1−4 外食と天才

 水曜日。毎週練習休みに充てられているこの日は誰も俺の家に来ることはなかった。だから俺は美沙と買い物をして家に帰った。両手がエコバッグで埋まりながら帰ると珍しく喜沙姉の靴があった。


 平日なんて仕事があるか大学があるかなので、夕方に家にいるのは珍しい。そう思ってキッチンに食材を入れに行くと途中のリビングで喜沙姉が寛いでいた。


「あ、トモちゃんと美沙ちゃん。おかえり〜」


「ただいま。今日は休みだったんだ」


「そうね。久しぶりのお休み。美沙ちゃんこれからお夕飯の準備するの?」


「そうだね。お兄ちゃんが自主練するだろうから夕飯は時間がかかるよ」


「じゃあ今日は外食にしましょうか。たまには美沙ちゃんも家事を休んでいいのよ」


 そんな提案を喜沙姉がする。家事に休みの日がないように美沙は毎日働いている。中学生にやらせることじゃない。家政婦を雇うことも提案に出たが、他人を家に上げることをよしとしない三姉妹の言葉で家政婦を雇うことはなかった。


 だからこそ食事くらいはたまには休んでいいだろうと提案しているわけだ。それに美沙が返答する。


「うん、いいよ。すぐに消費しないといけない食べ物もないし。でもメールでいいから一言欲しかったかな。それで食材を買うのも抑えたのに」


「あ、ごめんね。じゃあ支度してくれる?予約とかもとってないから混んじゃうかもだし」


 食材を入れて千紗姉も準備をしたのか一階に降りてくる。電車やタクシーで出かけるわけじゃなく歩いていくみたいだ。


 母さんは相変わらず仕事らしい。大変だよな、アイドル事務所の社長も。


 喜沙姉はメガネとニット帽でちょっとした変装をして出掛ける。家の周りは住宅街だけど、駅の近くに行けばスーパーも飲食店もある。行きつけのお店があるわけでもないけど、駅の近くでお店を開いているとなれば味に自信があるのだろう。


 喜沙姉が誘っただけあって行くお店は決めているらしい。


「芸能人ってみんな外食ばっかりでね。良いお店の話はずっとしてるね。それは飲食店に限らずだけど」


「あー、マッサージ店とかアクセサリーのお店とか?」


「そうそう。だから行ったことのないお店でも情報だけはかなり知ってるのよねー」


 芸能人だからこそ色々なお店を知るんだろう。お食事で出掛けることもあれば接待とかもあるだろう。だから母さんも喜沙姉も美味しいお店をたくさん知ってるのだとか。


 でもまだ年齢的に居酒屋とかバルとか行けないんだよな。バルは美味しいお店が多いらしいのに、ワインとかがメインだから俺たち未成年だけじゃ入れない。


 今日俺たちが行くのは個人経営の洋食店らしい。そこの料理が美味しいのだとか。


 あんまり大きくないお店だけど、ほぼ満席だった。運良く四人で座れてメニューを眺める。


 肉料理に卵料理、それにパスタもある。折角外食に来たんだからお腹がいっぱいになるまで食べたい。そうなると肉料理か。


 ビフテキか。ステーキ系は家族全員少食だからあんまり美沙も作らないんだよな。外に食べに行くとなってもステーキ専門店とかは滅多に行かない。高いからお小遣いだけじゃ厳しいという理由もある。


 だからビフテキもいいかなと思った。


 俺はビフテキ、喜沙姉がビーフシチュー。千紗姉がオムライスで美沙がカニクリームコロッケを頼んでいた。どのメニューにもサラダとドリンクが付いていて、喜沙姉がコーヒーを頼んでいたことに驚く。


「喜沙姉ってコーヒー好きだったっけ?」


「この前コンビニのCMでコーヒーたくさん飲んでね。それでこういう苦味も美味しいなって思えてきたの。カフェインの取りすぎは気を付けなきゃだけど、美味しいコーヒーならいくらでも飲んでみたいし」


「わかるー。だからあたしらくらいの年齢でもコーヒー店は並んででも行くのよね。あたしもたまに友達と飲みに行くわよ」


「……美味しいの?お姉ちゃん」


「飲んでみる?美沙ちゃん」


 ドリンクとサラダは結構早めにきたために美沙がコーヒーに口を付ける。そしてすぐ、舌を出していた。


「……苦い」


「そうよねー。美沙ちゃんは砂糖とミルクを入れて飲むか、最初からカフェオレとかを頼むのが良いのかも」


「今度はそうする」


 美沙は頼んでいたオレンジジュースで口直しをしている。俺も野菜ジュースを飲みながら料理が運ばれてくるのを待った。


 そこまで待たずに料理が運ばれてくる。ビフテキは結構な大きさがあって女性が食べるには量が多いかもしれない。


「いただきます」


 フォークとナイフで小さく切って口に運ぶ。肉が柔らかく表面がパリッと焼かれていて二つの食感がとても楽しい。それにソースも濃すぎず食べやすい。


 他の三人も美味しかったのか表情が和らいでいる。他の人の料理も気になったのか全員で少しずつ料理を分け合った。ビーフシチューもオムライスもカニクリームコロッケも、どれも美味しい。一つ一つ丁寧に作られているのがわかる。


 食べながら喜沙姉が近況を尋ねてきた。


「トモちゃん、最近は野手に投手に大変みたいね。芸能界でも結構話題だよ」


「それは、喜沙姉の弟だからか?」


「それもあるね。でも実力でも褒められてるよ?私も番組の関係でプロ野球選手と会ったりするけど、その人たちも褒めてたから」


「ええ……。今シーズン中なのに番組に出る人いるの?」


「いるよ。投手の人は中日があるからそういう日にインタビューとか結構してるんだ」


「へえ」


 喜沙姉も結構色々な仕事をしてるよな。ドラマに映画にライブに写真集、それにバラエティにインタビュー。そのせいかかなり交友関係が広い。


 誰だったんだろう。俺のことを褒めていたプロ野球選手って。投手の人が褒めていたならどういうところを見てくれたのかが気になる。


「今度の土曜日はまた野手なの?」


「ああ、その予定。先発投手は大久保先輩。俺は今度はライトらしい」


「センターの三石君はレギュラーで固定。今だとレフトとライトのどっちかで智紀が使い回しされてるのよね。あんたって他のポジション守ったことってないのよね?」


「試合ではそうだな。練習ではキャッチャー以外全部やらせてもらったけど、外野が一番良いって言われた。できなくはないんだろうけど、内野なんて特にチームの中心選手が多いからサブポジションで任せるつもりはなかったんだろ」


 ピッチャーのサブポジションで多いのは外野とファーストだろう。ピッチャーは大体方が強いから外野だと活躍しやすい。ファーストは逆に肩が活かしづらいが、ボールを後ろに逸らさなければやりやすいポジションと言われる。


 プロでもスラッガーが守ることの多いポジションがファーストだ。四番とか任されているピッチャーがマウンド以外を守るとファーストになったりするが、俺はファーストをやることはない。監督にもコーチにも内野を勧められたことはなかった。


 適性がないと思われているのか、それとも守備で結構練習をしないといけない内野を二足の草鞋でやらせる気がないのか。どっちにしろ色々と手を出しすぎて本職の投手がおざなりになっても困るし、これで良い。


「内野は二遊間なんて早々変えられないし、サードは三間がいるだろ?じゃあファーストはって話だけど、今からファーストミットを用意するのも大変だし」


「お兄ちゃんは足も速いし肩も強いからファーストだともったいないのかもね」


「それはわかるわ。外野なんて守備範囲が広いから足の速さが大事になってくるし」


「プロの方も他のポジションは外野で良いって仰ってたわ。投手として頑張ってほしいから野手としては今できることをこなしているだけで良いって」


「俺もそれでいいと思ってるよ」


 打撃練習とかはやろうと思うけど、サブポジションを増やそうとは思わない。俺はやっぱり根からの投手なんだろうな。


 それから喜沙姉の近況の話を聞いたり、秋大会はどこが勝ち上がりそうかって話をした。久しぶりに喜沙姉に会ったからか、話が弾む。


 やっぱり家族で話すのは良いな。他の女子とだとこうも落ち着いて話せないからな。


 食べ終わって会計を喜沙姉がしてくれたところで、喜沙姉が変な提案をしてくる。


「トモちゃん、オフシーズンになったら今度は二人で何処かに食べに行きましょう?お姉ちゃん稼いでるから、どこでも良いわよ」


「ん?二人なのか?」


「そう、二人。夏休みだって千紗ちゃんと美沙ちゃんと二人で出掛けたでしょ?」


「ああ、今度は喜沙姉の番だと」


 そういう話なら別に良いけど。問題はスケジュールが合うかなんだよな。喜沙姉もかなり忙しいし、俺の休みは水曜日だけ。冬休みになれば丸一日予定を空けられるだろうけど、長期休みじゃなければこうやって学校終わりしか暇な時間はないだろうし。


「あと二人には言ってないけど、私は知ってるんだからね?梨沙子ちゃんと二人で食事に行ったこと」


「梨沙子さんに聞いたの?」


「そう。バレないようにしてね」


「……てっきり怒るかと思ったのに」


「怒らないよ。トモちゃんの行動を狭めようとか思ってないから。でもスキャンダルにならないようにすること。相手は芸能人だからね」


「気を付けるよ」


 とはいえ、最近はメールか電話だけだ。球場に応援に来ていたとしても声をかけてくることもないし、出掛ける予定もない。


 そういえば梨沙子さんのこと、あまり知らないよな。彼女が出ているアニメ作品でも見てみようか。ちょうど野球アニメに出ているし。


 そう思って家に帰ってから動画配信サービスでアニメを見る。喜沙姉の番組を見るために契約しているサービスにちょうどアニメがあったので見てみたわけだ。


 梨沙子さんは主人公であるプロ野球選手のサブヒロインという立ち位置らしい。高校生ながらファンとして球場に通いつつ、主人公が一軍に上がることを待ち望んでいるらしい。


「やっぱり梨沙子ちゃん上手いわぁ。違和感ないもの」


「確かに。やっぱりプロって凄いよな。芸能界は若くてもプロになれるけど、こうして仕事をもらえるってことは実力が認められてるからこそだろうし」


「そうね。……天才っているものよ。そう考えると私なんて天才って呼ばれる人間じゃないんだろうなって思うもの」


 日本で一番人気のアイドル様が何を言ってるんだ?喜沙姉がアイドルとしての才能がないのなら他のアイドルはなんだって話だ。


「この後、ショートドラマを一つ見ていい?本当の天才がそこにいるから」


「良いけど」


 アニメの一話を見終わった後、三十分もののドラマを見る。っていうかこれ、結構有名な漫画が原作だ。身体が縮んだ刑事がそれまでの経験とコネを活かして事件を解決していく話。


 その縮んだ男役をやっている男の子に喜沙姉が注目する。


「ほら、この子。演技が梨沙子ちゃんにも負けてない」


「うわ、ホントだ。表情とかも凄いな。あれ、この子って軽自動車のCMで共演してなかったっけ?」


「そうその子。間宮沙希まみやさき君。この子は子役の中でも一際特別だけど、こういう天才もいるんだよ」


 今七歳らしいその子は大人顔負けの演技をしていた。子供なのに大人のような表情をして難しい言葉もスラスラと話している。それが棒読みになってないんだから本当に凄いことだ。


 天才ってどこの世界にもいるんだな。俺も天才って呼ばれたりするけど、一人じゃないって思えるのは嬉しいことだったりする。


「トモちゃんにももちろん才能があることは知ってるけどさ。どんな天才だって影では努力してるんだよ。間宮君もそう。監督とかに話を聞いてどうしようかって考えてるんだから」


「……七歳の子が?」


「CM撮った当時は五歳だよ」


 そんな発想になることそのものが天才であることの現れだと思う。


 俺はU-15で知り合った天才たちと自分の状況を把握して同じ環境にいる人間のことを知っている。


 けど日本で一番のアイドルな喜沙姉や画面の中の間宮君は、共感してくれる人がいるんだろうか。


 それだけが、ちょっとだけ心残りになった。

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