第5話 フラッシュバック

「はぁ、はぁ……」


 いつぶりに全速力で走ったか、最寄駅から乗り継いで見慣れた駅に着いた。そうしてその足で地図アプリに表示された場所に到着する。そこは、忘れもしない城のような見た目のラブホテルだった。


「……201号室」


 来る途中、それは何かの悪戯だとも思った。けれど、それ以上に期待が強かった。もし、もしもその場所に彼女がいたら。自分はどうしてしまうだろう。そもそもラブホテルに入ったことが家にバレてしまったら?


 多額の慰謝料を請求されるだけなら、まだいい。隼也にとって、何を言っても凛音が大切だった。ただそれは所有欲というか、独占欲というか、もしくは未練というべきか、彼女を他の誰かに取られたくない。その一心で、規律を守り抜いてきた。


 その葛藤に揺れながら、気がつけばそのホテルの部屋のドアの前に立っていた。


 蘇る、あの時の焦燥感。背徳感。彼女の嬌声。生唾を飲み込み、インターフォンを押した。その数秒の時間が、無限にも感じられた。


ガチャリ。


 扉が開いた瞬間、心臓が止まりそうになる。


「……隼也、くん?」


「美咲さん……本当に、ここにいたんだ……」


「隼也くん……!!」


 彼女は隼也を部屋に引き入れ、そのまま扉は閉まる。


 部屋の中で彼女がキスをする。隼也は本当に彼女が存在していたこと、そしてその見た目がほとんど変わっていなかったことに驚いて、少し茫然としていた。それでも彼女から無言でキスを迫られると、次第に興奮を取り戻していく。


 もうだめだ、抑えきれない。彼女の腰を引いて、こちらからもキスに応えていくと、


「……もう、結婚したんでしょ?」


 唇から漏れる声で、途切れ途切れに聞こえる。それに頷いて応えながら、待ちきれないとばかりに彼女の服を剥いていく。


「なら、今回は本当に浮気になっちゃうね」


 その言葉を聞いて、一瞬だけ手が止まる。彼女の表情を見れば、あの時のように試すような、不敵な笑みだった。何年経っても、年上の女性には敵わないと実感した。


「……いいよ、それでも」


 そう言ったのを皮切りに、彼女をベッドへと押しやり、溜まったものを爆発させように、何度も何度も彼女を貪った。




「……驚いたよ、本当にいるなんて思わなかった」


「それは私のセリフ。でも、正直嬉しかった」


「……ただ、落ち着いてみたらわからないことばっかりだ」


「分からないけれど、もしかして隼也くんがここに来れたのって、このアプリじゃない?」


 二人裸のまま布団に包まり、スマートフォンを操作していた。そこには一つだけ名前のない、真っ白なアプリが入っていた。確かに、このアプリの通知がこの場所を指し示していたような気がする。


「あぁ、そうかもしれない」


「……あのさ、信じてもらえないかもしれないけど」


「何?」


「私、実はずっとここに閉じ込められてたの。今もそう」


「……え?」


「……君と会ってからね、半年後くらいに拉致されたの。特に何をされたわけじゃないんだけど、多分元旦那かな。ちょっと喧嘩別れしちゃってたし」


「……元」


「あはは、実はバツイチなんだ。それでね、多分このホテルのオーナーが知り合いなのかなんなのか、偶然ここに閉じ込められちゃって。1年くらい前までは連絡が来てたのに、今は全然来なくなった。私は一人ここに閉じ込められて、それでも何故か毎日ルームサービスでご飯だけ届けられて……もう死のうって思ったよ」


「そんなことが……」


「ダメ元で色んな人にLINEを送ったけど、ダメだったの。それで諦めてた時に、何故か君のアカウントが出てきたんだ。……嬉しかったな、あの時私も新鮮だったから」


「美咲さんに、遊ばれた日ですよね」


「何? さっきは好き勝手しといて、そういうこと言うんだ?」


 3年前はこんな風に話が出来なかったことが、今ではこんな風に話が出来てしまう。身体が満たされ、次第に心まで潤っていくのが分かる。今この瞬間も、彼女を裏切っているという事実を見ないようにして。


「……でも、なんで俺にだけ通知が」


「わかんない。でも、本当に私はここを出られないんだ。でたらきっと、次は殺されちゃうと思う。……それに、君も家のことがあるんでしょ? だから、君だけ出てって」


「……けど」


「心配してくれるの、嬉しいけど。所詮、私は君のセフレにしかなれないでしょ。二回目会えただけでも嬉しかったよ。……ほら、ここは現実世界と違うっていうか、夢の世界とか、異世界みたいなものだから。私と一緒にいる所が知られなかったら、浮気にならないよ。だから安心して?」


 彼女は前にあった時と同じ、スラスラと聞きやすい声で話してくれた。けれどその言葉の裏に、恐怖や不安が滲み出ているのが分かった。


 拉致、監禁されているのが本当なら、警察に言うべきだろう。けれど、連絡が取れなかったのなら、本当に何か不思議なことが起きているのかもしれない。アプリのこともそうだし、LINEのアカウントだって勝手に追加されていた。まるで何者かが彼女の元へ導こうとしたみたいに。


「……分かった。でも、美咲さんが元の世界に戻れるように出来るだけ手伝うよ。恩返しとして」


「君の性欲処理代、ってこと?」


「だとしたら、ちょっと足りないかも」


「さすが、若いね。いいよ?」


 そう言って、夢を見ていたような現実逃避の時間はあっという間に過ぎて。


 気がついてホテルから出ると、そこは自宅だった。


「え?」


「どうしたの、貴方」


「え、あ、え!?」


「何? 急に大きな声出さないでよ」


「あ、いや、ごめん」


 それはまるで瞬間移動したみたいだった。それだけじゃなくて、彼女が目の前に現れた。いや、それまでの時間がスキップされたような。


 何かおかしいことが起きている。それが彼女、美咲さんのせいなのか、美咲さんの周りなのか、分からないまま自宅のソファに座って。


「ねぇ、そういえば。さっき、貴方の鞄を見たの」


ドクン。


「な、何?」


「ハンカチが入りっぱなしだったけれど、どこかで使ったの?」


「え? あぁ、そうだ、洗濯に出し忘れていたんだ。ごめん」


 そう、とハンカチを持って洗い場へと消える彼女。

 心臓の音が聞こえていないかどうか、不安だった。それでも、あの時の熱の余韻は消えそうにない。美咲さんの、見るものを惑わす妖艶な肉体。七色に輝くような喘ぎ声。これまでにないような情熱的な交わり。今思い出しただけでも、昂ってしまう。彼女がこれを知ったら、何を想うのだろう。


『知られなかったら浮気にならないよ、安心して』


「……そうだな」


「何か言った?」


「いいや、何も?」


 彼女の言葉に、勇気づけられる。それは罪の意識を背負って生きていくという意思だった。それと同時に、もう一度彼女と会いたい。そのための方法を探ろうと決意した。


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