまだ立ち上がれない迷子に、リリィは微笑みを向ける。


「大丈夫。もしダメだったとしても、それは次の手を考えるための材料だから。クッキーを焼くのと同じ。小麦粉を入れすぎたら、ちょっと水を足せばいい」


 うふふと微笑みながら、リリィはお皿の上に盛られた手作りのクッキーを口に運んだ。


「おばあちゃん……」


 迷子もクッキーを一つ手にとって頬張る。

 すると少し、しょっぱい味がした。

 リリィも違和感を覚えたのか、自分の作ったレシピを思い返す。


「あらら、塩の量を間違えたわ。うふふ、これも経験ね」


 そう言ってなんでもないように笑ってみせるのだった。

 その顔を見ていると、なんだか迷子の心が軽くなる。

 この先に起こる困難など、きっとどうにでもなるような気がして。


「迷ってる場合じゃありません……」


 紅茶を飲み干し、迷子は小さな拳を握って立ち上がる。


「おばあちゃん。わたし、いってきます!」


 勢いよく書斎を飛び出し、母の待つ広間へと向かった――





――――――――――――

●お読みいただきありがとうございます。

 次回もお時間のある方は、ごゆるりとお立ち寄りください。

 それではまた(^^)

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