↓第32話 これは、いったい……。

 その日の夜。

 布団の中で、迷子は眠らずに起きていた。


「…………」


「……んん? どした?」


「うららん、呪いです」


「……はぁ?」


 迷子は身体を起こすと、クマのできた目元を擦って天井を見上げた。


「女神が寝れない呪いをかけたんですよ。……うぅ、なんだかお手洗いに行きたくなってきました」


「それお茶の飲みすぎだろ……怖いならついていってやろうか?」


「へいきです。わ、わたし、オバケなんてこわくないので!」


 そう言いながら迷子は、浴衣姿のまま階段を下りていく。

 うららは薄目でそれを見送ると、あくびをして寝返りを打った。

 明日も早いし、もう寝よう……。

 そう思ったころには、もうイビキをかいていた。

 うららは幸せな寝顔で、夢の世界に浸る――



       ☆       ☆       ☆



「どうしましょう……寝れないです」


 洗面所で手を洗いながら、迷子は鏡を眺めていた。

 身体を起こしたことで目が冴えてしまい、よけいに眠れなくなってしまった。

 二階から、うららのイビキが聞こえてくる。

 安眠するには条件が悪い。


「……散歩でもしましょうかね」


 迷子は勝手口から宿の外に出る。

 海沿いを歩けば、ほどよく疲れて眠れるかもしれないと考えた。


「ん~、月がきれいです!」


 白い砂浜は月に照らされ、薄っすら青白く輝いていた。

 寄せては返す波の音だけが耳に届き、静寂が辺りを包み込んでいる。


「? あれは……」


 波打ち際を歩いていると、遠くに光が見えた。

 時刻は深夜一時を回っている。

 こんな時間に誰だろう?

 その方向は、生徒会副会長『日鷹高志ひだかたかし』が経営する海の家、『バンケット』の場所だった。

 昼間は賑やかなライブ会場になっていたが、明かりが点いているのは中心に建っている黒塗りの建物のようだ。

 確かあそこは、会員になったものだけが入れると日鷹は言っていたが?


「イベントでもやっているんでしょうか?」


 なんとなく気になった迷子は、建物のほうへ歩み寄る。

 一歩、また一歩と進んでいくうちに、西から流れてきた雲が、徐々に月を隠して海岸に闇がおちた。

 その瞬間、


「ウゥ……ウゥゥ……」


 後ろから声が聞こえて、迷子は思わず立ち止まる。


「ウゥ……ウゥゥ……」


 やっぱり声がする。

 なんだか生暖かい気配がして、ゆっくりとその方向に振り返った。


「だっ……誰です?」


 一瞬息が詰まる。

 人の影がみえる。

 だけど様子がおかしい。

 ぬらりと現れたそれは、首を垂れたシルエットで左右にゆらゆらと揺れている。

 暗くてよくわからないが、ウゥ……と呻くような声だけは、はっきりと聞こえた。

 しかも辺りに変なニオイが立ち込めている。


「まっ、まさか――」


 迷子の脳裏に、とあるワードが浮かび上がる。


『ゾンビ』。


 首を垂れたシルエットは、こちらに手を伸ばし、今にも襲い掛かってきそうな雰囲気だった。


「わぎゃぁぁぁああああぁぁぁぁーーーっっッッ!!」


 海岸に響き渡る絶叫。

 悲鳴を撒き散らしながら逃げ出した迷子は、無我夢中で星蓮荘のほうへと走った。

 その悲鳴が届いたのか、宿の二階からメイドの二人が飛び出す。


「迷子ッ!」


「メイちゃん!」


 浴衣姿のまま砂地に着地すると、二人は声のしたほうへと走り出し、向かってきた迷子を抱き締める。


「どした!?」


「の、の、のろいです……」


「メイちゃん?」


「せ、せいれんかいがんの……のろい……です!」


「落ち着け、なにがあった?」


「だから……ぞ、ゾンビ……です!」


「ぞ……? メイちゃんこわい夢でも見たのぉ?」


「ゆ、夢じゃありませんっ! わたし見たんです! あ、あそこの砂浜に「う~……う~……」って!」


 ゾンビの声マネで訴える迷子。

 あまりに非現実的な物言いに、メイドの二人は顔を見合わせる。


「と、とにかく確認だ!」


「メイちゃん、その場所案内してくれるぅ?」


 迷子は半泣きで鼻をすすりながら、二人をさっきの波打ち際へと連れていった――



       ☆       ☆       ☆



「……なんもないみたいだけど」


 うららは薄暗い波打ち際に目を凝らす。

 問題の場所にやってきたが、しかしすでに人の気配はない。


「メイちゃん、ほんとにいたのぉ?」


 迷子は「ぐすん」と鼻をすすりながら頷く。

 よほど怖かったのか、ゆららの腰回りに抱きついたまま離れようとしない。


「寝ぼけたんじゃねーの? それともお茶飲みすぎて頭イッちまったか?」


 うららが言うと、


「そ、そんなことないです!」


 と、反論した。


「たしかにゾンビが……ゾンビがいたんです!」


「……ガチで?」


「ほんとうです! 変なニオイもしましたし!」


「でも誰もいないんじゃ……」


 辺りを探るが、人どころか動物の気配すらない。

 もしいたとしても、明かりも点けずに夜道を歩くのは不自然だ。


「ひっく……たしかに……たしかにいましたもん……」


 迷子は目元を拭いながら答える。

 そんな主人の様子に、メイド二人は困惑する。


「とりあえず一旦戻ろうぜ」


「大丈夫よメイちゃん。私がついてるからぁ」


 二人に手を引かれ、迷子は星蓮荘へと戻る。

 その道中でふと、海の家『バンケット』が視界に入った。


「……?」


 迷子は違和感を覚える。

 明かりが消えていた。

 さっきは奥の建物がぼんやりと明るかったが、気のせいだろうか?

 あるいは室内の人たちが寝てしまったのだろうか?


「…………」


 特にゾンビとは関係ないと思い、迷子は口をつぐんだままトボトボと歩く。

 ――そして、


「さ、さっきのは!?」


 星蓮荘に帰ると、澪が心配して飛び出してきた。

 迷子の悲鳴は彼女にも聞こえていたようだ。

 よほど慌てていたのか、かけたメガネがズレている。

 迷子が無事とわかり、とりあえずホッと胸を撫で下ろした。


「よかった……とにかくみなさん中へ」


 澪は食堂の明かりを点け、ヤカンのお湯を沸かす。

 気を休めるため、お茶を淹れるつもりだ。

 しばらくすると湯飲みがテーブルに並ぶ。

 一同は腰を下ろして、静かにお茶をすすった――



       ☆       ☆       ☆



 それからしばらくして、みんなは寝室に戻る。

 人心地ついて、ウトウトと眠気がやってきた。

 布団から半分顔をだした迷子は、天井を見つめる。

 あれはゾンビではなかったのか?

 本当に呪いが起こり、死者がよみがえったのではないか?

 そんなことを想像してしまう。


「…………」


 でも、考えたらまた眠れなくなりそうだったので、思い切って布団に潜り込んだ。

 今は明日のことだけ考えよう。

 そう言い聞かせていたら、いつの間にか寝てしまっていた。

 怖い夢を見ることもなく、迷子は朝を迎えることになるのだが。

 彼女は早々に、ゾンビの正体を知ることになる――





――――――――――――

●お読みいただきありがとうございます。

 次回もお時間のある方は、ごゆるりとお立ち寄りください。

 それではまた(^^)

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