2−3−3 秋大会準々決勝・加賀商業戦
五回の表。
加賀商業の攻撃は八番から。大久保は同点にしてもらったこともあってフルスロットルでボールを投じた。
ここまで勝ち上がってきている加賀商業の打線といえども、都立という選手層の薄さが響いた。篠原の噂を聞きつけて有望な一年生も入部したものの、智紀や三間レベルの選手は入ってこなかった。
精々が帝王で言うところの二軍レベルだ。その選手たちに打たれる大久保ではない。八番・九番を二連続三振に。一番の井戸田をレフトフライに打ち取ってチェンジ。この頃には馬場の肩が出来上がっていつでも登板できるようになっていた。
投手リレーの準備を着々と進めている頃、裏の帝王の攻撃で智紀が
「智紀。
「肩を作る。野手で出てるからそんなに要らないだろうけど」
「ベンチを信頼するのもエースの役目よ?」
「違う違う。相手を威圧しようと思って。相手打線はとにかく篠原さん頼りだ。向こうはエースを投入してないから打てるっていうメンタルで歯を食いしばって頑張ってるけど、その自身は結局俺を怖がってるからこそなんだよ」
千紗が止めようと思ったが、智紀の理論を聞いてそこまでやるかと呆れる。
エースとして堂々としていろと忠告したのに、まさかの精神攻撃をすると言い出したのだ。
思わず千紗は最高責任者である東條監督の方を見る。
「ブルペンからプレッシャーをかけるつもりか。良いぞ、やってこい」
「はい」
智紀は許可をもらったことでブルペンに向かう。ブルペンで肩を作っていた馬場は出番なしかと目を丸くしたが、智紀が事情を説明して守備の時に投げると決めて攻撃中はベンチに下がることにする。
そして智紀が高宮相手に立たせたままボールを投げるものの、肩自体は守備でちゃんと作ってあるのでドン!という音を鳴らせて早速威圧を始めた。
その音と応援に来ていた女子が智紀が投げるかもしれないと浮き足立って歓声を挙げたので加賀商業も智紀が準備を始めたことを知る。
それは帝王が本気になったとチャレンジャーとして喜んで捉えるべきか、今でも二番手の大久保を打ち崩せていないのにさらに上の投手が用意を始めたことを恐るのか。残念ながら加賀商業の面々は後者だった。
なにせ加賀商業の面々は何度も負けている。夏大会は帝王と同じく名門の白新に。その後の夏期間に練習試合を東京以外の強豪校と戦ってきたが、篠原が投げても負ける試合はあった。
篠原といえども打たれる日は打たれるし、打てない日は打てないのだ。
それに智紀は同世代では今や有名人だ。甲子園での奪三振タイ記録樹立という活躍、直近でも激打で知られる三苫高校を完封。投手としての実力は調べたからこそ思い知っている。
そんな智紀が自分たちを抑えるために準備を始めた。それは彼らからすれば死神の鎌だ。甲子園に出ていない自分たちが、打てるはずがないというメンタルに陥ってしまう。
もちろん篠原や小関のように全く気にしていない選手もいる。甲子園を目指すということはそういう相手を倒すことだと覚悟できているから割り切れているが、他の選手は篠原を知っているからこそ萎縮してしまった。
彼らは知っているのだ。世の中には天才がいるのだと。その天才の片鱗を間近で感じ取り、彼の力になれるようにと実力を付けてきた。実力が伸びてきたからこそ、わかるものもある。
天才と凡才を区切る断崖絶壁の存在を。そしてその崖の先がどれだけ遠いのかを、把握
その萎縮は、守備で出てしまった。
「あっ!」
先頭打者の大久保が引っ掛けた打球は三遊間に飛ぶ弱々しいゴロだった。普通に処理すれば間に合う当たりだったのに、グラブで弾いて後逸。グラブに当たったこともあってすぐに掴み直したがその間に大久保は一塁を駆け抜けていた。
上位打線に繋がる打順だからこそ、バッテリーとしては大久保を出塁させたくなかった。だがエラーを責めても仕方がないとして篠原が声をかける。
「次も打たせるからな!頼むぞ!」
「は、はい!」
逆効果になるかもしれないが、声をかけないよりはよっぽど良いとして篠原は声をかけた。
ここからは帝王の中でも打率が良い巧打者揃い。どうやって抑えたものかとバッテリーは悩む。
(大久保の足はそうでもないから走ってこないはずだ。一番の村瀬にスクイズ以外でバントをやらせるとも思えない。そうなるとヒッティングのはず)
(数少ないゲッツーが狙える状況だな。村瀬の足は驚異でも、ここはゲッツーを奪いたい)
(と、俺らが考えて変化球狙いなんじゃないか?内野ゴロを狙うなら落ちるボールが一番だ)
(だからこそ、ストレートで押す。篠原のストレートなら球威で詰まらせることができる)
ゲッツーは最高の想定だ。とはいえここはアウトなら割と何でもいい。三振でもフライでもゴロで一つだけアウトを取るだけでもいい。ただ打順的にゲッツーを取りたいだけ。
このまま一つずつアウトを奪っていくとクリーンナップに打順が回ってしまう。それはできれば避けたいというのが本音だ。このままいけば確実に八・九回にもう一度クリーンナップに打席が回ってしまう。あと二回も戦って0点に抑えられるかという純粋な心配があった。
そして打線が爆発してしまえば残りの五回で三度打席が回ってくるかもしれない。帝王は裏の攻撃なので加賀商業が必死に点を奪っても最終回にサヨナラを喰らう可能性が残っている。リスクを避けるために、ここで一つでも多くアウトを稼いでおきたいところだ。
投手が打たれたくないと考えていることなど打者の村瀬としても理解していた。特にエースに全てを捧げている加賀商業のようなチームでは完投が勝利の条件なために勇み足になってアウトを求めているなんてありふれた話だった。
ではそこで一番打者の村瀬はどうするべきか。
四球で出塁することだ。
その最適解をお互いに求めて粘る篠原と村瀬の勝負。それは十球目まで続き、最後はフォークに合わせようとした村瀬が後ろへカットすることができずにショートへ打球が転がる。
今度こそ打球を処理してセカンドへ送球。ランナーだった大久保はフォースアウト。そのまま一塁へ送球されるが、左打者だったこともあって村瀬が一塁へ到達する方が早かった。村瀬は自分の俊足と左打ちに助けられた形だ。
(ふう〜。これで削れたか。最低限だな。大久保には悪いけどこれで走れる。それにここからは俺以上のバッターばかりだ。チャンスを作ればどうにかしてくれる)
打率で言えばトップに近い村瀬が認めるバッターたち。それが二番からの帝王打線だ。
自分の打率やプライドを捨ててでも勝利に徹することができるクレバーな選手。それが村瀬であり、キャプテンに選ばれる器だった。
村瀬は身長が170cmに届いていない。そのためホームランはほぼ打てない。インコースに来たボールを無理矢理に引っ張れば打てなくもないが、そうするとせっかくの持ち味である打率を損なう。
二番以降にいる打者たちは打率を損なうことなく長打もホームランも打てる強打者たちだ。その彼らに任せて村瀬は次の塁を目指す。
もう篠原はランナーを気にしていない。打者を抑えることに集中する。なにせほぼフリーラン状態なのだから牽制するだけ労力の無駄である。
(と、見せかけて牽制してくると)
加賀商業は中々したたかだった。全然気にしていないフリをして牽制を入れてきた。気を抜いたところに殺そうとしてくるのは弱者だからこそだろう。
牽制を入れて初球。村瀬は当然のごとくスタートを切った。篠原はストライクを奪いに行き打者の仲島が援護のために空振り。キャッチャーの小関は投げることもできずに村瀬は二塁へ到達する。
(打つだけじゃねえ。守備で走塁で、このチームを引っ張っていかないといけねえ。オレはキャプテンとして勝利を追求する!切込隊長としても、帝王を引っ張っていかないといけないんだよ!)
村瀬が任される役割は多い。一番打者として相手投手の情報収集、出塁して先制点を奪う。そして守備でもセンターラインの一角であるセカンドを任されている。そしてキャプテンとしてチームメイトの折衝もしないといけない。
そんな中でキャプテンに選ばれた者としてレギュラーを維持するのはもちろん、チームの顔としての活躍を求められる。そのプレッシャーに勝てる選手じゃなければ務まらない。
いつも帝王のキャプテンはそうだ。攻守全てにおいて活躍を求められる。その上でしっかりと活躍できる才能があるからこそ、選ばれていた。先代キャプテンの葉山然り、帝王の顔になるスラッガーとは別の選手であることが多い。
村瀬はキャプテンに選ばれてから、自分が先頭に立つという意識でプレイしている。それは今の試合も変わらない。二球目で村瀬は更に盗塁を仕掛けた。智紀がやったのだからと、村瀬も続けと滑り込む。
流石に三盗は防がないといけないと思ってウエストして刺殺しようとする。だが足の速さだけで言えば智紀よりも速い村瀬だ。智紀を刺せなかった小関では村瀬を止められなかった。
智紀の暴走ではなく、帝王の選手であれば四球が三塁打になってしまうことを証明してしまった。
機動力野球というものによって四球が長打に早変わりすることはある。だがそれを打てる帝王がやるということで隙の無さを見せつけていた。
投手には智紀がいて。守備も決して悪くなく。打力としては甲子園でも大量得点を奪えるほどのもの。そこに機動力野球まで加わった。
今相対している加賀商業も、偵察をしていた他の高校も。帝王の進化に恐怖さえ抱いていた。こんな高校のチームがあっていいのかと。
聳える壁の大きさを刻みつけるようで。スコア以上に帝王の力を見せつける試合内容になっていた。
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