2−1 天才サウスポーの進学理由

 加賀商業。都立としてなんて事のない商業高校だ。商業高校としての出来はもちろん、他に特筆することなんてない学校だった。


 一人の男が入学するまでは。


 その男の名前は篠原。現在二年生で天才と称されるサウスポーの投手。打つことも投げることもできる、プロ注目の投手だ。実際今もスカウトが練習を見に来ている。強豪校に行けばもっと楽に甲子園に出られただろうにと惜しまれている選手の一人。


 能力、そして素質なら十分にプロでも通用する。


 だからこそ解せないのだ。なぜ加賀商業なんていうそこまで強くない学校を選んだのかと。


 設備も普通。有名な選手が他にいたわけでもない。監督が何か功績を残しているわけでもない。学校としての進路が優れているわけでもなく。都立だから特別なカリキュラムをしているために他の学校よりも長く練習ができるというわけでもない。


 篠原に直接聞いても加賀商業を選んだ理由は一切語らない。そのために揶揄されることもある。強豪校に行く自信がなかった。そこそこの学校でお山の大将で居たかった。実は甲子園を目指していない、など。


 それを聞いても篠原は何も言い返さない。黙々と練習を続けるだけだ。怪しむ者もいるものの愚直な姿勢を見せていた篠原へのバッシングの声はない。篠原はただ加賀商業の一員として練習をしているだけだ。


 尤も、加賀商業の面々は篠原がどうして加賀商業に来たのか理由を知っていたために力を貸そうと努力をしていた。中学時代はそこまで有名な選手にはなれなかったが、今では篠原だけのチームではなくなっている。


 そんな篠原がここに来た理由は至って単純。監督に恩があったからだ。


 加賀商業の監督である小野寺おのでら監督は十年以上前の大学生の際に土日はリトルリーグのコーチをしていた。その時指導を受けていた内の一人が篠原だ。


 リトルリーグの中で一番才能に溢れていたのも篠原だ。彼は小野寺の指導のおかげで上手くなれたと思っていたために、小野寺が教員免許を取得したと聞いてその学校に進むと決めたほどだ。


 リトルリーグで他にも小野寺に指導を受けた人間はいたが、篠原以外に加賀商業に進んだ人間はいなかった。環境とかが普通なのに才能がある選手が加賀商業に進む理由もなく、将来を無駄にしないために他の学校に進んだ。


 そんな変わり者の篠原にチームメイトの小関こせきが話しかける。


「東東京に所属してるんだからしょうがないっちゃしょうがないんだけどさ。次帝王で勝ったら武蔵大山で、決勝は臥城か白新だろ?どんなトーナメントだよ……」


「それでも春の選抜に出るだけならウチの方がかなり有利なんだぞ?帝王に勝てば都大会でベスト四。それだけの実績があれば甲子園に出たことのないウチなら二十一世紀枠を十分狙える位置なんだから」


「他の強豪校じゃベスト四で終わった時点で甲子園は絶望的だもんな」


 春の選抜が特殊な理由だ。


 出場校が少ないのに、関東大会などで優勝しない限りはある程度の順位になればチャンスが転がってくるというシステム。純粋な強さだけで代表が選ばれるわけではないというのが春の甲子園という特殊な舞台だ。


 純粋に強いチームが覇を競うのはこの秋大会の後にある神宮大会だ。これは各ブロックの優勝チームしか出てこないので実力が一番問われるのはこの大会になる。


 この特殊性から甲子園に出たことのないチームはある意味狙い目だと思って力を入れる。夏大会優勝よりもよっぽど可能性があると突き進むのだ。


 それは加賀商業も変わりない。もちろん夏も全勝を狙っていくが、秋大会は新チームの構成が上手くいかなかったりして強豪校でも途中でコケたりするので一番狙い目だったりする。特に篠原が出場できる最後の秋大会なので、ここが一番可能性が高いと考えていた。


「他の強豪校は順当に勝ち上がってる。ここまで来たら誰が相手でも同じだ」


「いやでも、白新ならまだ夏の情報があっただろ?それにウチはお前の出来次第だ。そうなると打撃が強い帝王に早い内に当たるのはキツイだろ」


「できれば最後が良かったが、そこはくじ引きの段階でわかってたからな。俺がベストピッチをするだけだ」


「頼りにしてるぜ」


 投手である篠原が守備の要な時点で打撃のチームには当たりたくなかったというのが本音だ。こちらのリーグで残っている名門がどちらも強打で鳴らしている帝王と武蔵大山。反対ブロックはバランス型と守備の臥城と白新。


 夏に白新に負けているとはいえ、どちらが良いかというのは反対ブロックの方だろう。臥城と白新も打力が上がってきたという話を聞くが、それでも帝王と武蔵大山よりはマシだろうというのが彼らの考えだ。


 篠原としても次の土日が山場だと考えていた。この二連戦さえ抜ければ一週間の猶予が与えられる。そうすれば万全の形で決勝に臨めると頭の中でそろばんを弾いていた。


 ベスト四に残れば甲子園に出られる可能性が高い。そう、高いだけで確実ではない。似たような甲子園に出場していないチームが関東大会などで好成績を残したらそちらに枠が流れることは十分あり得る。


 そして学校の評判や学校そのものの残している成績などもかなり加味して二十一世紀枠というのは考えられている。例えば偏差値が65以上の進学校だったりとか、ロボット大会で優勝したことのある工業高校などであったらそちらを優先される。


 加賀商業はそういう意味でも至って普通の学校だったために複数候補が現れたら選考から漏れる可能性がある。だからベスト四をひとまずの目標として優勝ももちろん目指していた。都大会で優勝すれば間違いなく甲子園の切符が貰えるからだ。


 決勝までのスケジュールを考えると今度の土日が一番キツイ。休みもなくどちらも夏の甲子園出場校という分かり切った強さを有している名門校だ。投手も良いために大量得点を奪って逃げるというのはできそうにない。


「まずは土曜日。帝王の先発が誰かって話だ」


「普通に考えたら日曜日が武蔵大山だから宮下を温存か。それとも篠原お前を警戒して宮下が二連続で投げてくるかだ」


「二年生の大久保がこの大会でまだ投げてない。素直に考えればウチに大久保を当ててくるはずだ」


「どっちが来てもいいように心構えだけはしておこう。映像は何度でも見直したいな」


 加賀商業は練習もしながら帝王対策もしていた。バッティングマシーンを規定よりも近くに置いて擬似150km/hを体験したり、大久保の得意球であるフォークを投げてもらい打ち続けた。


 チームを解析する人間は試合映像をとにかく見続けて選手のクセや弱点を探す。まずは第一目標であるベスト四に辿り着くために。


 先輩後輩、地元の人間など使えるコネは全部使って選手の情報を集めたり、練習の補助をしてもらった。初の甲子園に最も近い状況へ至ったことで協力してくれる人間は多かった。学校のOBなんてすっかりその気になってしまってかなりの援助をしてくれる始末。


 打力は篠原が打てなくてもなんとかなるくらいには成長した。守備も迷惑にならない水準には達している。


 チームメイトでもどうしようもできないのはやはり投手力だった。


 篠原がかなりの実力者なのは疑いようがない。だが、二番手以降の投手は帝王や武蔵大山にぶつけられるほどの能力がない。強いチームに当たる際には篠原が完投するしか勝つ手段がないのだ。


 篠原としては甲子園に行くためならいくらでもボールを投げるつもりだった。マウンドから降りるつもりもない。多少の無茶は目を瞑る気だ。


 それくらい甲子園という聖地を夢見ている。そしてその舞台に小野寺監督を導きたいと考えていた。


 篠原は昔から才能があった。それは誰もが認める事実だ。だが才能があったからこそ有頂天になり、才能にあぐらをかいていた人間だった。そのせいでフォームが崩れようが気にせず野球を続けて、それでも有り余る才能で他の選手を引き離していた。


 そんな天狗になっていた篠原を矯正したのが小野寺だ。


 めちゃくちゃなフォームを続けていたらいつか怪我をすると。中学になったら通用しなくなると。変化球を多用したらリトルリーグ肘(小学生に見られる症状。硬球で変化球を多投することでなりやすくなると言われる怪我)になってボールを投げられなくなると。


 篠原は最初ただの脅しだと、自分の才能に嫉妬した大人の嫌味だと思ったが、小野寺が示した実例とリトルリーグ肘になってしまった選手の様子を映した映像などを見て血の気が引き、小野寺の言うことを聞くようになった。


 実際、小学生から無茶をしてリトルリーグ肘になってしまう選手は多い。篠原も下手をしたら誰も打てないと自信満々で投げていた変化球を投げすぎてリトルリーグ肘になっていただろう。もしくは身体を痛めるようなめちゃくちゃなフォームを続けて身体の軸をおかしくしてスポーツマンとしては致命的な歪みを残すことになっていただろう。


 調子に乗って人生を台無しにした子供がたくさんいた。その実例と忠言してくれる小野寺がいなかったら今の天才投手と呼ばれる篠原は存在していない。


 だからこそ篠原は小野寺へ恩返しがしたいのだ。


 高校球児が夢見る舞台へ。


 甲子園へ立たせて、てっぺんを獲るのだと。


 篠原は怪我を気にして安全マージンを十分に確保した上でかなりの練習を重ねてきた。元々あった才能に努力が合わさった結果、彼の実力はかなりの上澄みへと変貌していた。


 投手で言えば今年のドラフト上位確定と言われている白新の分島に。


 打者としては帝王のキャプテンだった葉山と同格と呼ばれるほどの選手へと成っていた。

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