1−2−6 秋大会三回戦・国士舘戦

 馬場先輩はコントロールが良い。だからストライク先行でどんどん攻めていく。ストレートは130km/h台だが、カーブが緩急になっていて相手のバットが泳ぐ。


 ただ、馬場先輩のボールは軽い。回転数が足りていない。コントロールのために犠牲にしているのかもしれない、いや、回転数を上げる方法がわかっていないのかもしれない。


 俺は感覚でバックスピンを投げているし、回転数を上げる練習なんてどうすれば良いのかわからない。いや、俺は指の弾き方で回転が変わるからそれで回転数も変わるのはわかっている。けど俺のやり方が馬場先輩にも通用するかと言われたら違うわけで。


 俺のストレートの投げ方はナックルと同じく、効果があるかもわからない博打だ。せめてオフシーズンにやるなら良いけど、こんな大会期間中にフォーム改造なんてできやしない。


 結局ボールは軽いままこの大会に挑む。だからバットが泳ぎながらもボールは結構深くまで飛んできた。レフトへ飛んできたフライを処理して二アウト。


 ただ三番に入っていた投手の片桐さんにはセンター前に運ばれていた。打つのもできる人なんだな。スライダーを綺麗に運ばれた。


 とはいえ、四番をサードフライに切って取ったので無失点。いくら塁を埋めようがヒットを打たれようが、結局無失点だったら何でも良いんだから。


 ベンチに戻ってきて、すぐに攻撃に頭を切り替える。全員でベンチの前に集まって相手の球種について話し合う。


「オレに投げられたのは確実にナックルです。あんな特殊な握りで揺れるボールを知りません。あとはナックルカーブですが、こっちはあんま変化しないんでしっかりと呼び込めば打てそうですね。ただ、ストレートとの球速差を考えるとキツイかもです」


「そうか。智紀、お前が打ったのはストレートだな?ストレートなら問題なく打てるな?」


「はい。球質は重いですが、しっかりと振り抜けば俺の打球のように外野の頭も抜けます。三球種に重いストレート、そしてあのコントロール。投手としてのレベルは高いですけど、だからこそ狙い目はキャッチャーです」


 三間の説明の後に東條監督に聞かれたため、俺なりの見解を伝える。


 確かに片桐さんの実力は高い。高いからこそ、バッテリーの完成度はお粗末なんだ。


「ナックルとナックルカーブに頼りきりなリード。それにナックルを捕球するのは高校生には難しかったんだろう。ミットの動きが覚束ないぞ。あのままならこの試合中に後逸する。初回の攻撃でストレートと縦スライダーは頼れないと思っているだろう。そうなったらナックルを多投する。握力を失って打ちごろのピッチャーになるぞ」


「待球しますか?」


「そこまでしなくて良い。──打ってみたいだろう?ナックル」


 当たり前のような確認に、俺たちは全員頷いた。高校野球で、それどころかこれから一生野球を続けたとしても見られるかわからない魔球だ。ナックルボーラーなんて世界を見渡してもどれだけいるものか。


 そんな貴重な機会、打つことが大好きな人たちが打ちたくないはずがない。俺だって打ってみたいし。


「今が二点差か。だから三点リードを保ってたら今日はどんな打撃結果になろうが構わない。好きに打ってこい。俺だって打ったことがない魔球だ。今日の試合はとにかく楽しんでこい」


「「「はい!」」」


 自由にして良いと許可が出た。そんなことを試合中に言われたら張り切ってしまうだろう。試合に出ていないメンバーから羨ましいという目線を向けられる。ナックルともなれば打ってみたいよな。三間もしてやられた変化球だし。


 解散してベンチでゆっくりとバッテリーのクセでも探そうと思っていると、千紗姉が質問してきた。


「智紀。ナックルってどうやって握るのよ?アンタが絶対に覚えないって言ってた球種だけど」


「こう握るんだよ」


 近くにあったボールを使って実践する。爪はきちんと短くして整えているものの、ボールに爪を当てるというのが気持ち悪くて絶対に投げようと思わない。


 親指だけで支えて、小指以外の全部の指を内側に曲げて当てる。これで投げる時には指の関節を開くようにパーにするんだから爪が剥がれそうで怖い。オーソドックスな投げ方がこれというだけで他の投げ方もあるらしいが、俺が知っているのはこれだけだ。


 打席で直接見て、動体視力も良い三間に聞く。


「三間。実際にこれで投げてたか?」


「おお、投げとったで。気持ち悪ぅ」


「同感ね。これでストライクゾーンに入れろっていうのがまず無理だし、こんなの絶対に右手を壊すでしょ」


「俺もそう思ったから覚えようと思ってないんだよ」


 メジャーリーガーに高速ナックルボーラーがいて話題になったけど、日本ではナックルボーラーなんてとんと聞かない。実際には片桐さんのように投げられる人もいるのかもしれないけど話題にはなっていない。


 話題にならないのはナックルが未完成だからか、勝ちに繋がらないからか。ナックルボーラーが勝ったらすぐに記事になりそうだけどな。高校野球なら150km/h並みに話題になると思う。


 ナックルなんて握力80kg以上は必要なはず。そこまで鍛えて試合では十球投げられれば良い方だ。費用対効果だかなんだかに見合わない。


 片桐さんは何でナックルを選択したのか。ストレートと縦スライダーを鍛える、それだけじゃダメだと感じたんだろうな。


 それだけの投手で、スラッガーなんだろうか。武蔵大山のエースの米川さんと主砲の井上さんは。


「良いなー、智紀君。今日は僕がスタメンが良かった」


「代打で使ってくれるかもしれないだろ」


「いやいや、一回のチャンスでナックルを投げてくれると思う?それに終盤だったら智紀君も言ってたように、もう握力残ってないでしょ」


「ん?フォークも多投したらダメって聞くけど、ナックルも?いや、そんな握り方してたらそれはそうかもね」


「片桐さんはそれに加えてナックルカーブも投げてる。爪を当ててるのは変わらないからこれだって握力を結構使うぞ」


 千紗姉が疑問に思ったためにナックルカーブの握りも見せる。人差し指と中指の爪をナックルのようにボールに当てて投げる。カーブは負担が少ない変化球だけどこのナックルカーブだけは別だ。


 握力を使いまくる球種を二つ。しかもそれを初回から結構投げている。完投は確実に無理だ。スタミナがあろうが手の限界の方が早い。


「フォークとかってプロでも先発投手が投げる人って少ないものね。投げてても球数が少ないとか。ウイニングショットにしているのって一握りよね。大久保君とかフォークが武器だけどどうやって一試合保たせてるの?」


「いきなり話題振ってくるな……。俺は中学からフォークを投げ続けたら余裕で一試合くらいは投げられるようになった。それでもフォークの割合を減らしてるから完投しても問題ないだけで、ナックルなんて使ったら手がイカレるな」


「慣れねえ」


「あとはSFFを覚えたことも大きいな。あっちの方が握力を使わない。それにいざとなったらシンキングツーシームもあるからフォークばっかり投げてるわけでもないし」


 フォーク主体な大久保先輩に千紗姉が尋ねると、他の投手がやっていそうな当たり前な回答が返ってきた。そう、フォークはここぞという時に使って他の球種とストレートで一試合を保たせるというのが基本だ。


 この辺りは捕手の引き出し次第だな。


 弱気な捕手だととにかく必殺のボールに頼りたくなる。その必殺を多投して投手生命を短くするわけだ。最近増えてきた投手の球数制限とかは高校野球で潰れる投手があまりにも多いからだろう。


 日程的に連投もあり得る。そしてエースに頼りきりで大会全てエースが完投なんてチームも多い。夏大会中はアドレナリンが分泌されて大丈夫だったものの大学に進学した瞬間身体のどこかを壊して投手を諦める、なんて人が多い。


 俺はそうなりたくないから無理な連投をさせない東條監督を選んだわけだ。


 エースを育てるために連投させる監督もいる。どんな結果になろうとエースと心中しようとする監督は一定数いる。


 エースは夢を見せてくれる。たった一本の大黒柱が育ちきれば甲子園優勝も見える才能の塊を見てしまうと何もかもを捧げたくなるらしい。


 そして実際にその投手を育て上げて甲子園で結果を残す名将もいる。習志野学園の清田監督がそうだ。


 その清田監督が夢を見た投手が、市原。涼介が中学時代に組んでいた絶対的なエース。俺と比べられた世代最強投手。


 そう言えば市原のウイニングショットもフォークだったか。


「智紀?アンタ、誰を見てるの?あの片桐って人を見てる?」


「ああ、悪い。試合に集中してなかった。市原のことを考えてたんだ」


「ああ、市原君……。そう言えば彼も決め球はフォークだものね」


 U-15で涼介から市原の話を聞いて、俺はより一層怪我に気を付けるようになった。試合中の事故も普段の練習で負うリスクも、できるだけ減らしたかった。


 俺は投手としてずっと続けていたいんだから。


 そんなことを考えていると七番の柴先輩、八番の丸山先輩が連続ヒット。下位打線にはナックルを使えないと思って温存したところを狙われたって感じだな。


 ラストバッターの馬場先輩は送りバントの構えだ。馬場先輩も、というか投手陣は皆打力はレギュラーたちと比べたら落ちるから好きにするって言われても堅実な一手を選択したんだろう。


 馬場先輩はストレートをしっかりと一塁側に転がして送りバント成功。一アウトで打順はトップに戻る。一応まだ好きに打ったらダメな点差だけど、村瀬先輩はナックルを狙うだろうか。これ以上の点差は厳しいと考えているバッテリーは初回の失敗を踏まえてもう温存しないだろうし、確実に一球は投げてくるだろう。


 ナックルは凄い変化球だろう。でも無敵じゃない・・・・・・。まさしく投げたら絶対に打ち取れる真の意味での魔球ならどんなリスクがあろうともっと使い手が増えているはずだろう。


 けど世界的に見ても使い手が少ないということは、そういうことだ。


 絶対に打たれないボールなんて、存在しない。

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