2−3−2 秋大会準々決勝・加賀商業戦

 三石が右打席に入る。篠原のスタミナは問題ない。問題があるとしたらコントロールミスで甘いところへ投げないかという心配だけだ。


 篠原はストレートでガンガン押す。フォークも混ぜつつ、調子の良いストレートが食い込む。追い込むのは早々にできたものの、三石が粘る。ストレートを合わせることも、変化球を合わせることもできていた。


 九球目。とうとうボールがすっぽ抜けてしまい、高めに浮く。これで四球。クリーンナップだからといって必ず打たなくちゃいけないわけじゃない。四番のために舞台を整えるのも三番打者には必要なことだ。


 三石に出塁されたのは痛い。三間なら足の速さという意味で歩かせても良いと思ったが、三石は走る能力がある。そのため篠原は牽制を多く入れる。


 帝王の中で一番警戒しなければならない打者相手にランナーまで気にしないといけないのはキツイ。


 そして初球。


 篠原が右足を上げると当然とばかりに三石はスタートを切った。


「スチール!」


 篠原は身体を捻る投法ということもあってそこまでクイックが早くない。本人もできるだけ動作を早くして投げたが、本当に早い人と比べたら遅い方に分類される。横目で走ったのが見えたのでしっかりとバットが届かない高めへ外した。


 アウトハイに大きく外れたウエストボールを受けてキャッチャーの小関は二塁へ送球する。バッテリーとしてはベストな動きができたが、それでも三石の足の方が速い。四番のためのお膳立ては完璧と言えるだろう。


(ありがとうございます、三石先輩)


 一打で打点が付く状況を作ってくれた先輩に三間は打席でお礼をする。誰も彼もが三間のためにチャンスを作ってくれる。これこそが四番の特権だった。チャンスを作り、四番が止めを刺す。これこそが帝王のあるべき姿。


 あとは三間が打つだけ。


 二球目。一塁ランナーがいなくなったからか、篠原にブーストがかかる。インコースの胸元に来たストレートを三間がフルスイング。だが若干振り遅れたためにミットにボールが収まった。


(やっぱ伸びる。大胆なフォームでその通りのボールが来るのはある意味凄いことや。今大会最強左腕どころか、全国でも最高のサウスポーやないか?)


 いくら初打席で打ったとしても、大事な場面で打てなければ四番の意味がない。振り遅れたために今度はもっと早く合わせようと頭の中で修正を入れる。


 三間としてもやはり一番近しいストレートは智紀の三番ストレートだった。速度も軌道も一番似ている。智紀のストレートも散々見ているために脳内で思い返すことはできた。そしてそこから差異を見出し、どんなスイングをするか頭を整えた。


 智紀の三番ストレートなら打てる。だから篠原のストレートも打てる。そう理論付けて三間はバットを篠原へ向けて、そこから構え直した。


 三球目は縦カーブ。だがボールが低かったので見逃す。小関が捕る前にワンバウンドしたが、小関はしっかりと身体ごと動かしてミットで受け止めた。ボールが溢れていたら二塁ランナーの三石は走ろうと思っていたが、小関がすぐ立って警戒をしていたので帰塁する。


 小関はボールが土で汚れてしまったので後ろの主審へボール交換を要求。主審がポーチから新しいボールを出して篠原へ投げ渡し、小関は自分のベンチへボールを投げて拭くようにボールボーイ係へ任せた。


 新しいボールを貰いつつ、滑ったことで篠原はロージンを使い指を整える。


 一ストライク二ボールでバッティングカウントになった。ここで外れたら三間を歩かせてゲッツーを狙いに行く。だが一点を争う接戦ではないので中盤ということもあって、三間という最大戦力を打ち取って流れをこのまま維持するために勝負を続ける。


 ホームランを浴びれば同点だ。だが、そんなリスクはあって当然。こういうリスクといつも戦ってきた篠原だ。ここでひよるような心臓をしていない。


 四球目。


 篠原のストレートは真ん中低めに向かう。威力のあるストレートが低めに決まればそれだけで必殺になる。低めのボールは飛ばしにくい上に、威力があればその効果は倍増する。本格派投手の低めのボールは打ち取るためのボールとしては最適と言える。


 そのボールに三間は対応した。いつもより腰を落としたスイングは伸びたボールを捉える。145km/hのストレートを確実に捉えようとした三間はスイングを早めていた。そのため打球はライトへ高く飛ぶ。


(持ってかれた!)


(差し込まれた!)


 篠原と三間はそれぞれそう思う。打球は確かにしっかりとフェアゾーンに飛ぶ。だが良い角度で飛んだ割りには伸びない。上がりすぎている。


 そのためライトの足はフェンスより少し前で止まる。


 三間は落とすことも考えて一塁を回るが、そこはしっかりと捕球される。だが犠牲フライには十分。二塁ランナーの三石はタッチアップを敢行。滑り込むこともなく三塁へ到達し、内野がもたついていたらホームも目指そうと持ったが流石にそこまでの余裕はなかった。


 ランナーに進まれてしまったが三間を打ち取れたことはプラスだ。


 一アウトなためにスクイズでも犠牲フライでも点が入ってしまう状況。そこで迎えるバッターはクリーンナップ最後の五番智紀だ。


 三間はベンチに帰る前に智紀に言葉を残す。


「お前のボールの方が上や。犠牲フライはいけるやろ」


「俺より下だって言うならスタンドにぶち込め。俺のストレートを学校でホームランにしてるんだぞ?ここはウチのフェンスより低い」


「ここの方が若干広いやろ。……次は打つ。だからこの打席は任せた」


「ああ。今日の俺は五番だからな。お前の尻拭いは任せろ」


 それだけ交わして智紀は打席に入る。バットのヘッドが一塁側へ落ちた。


 内外にも知られている、打席での智紀がゾーンに入った証拠。この状態の智紀の集中力は半端じゃない。ヒットじゃなくても犠牲フライは期待できるモードだ。


 夏休み明け辺りからこの状態のことは智紀本人にも話されて、あえてこの打法を意図的にやったらどうなるかという実験をしていた。その際には逆にまるで打てなかった。違和感ばかりでてんでダメだったので意図的に神主打法のような構えをすることはない。


 だが、やはり試合中だとたまにこうしてその構えが出る。この時の智紀はほぼ意識がない。見えているのは相手投手の動きだけ。


 そしてこの状態を見て加賀商業のバッテリーはどうするか考える。この状態の智紀は打率が七割を超える。それに近しいデータを持っているバッテリーとしては勝負を避けたいくらいだ。


 丁半博打よりもタチが悪い。そんな勝負に乗るほどバカではなかった。


 だがあからさまな逃げ腰はこの良い流れに水を差す。だからバットが届かないギリギリを攻めて歩かせることにした。


 初球はアウトコースのボールからストライクに入るバックドアという高等技術をやろうとして入らなかったていでボールにしようとする。ボールからボールになるので打たれる心配などしていなかった。智紀の立ち位置も至ってスタンダードでバッターボックスの中の真ん中辺りだ。


 カットボールがコントロールした通りにアウトコースに向かう。ちょっとゾーンに向かうが、ストライクに入ることはない場所へ向かっていった。


 まさかそんなボールを打つために思いっきり足を踏み込んで、長い腕が伸びてくるなんて予想できない。結構なボール球なのにバットの先に届いたのだ。


 ヒットを警戒して三塁にランナーがいるのに前進守備をしなかった。定位置にいたのに打球はセカンドの後方へふらっと飛ぶ。腕を伸ばすものの追いつかず、ライト前へポトリとボールは落ちた。


 落ちたことを確認して三石はホームへ帰還。初球のボール球を打つとは思わず、とにもかくにも一点を返した。一塁に到達した智紀はガッツポーズを向けるでもなく淡々と肘と足のプロテクターを一塁コーチャーに渡していた。


 スタンドではかなり喜んでいるのにそんな冷たい反応を返されたら冷水をかけられたように感じるかもしれないが、スタンドの面々も結構な数の試合を見てきたからかこの状態の智紀に慣れていた。だから反応が返ってこなくても気にしなかった。


 智紀は今、集中し切っている状況だ。牽制されればしっかりと帰るが、立ち上がった後は盗塁なんて考えていないかのような短いリードしか取らなかった。それでは牽制するだけ無駄だとして篠原は六番の町田へ意識を向ける。


 意識を智紀から切ったのがいけなかった。こちらへの関心がなくなったと判断した瞬間智紀は暴走気味に走り出す。篠原も打席へ向かって投げるつもりで右足を上げてしまったのでここで牽制をしたらボークになる。


 そのためとにかく投げるしかなかった。ウエストしたボールを受け取って小関は投げようと思ったが、既に滑り込んでいる智紀の姿が映ったために投げる構えで止まってしまった。タイミングとしては完全に暴走なのに、篠原の意識がバッターへ向いてしまったためにどうにもできなかった。


「なんだ、これ……」


 篠原としてはありえないものを見た気分だ。リードが小さかったから無視をした。ただそれだけのこと。智紀の足が速いことは知っていたが、二歩くらいしかリードをしていない状況で走るとは思えなかったのだ。本職が投手であることもあって走ることを辞めたのかと思ったほどだ。


 ヒットを打った時点で仕事は終わったと。そんな風に感じれるほどの短いリードだった。少なくともこの一球では走らないと、走ったとしても失敗するようなリードだったのに。


 そうして意識を切った瞬間。その思考が読まれたかのように走り出したのだ。走り出すタイミングが完璧すぎて気色悪かった。背筋に冷たいものが走っていた。完全に裏をかかれていた。足のスペシャリストでもできるかわからない盗塁だ。


 こうなると二塁にいても警戒をしないといけない。篠原は小関からサインが出ていなくてもこの気色悪さを払拭するためにサウスポーとしてはやりづらい二塁牽制をする。


 またしても短いリードだったので智紀は歩いて帰塁する。その表情とリードから走る気なんてしない。


 後ろからの智紀の視線が怖い。そう思った篠原はあとアウト二つを打者から奪えば良いと考えて足を上げる。


 そしてやはりか。誰もサインを出していないのに智紀が三盗を仕掛けた。


 町田はそれを見た瞬間援護のために空振りをする。二塁ならワンヒットでも帰ってこられない可能性があるが、一アウト三塁なら打ち損じや外野フライで得点になる。大振りでストレートを空振りし援護して、今度は小関が三塁へ送球する。


 しかしスタートがまたしても完璧だったために滑り込んだ智紀の足の方が早かった。そしてそれを見てスタメンで出ている足の速い面々は自分でも三盗ができるなと確信した。智紀のスタートは確かに完璧だが、足の速さは勝っている人間もいる。智紀ほどの完璧なスタートは切れなくても右打者が打席に立っていればイケると感じる。


 一ストライク一ボールになるが、たった二球でランナーが三塁にまで進んでしまった。そんなバカな話があるかと篠原が小関を呼ぶ。小関はそれを見て主審にタイムをもらってマウンドに向かった。


「なんだよ、あれ」


「俺から見たらスタートが完璧すぎた。悪い、俺の肩がもっと強かったらこんなに走られなかったのに……」


「それは言いっこなしだ。……ここは同点にできない。全く、人の真似ってあんまり好きじゃないんだけどな」


「……わかった。サイン出すぞ」


 少し愚痴れて篠原は気色悪さを少しだけ払拭できた。三塁ランナーは極力見ないことにする。


 戻った小関から早速サインが出される。この東京には参考になる投手が多かった。勝つためには分析と相手の長所を取り入れる必要があった。


 篠原はクイックをせず、足を上げる。そして腕の振りが普通のオーバースローよりも頭に近かった・・・・・・。オーバースローと言いつつも腕の振りは直角にならない。それでも身体の右側を沈めることで篠原は右足と右腕を一本の棒のように直線にすることに成功していた。


 そのフォームで放たれたストレートはタイミングがずらされたことと今までとの軌道と違ったために町田は空振り。リリースポイントが違うために目線がズレて思っていたコースとは違う場所へ届いていた。


 目線が変わる、視線の向く先が変わる。これは打者としてはかなり対処しづらい。打撃とは予測だ。その予測が外れるとスイングを修正するしかなくなる。


(フォームチェンジ⁉︎まさか篠原も……!)


 町田が困惑している間に四球目が放たれた。またしても直角に近いフォームから放たれたストレート。町田はインコースに来たそのボールをバットに当てるが、根元に当たったために打球はファーストへ弱々しく転がる。


 今度は前進守備を敷いていたので智紀はホームへ突っ込めなかった。ファーストの十村が捕球してそのままベースを踏んだことで二アウト。


 七番の千駄ヶ谷が左打席に入る。


(どこもかしこも僕たち帝王を警戒してるよね。強敵に隠し玉とか、ベタだけどさ。勝つために必要だと思ったらやるか。……よし。二アウトだから内野が下がった。奇襲は即断でやらないと奇襲にならない)


 国士舘に続いて加賀商業も秘密兵器があったこと、それを帝王相手に見せてくることに納得しつつ、千駄ヶ谷は相手の奇襲に合わせて自分も奇襲を仕掛けることを決めた。


 相手が強引に流れを掴もうとしたのに同点にされたらキツイだろう。


 篠原がゆったりとしたフォームで足を上げる。千駄ヶ谷はまだだと思って我慢する。そして腕がリリースの頂点に行き着いた辺りで千駄ヶ谷はバットを横に寝かせた。


 セフティースクイズだ。二アウトなために千駄ヶ谷が生き残らないと意味がない。その奇襲を悟ってサードの栄が慌てて突っ込んで来た。


 千駄ヶ谷の予想通りストレートだったためにサード方向へ転がす。篠原へ捕球させないように強めに転がそうとしたが、ボールが重くてそこまで転がらなかった。


「まずっ!」


 ロケットスタートをする千駄ヶ谷。案外転がらず、前へ来た篠原が処理する。素手で掴んだ篠原は身体の向きだけ変えて全力送球をした。150km/h近いストレートを投げられるだけあって篠原はかなりの強肩だ。


 千駄ヶ谷は一塁を駆け抜ける。矢のような送球がファーストの十村のミットへズバン!という轟音を鳴らして届く。見ている限るかなりギリギリだったが、一塁塁審の腕は横に広がった。


 セフティースクイズが成功して同点になり、千駄ヶ谷を褒める声が殺到する。やった本人としては上手くいって一塁上で安堵の溜息を吐いていた。


 自身のホームランで手に入れた貯金がなくなってしまった篠原。


 そして今日は打撃ではなく走力で攻めると決める帝王。


 振り出しに戻った試合は勢いもフラットに戻り、どちらが有利とも言えなくなっていた。次の一点を奪った方が有利になる。それだけはわかっていたのでまだまだ攻めようとする帝王。


 一方加賀商業のバッテリーはもう走られることを止めるのは無理だと腹を括った。ウエストでボールを増やしても刺せない。ならランナーをガン無視で打者勝負に移行する。


 千駄ヶ谷に走られたものの打者勝負が功を奏して丸山から三振を奪いチェンジ。長かった守備が終わって、結局この回の攻防はプラスマイナスゼロになってしまった。


「ああ、そうだ。甲子園を目指すってこういうことだよな。夏でも秋でも、いつでもこうだ。だからこそいつも通り点を奪いに行こうぜ」


 篠原の言葉で加賀商業のモチベーションは保たれる。エースがいつも諦めない。だからこそチームメイトは奮起する。チームをお前一人には背負わせないぞと。

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