第3話 美咲のわがまま
駅ビルを抜けて、どこかに向かって歩いていた。彼女が何を考えているのか、そもそもどんな人なのかすら、まだ分からないことの方がほとんどだった。
この駅には来ることが多く、買い物は大抵この駅だった。駅近くには商業施設が揃っているし、少し離れた所には映画や動物園、アミューズメント施設もある。もしかしてそういうものに付き合わされるのかと思っていたが、段々と行く方向が分かってくると、それは違うと分かる。
「隼也くんは、私のこと聞かないんだね」
「え?」
「まあ、今日別れたらもう会わないもんね。二人ともフリーだったら連絡先交換してた?」
「……そうですね」
「あはは、またお世辞。でも、そうだな。私も同じ年くらいだったら、君と恋愛したいとか、もっともっと知りたいって思ったかも」
彼女は至って冷静で、理性的に見えた。それなのに、時折見せる表情が自分の知らないもので、それが大人の色気というものかもしれない、なんて思いながら。
「どこに向かってるか、分かる?」
「いえ、こっちの方はあまり来たことがないので」
「そっか。じゃあ、知らないかもね」
「あの、どこに向かってるんですか」
「どこだと思う?」
その答えに、声色に、どこか不穏なものを感じて。けれど、その不安は次第に膨らんでいくのがわかった。新しいビルが立ち並ぶ駅前を通り過ぎて、雑居ビルや潰れたスナックが立ち並ぶ。そうだ、この先は。
「……ホテル街」
「だったら、どうする?」
「……帰ります」
「なんで? まだ何も言ってないよ」
「だって、それは……美咲さんだって、わかってるはず」
彼女が居ると、そういう話をしていたのに。どういう思考で、そうなるんだ。いや、確かにまだ彼女は何も言及をしてない。勘違いさせて笑おうって魂胆かもしれない。けれど、だとしてもそのジョークは自分にとって不愉快で。
「取って食われるって、思ってるの?」
「そうじゃなくて」
「彼女さんは今いないじゃん」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。こんな真っ昼間にこんなところ来る人いない。誰も私たちのことなんて見てない」
「……意味が、わかりません」
戸惑いながら、いっそこのまま走って逃げた方がいいような気もした。それでも、まるで彼女の視線が自分の体を硬化させるみたいに、身体を重たくしていた。そうして気がつけば、彼女に手を握られていた。
「正直に言うね。私、君のことが気に入ったの。逆ナンってやつ。でもさ、君みたいなタイプは、私みたいなタイプ、嫌いでしょ?」
「嫌い……ではないですけど」
「こういうことが、さ。でも、清楚で純粋無垢な女性の体を知るまで、まだ半年以上掛るんでしょ。耐えられる?」
彼女にそれを言われ、思わず頭が熱くなった。それと同時に、酷い憤りを感じた。手を振り払いながらも、笑みを浮かべる彼女の目をじっと見据えて。
「脅してるわけじゃないの。別に走って逃げてもいいけど、どうせ君と私の関係なんて、今日で終わりでしょ。それならちょっとした思い出作りに」
「都合よく、俺のことを遊ぶつもりなんですか」
「……子供じゃないんだから。それに、私だって誰でもいいわけじゃないよ。ガツガツしてない、隼也くんだから声をかけたの。かわいそうだなって思って」
「……かわいそう?」
「言ったでしょ、思い出作りって。このまま女を知らないなんて、もったいないもん。都合良くって言ってたけど、逆だよ。君が私のこと、利用すればいい。よく言うでしょ、童貞と処女だとうまく行きにくいって。この経験を彼女に活かしてあげたらいいの」
「……それは」
「ふふっ……」
体が震えているような気がした。彼女がぶら下げてるのは、禁断の果実だと思った。出会ってはいけない悪魔だった。触れてはいけない、所詮男たらしの狂言だってわかってるのに、頭のどこかでは、期待してしまっていた。きっと、身体はもう期待していた。それを彼女はわかっていて。
「……行こ?」
「……」
嫌だ、そんなこと、自分はしない。脳内で何度も呟きながら、彼女に手を引かれていく。二人以外誰もいない路地を覚束ない足取りで歩いて、ネオンのついていない、城を象ったような建物に迷い込んでいった。
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