2−2−2 秋大会準々決勝・加賀商業戦
攻防が入れ替わって帝王の攻撃。
一番の村瀬が左打席に入る。左対左だが村瀬の打率から変更するのはもったいないと感じて東條監督はそのままの打順にしていた。左投手だからと弄るようなチームではない。よっぽどの理由がなければキャプテンの打順を落とすことをしない。
村瀬の対左打率も悪くない。というより、打の帝王でサウスポーに弱いというデータがあったらレギュラーになれるわけがない。
村瀬は投球練習で見ていた球筋から篠原の脅威を正確に知る。映像ではわからなかったが、近くで見たことでそれを知ることができた。
篠原のストレートは化け物だと。
(球速ばかり言われているが、質だけなら智紀にも匹敵するんじゃないか?それがサウスポー独自の軌道で来る。……厄介だな。白新の萩風が打てたのはアイツのポテンシャルが高かったからって可能性が高い)
そんなことを思いながら打席に立つ。
篠原は変化球の球種が多く、どれも実戦級ながらストレート主体の投手だ。ウイニングショットもストレートであり、変化球はストレートを活かすための添え物でしかないという、変化球の在り方そのものという使い方をしているのだ。
つまり、智紀と全く同じタイプの、完成度がズバ抜けた投手ということ。
十中八九、初球はストレートだと思っていた。それが本格派投手の当たり前。
篠原は大きい体格に見合った、ダイナミックな投法を見せつける。上げた左足の膝は肘の近くまで上がり、身体は若干センター方向へ向ける。一時期一世を風靡したトルネード投法にも似たような投げ方だ。
差異を付けるとしたら完全に後ろを向かないために若干身体を捻っているだけということ。そして踏み込み幅がかなり深いことか。
メジャーで流行っているのはむしろ踏み込み幅を短くして膝を突っ張るようにするような投げ方だ。それとは逆を行く身体を沈める投げ方で、長身の篠原がいきなり沈むこともあって目線の変化もあって余計に打ちにくい要素となっている。
身体に負担のありそうな投げ方だが、これが全然負担になっていない。篠原は定期的に病院に通っているが身体に異常はない。この投げ方を身体が覚えこんだのだ。そのためフルパワーで投げられる。
放たれたのはアウトコースへのストレート。村瀬は様子見のために見逃したが、ズドン!というキャッチャーミットが鳴らした音と共に主審の右腕が上がったことでそのボールの威力を思い知った。
(迫力が凄いな。アウトコースなのに近く感じた。ノビもあるし回転も荒々しいバックスピンだ。あの音からしても相当重いんだろう。ジャイロとかそういう特殊なストレートじゃない。だからこそ厄介だ)
それは投手としての基礎にして最奥であるストレートを徹底的に鍛え上げた証拠。そのストレートだけでも厄介なのに変化球もしっかりと磨いてある。
ストレートを捉えたとしてもそのボールの重さから碌に飛ばないと予測される。一応映像からボールがあまり飛んでいないことから球質が重いというのは予想していたが、音を聞いて確信する。
速度も140km/hは確実に出ている。最高球速で言えば147km/hとかなりの速球派だ。
速度から変化球から、サウスポーということも相まってスカウトたちはドラフトの目玉として注目している。今もスピードガンを片手に篠原のボールをチェックしていた。
投手としてはもちろん、その打力から野手転向させて獲得しようと動いているチームもある。素材としてはピカイチなため、小粒と言われがちな今の二年生の世代ではかなりの有望株だ。
高校生で狙うべきはこの篠原と、武蔵大山のエースと四番コンビとまで言われている。その他にも若干名目を付けている選手はいるが、高校生なら無理に獲らずとも四年後の大卒の段階で獲得すればいいと考えて積極的に動いていない。
そんな状況でも欲しいと思えるほどの逸材なのだ。篠原という投手は。
二球目もストレートだった。インコースに来たので村瀬は振りに行き、当てることはできたが前へ飛ばすことはできずにキャッチャーの後ろへ力なく転がっていった。
バットからボールに当たった時の衝撃が伝わってくる。バットの根元に当たったせいか若干手が痺れたほどだ。ファールになったことをいいことに村瀬は手を軽く振ってベンチに伝える。重いぞ、と。
三球目はカットボールが来た。変化は大きくないが、ストレートに近い速度で抉るように曲がってくる。これはアウトコースに外れていったために村瀬は見逃してボール。
白新との試合でもこの半速球でもあるカットボールが狙われていた。変化球の中でも打ちやすく、ストレートを待っていれば合わせるくらいはできるからだ。
そう誰でも考えるために、村瀬はカットボールを捨てる。
(見せ球だろうな。
現状、臥城でエースは阿久津だ。阿久津よりは能力が全体的に上だと感じた上に二年生ということもあって試合経験も練習の密度も違って今よりも成長したかもしれない。一つ上の学年で有名だった分島と肩を並べる存在になれたかもしれない。
そんなもしもを考えてしまう。同じチームで野球をやりたかったとかではない。良い環境でする野球こそがその人のためだという考えが村瀬にはある。加賀商業よりはよっぽど良いだろうと思えたからこそ残念に思えてしまった。
超える壁は大きい方がいい。その思想の元、村瀬は篠原という才能が最高の形で芽吹かない可能性があると思えてしまって嘆いてしまった。
もちろん、人それぞれに合う環境はある。細かい指示を出されるのが嫌だという意見もあるだろうし、そもそも学力的に目指せなかったという事情もあるかもしれない。推薦がもらえなかったから家庭的な事情で私立に入れなかったという可能性もある。
篠原にとっては恩返しがメインだ。良い環境で強いチームに所属することが主目的ではないためにモチベーションが維持できない。そういう意味では加賀商業こそが篠原にとってはベストチームである。
村瀬は篠原の事情に行き着かないまま、四球目を待つ。その球種もストレートでインハイへ突き刺さる、威力のあるボールだった。村瀬はカットして球数を稼ごうともせずに全力で打ちに行った。
だがボールが加速したかのようにバットをすり抜ける。ノビがあるからこそ体感速度が速くバットが追い付かなかった。
空振り三振になるものの、一番打者を任される村瀬ほどの打者が振り遅れた理由をベンチが一丸になって考える。帝王はそういう強いチームだ。
村瀬は今得られた情報を次の打者である仲島に伝える。ストレートを狙わざるをえない投手。そのストレートが優秀だからこそ攻略しづらい、紛れもないエースだった。
「智紀のストレートよりはやりようがありますよ」
「一番近いのは三番ストレートだな。あと重いから中途半端なスイングだと凡打になるぞ」
「了解です」
仲島はアドバイスを受けて打席に立ったが、ストレートの球威に押し負けてしまいセンターフライ。三番の三石も上手く合わせたもののショート正面へのゴロになってしまい、三者凡退。
試合の進行上、ビハインドのままというのは珍しい帝王。それでもまだ初回が終わっただけだ。焦らず守備に就く帝王の面々。
三石を含む上位打線が誰も塁に出られなかったということを受けて篠原への警戒度を一層高める。今大会最強左腕の声は間違いではないと気持ちを昂ぶらせる。
村瀬だけではなく、相手投手が強いだけどう攻略しようかと燃え上がる人間ばかりだ。そんな打つことが大好きな人間が集まったチームこそが帝王であり、そこでレギュラーになる人間は生粋の野球エリートばかり。
篠原にとってまだまだ長い九イニングの内の一つが終わっただけ。最後まで投げきるために彼の闘志は湧き上がったままだった。
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