2−3−1 秋大会準々決勝・加賀商業戦
篠原はこれ以上上位打線に暴れてもらっては困ると、二番の仲島を絶対に出塁させないためにギアを上げる。ランナーがいなくなったこともあってワインドアップで投げられたために仲島を強引に打ち取ってファーストフライに打ち取った。
三回を一失点。
このペースなら九回まで投げられそうなペースだ。
攻守が変わって試合は中盤戦へ。四回の表になって加賀商業の攻撃は三番十村から。クリーンナップから始めるこの回でどうにか得点を入れたい。
さっきの打席はファーストゴロで終わってしまった十村。十村は篠原を除いてチームでトップの打者だ。だが正直な話打力では帝王のスタメンメンバーに劣るだろう。
なにせ加賀商業に来てまで野球をやろうとする人間は少ない。中学もやっていたからやるか、くらいの気持ちで入部した人間ばかりで実績も才能も名門校には明らかに劣る。その自認が十村にはあった。
だからチームで篠原の次に良い打者だと言われても天狗になれない。むしろ自分が打てるかどうかで試合の趨勢が変わっていく。だから彼はいつだって緊張感を持って打席に立っていた。
(俺が第一打席で引っ掛けたのはストレートだ。いくら東京の野球部だからって140km/hのストレートに負けずにバットを振れるってだけでめちゃくちゃな進歩なんだけどな。ただそれじゃあダメだ。篠原を勝たせてあげられない)
東京にはプロ注目の投手が集まる。篠原に負けず劣らずの投手と敵対する。
140km/hに振り負けているようじゃ勝てないのだ。
だからこそ、素振りを増やした。スピードボールに慣れるために打撃マシンで打ち込んだ。篠原と対戦してきた。
その努力は裏切らないと、決め球を決める。
(俺が一番打てるのはストレートだ。大久保のフォークは一級品。シンキング2シームも引っ掛ける可能性が高い。ならストレートに絞った方がいい)
そう思ってとにかくストレートのタイミングで待った。大久保のストレートも質は良い。一球もストレートを投げないということはないはずだと考えた。
それにまだ四回。更には十村は篠原ではない。一人で点を奪えるようなスラッガーではない。そこまで警戒しないだろうと考える。
十村は別に足も速くない。たとえ出塁させても最悪篠原以降を抑えれば良いと帝王バッテリーは考えているのだろうと予測した。
(王者だと思い上がってろ!もう明日のことを考えて慢心してろ!俺たちは毎試合必死にジャイアントキリングするしかねえんだからな!)
ストレート待ちをしていると打席で匂わせることもしないで三球目。
ストレートが十村の得意なコースであるインコースに来た。それを思いっきり引っ張ってレフトへ鋭いライナーの打球を飛ばす。俊足の千駄ヶ谷が走るが流石に追いつけない。千駄ヶ谷の前へ落ちるシングルヒットとなった。
「よし!ナイバッチ十村!」
「篠原、美味しいぞ!」
ランナーを置いて篠原が左打席に入る。先程の打席では先制のヒットを打っている篠原だ。期待がかかるがそれを重荷とは思わない強打者。
打率・本塁打数・打点。全ての点で加賀商業の最強打者。篠原を抑えれば文字通り加賀商業の打力は半減する。それほどの中核となる選手だ。
大久保・町田のバッテリーもここは警戒する。中盤戦に入ったばかりだがいつものように大量リードをしているわけではない。その上ここで打たれたら流れが確実に加賀商業へ行く。絶対に打たれてはいけない打者、状況だった。
篠原の調子は投手としても打者としても最高潮だ。今日の篠原から大量得点は難しいだからこそここは最悪歩かせてでも慎重に攻める必要がある。
だからこそ初球にウィニングショットたるフォークから入った。
ブオン!とスイングの豪快な音が鳴るもののバットとボールはだいぶ離れていた。初球をインローのフォークで空振りのストライクを奪う。
「おお、俺のフォークよりかなり落ちるな。俺の縦カーブみたいなもんだと思えばこれだけ変化するのも当たり前か」
「お前のフォークも十分落ちてるぞ。篠原」
「天下の帝王の正捕手にそう言われるのは光栄だな」
そんな戯れの言葉を交わしつつも二人の集中力は途切れない。
二球目はストレートをアウトコースに外した。最悪歩かせても良いと考えるとゆとりを持って配球できる。ノーアウト一・二塁は確かにピンチだが、ここで篠原にまた長打を打たれて調子づかせる方が危ないと考えた。
この意向は東條監督に許可を貰っている。明らかに加賀商業のキーマンたる篠原に活躍させるなんて手をつけられなくするようなものだ。
だから三球目もアウトコースへシンキング2シームを外させた。
バッティングカウントになったからこそ、打ち気になっただろうからとストライクゾーンで勝負する。一番相手を消沈させるにはここでゲッツーを奪うことだ。三振以上に数少ないチャンスを潰したという結果の方が加賀商業を折るには適している。
だから落ちるボール。かつストレートに擬態できるSFFをアウトローへ要求した。大久保も打ち取るならそこだろうと思って迷いなく頷く。
そして放たれた四球目。
篠原は待ちわびたかのように右足を三塁側へ踏み出して膝近くに落ちてくるボールの軌道に合わせて掬い上げた。
涼やかな金属音を響かせながら完璧なフォールスローでバットを一塁側へ投げた。
「SFFって魔球って呼ばれるけどよ。ストレートよりは遅いし、自慢のフォークほどは落ちない。狙ってれば打てなくはないぜ」
そう町田に告げて確信歩きを始める。打球はレフトへグングンと伸びていき千駄ヶ谷が追ったが、途中で諦めた。
そしてそのまま、そこまで高くないフェンスを越えていった。入った瞬間に球場が爆発した。
「投げて打って、素材はマジでピカイチだな!」
「ここでの二ランホームランはデカすぎる!帝王を突き放した!」
「篠原、愛してる〜!」
「金属バットとはいえ、逆方向にあそこまで綺麗に飛ばすとは。篠原は引っ張りが強かったと思っていたがデータの修正が必要だな」
「いやいや、本当に野手としても優秀だ。野手専任でも良いかもしれん」
観客が、チームメイトが、スカウトが。それぞれ今の一撃を祝福する。
加賀商業に篠原あり。それを示す一発だった。
偵察に来ていた他校の人間も今の一発の重要性を噛み締める。大久保は決して悪くない投手だ。本来であれば二番手になるような投手ではない。ストレートも変化球も一級品だ。その大久保のSFFを完璧に逆方向に飛ばす篠原の打者としての才覚がやばすぎるという話。
大久保はまさかホームランを打たれるとまでは予想できなかったためにマウンドでがっくりとしてしまい天を向きながら大きく息を吐いていた。そうしないと気持ちを整理できなかったからだ。
篠原がゆっくりとダイヤモンドを回る様子を、睨むように見ていた。
「高宮!行くぞ!」
「はい!」
ここで大久保が崩れたら緊急登板があり得るかもしれない。そう思った馬場が急いで肩を作り始める。大久保にはできれば完投してほしいと考えてたので馬場が肩を作り始めたのはこの回からだ。
肩の準備をしているのは馬場だけ。もしもの事態になってもマウンドでは完璧な状態でいようと馬場は急いだ。
篠原がホームインしたのを確認して町田がタイムをもらってマウンドに行く。実のところそこまで心配はしていないが、ホームランを打たれた直後だ。グチくらい聞くのが女房だろうと向かう。
町田と大久保がバッテリーを組んでいる回数は多い。今の二年生の中で一番実力があった投手と捕手だ。練習で組むことはもちろん、二軍で何度もピンチを乗り越えてきたこともある。だから大久保の状態はよくわかっていた。
「打たれたな」
「ああ、打たれた。狙ってたのか?」
「そう言ってた。あんな完璧な一撃を見せられちゃ嫉妬するものの清々しいだろ?」
「まあな。オレたち帝王の投手って先輩方とかチームメイトにこれでもかと打たれてるから案外へっちゃらなんだよな。打撃の天才はよく知ってる。……よし。倉敷先輩に一発もらっただけだな。モーマンタイ」
「それはそれでどうなんだ」
そう苦言を言いつつも町田はへこたれていない大久保の様子に笑う。
練習でめちゃくちゃ打たれることばかりだからか、帝王の投手は存外図太い。これくらいでは心が折れたりはしなかった。
「ランナーもいなくなったし投げやすいだろ。篠原以外は俺たち以下しかいないぞ」
「わかってる。オレの女房ならさっさとあの篠原から点を奪って負け投手の権利を吹っ飛ばしてくれない?」
「できるだけ善処する」
「善処じゃなくてマジでやってくれない⁉︎智紀を温存して負けたなんて言われたくねえんだけど⁉︎」
「わかってるって。だがお前もわかってるだろ?今日の篠原はヤバイって」
「……ああ。だからこそ最高のリードを頼む。これ以上は点を与えられない」
グラブとミットを合わせて町田は帰っていく。その間に大久保はマウンドを足で均しているとライトの智紀と目が合った。
その強い目を見て、二人はどちらからともなく頷く。
(待ってろって、智紀。お前を最高の状態で明日のマウンドに上げてやる。武蔵大山の井上を止めるとしたらお前のピッチングが必要だ。明日は今日以上の投手戦になるだろうし、お前の肩を温存する。それくらいは先輩のオレにやらせてくれ)
(任せましたよ。先輩)
大久保はロージンも使って準備をする。これ以上一点も与えないと気合を入れ直して五番の小関と対峙する。
その小関にライト前ヒットを打たれてしまったが、続く六番を6-4-3のゲッツー。そして七番を三振に仕留めて四回を終わらせた。
3-1にスコアが変わってしまい、帝王が追いかける状況がこの試合早くも二回目となった。それでも帝王は慌てない。自分たちは打てるという自負がある。
たとえ絶好調の篠原が相手でも、点を奪えることは確認済みだ。さっきの攻撃をコツコツと続けていけばいい。
それに帝王の攻撃も加賀商業のようにクリーンナップからだ。甲子園でも暴れてきたスラッガーたちが篠原を攻略せんと目をギラつかせる。
篠原に負けず劣らずの打者が何人も続くのだ。そんなボスラッシュを前に篠原も闘志が伝播したのか歯を獰猛に見せつける。
投球練習で見せた篠原のストレートは全く衰えていなかった。
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