1−2−5 秋大会三回戦・国士舘戦
ナックルを投げる高校生なんて初めて聞いたぞ。三間が三振に倒れてベンチに戻ってくる時に声をかけてくる。
「ナックルはようわからん。ナックルカーブはあんま変化せんからまだ当てられるで」
「わかった。ナックルなんて狙ったって無駄だ。諦めるよ」
投げた本人すらどう変化するのかわからない、昔からある魔球。その握りから投げるには相当の握力と利き腕の筋力が必要で、習得した後もナックルをストライクゾーンに入れるためのコントロールを磨かなければならない。
習得難易度は最高クラス。そして扱いにくさも最高クラス、だがその難易度に見合った成果は発揮する変化球だ。予測ができないからこそ上手くミートポイントを合わせないとヒットも打てない。
それこそ高校生活のほとんどをナックルのために時間を費やす必要がある。ナックルを覚えようとしたらその代償で今まで投げられた変化球が投げられなくなったり、ストレートのコントロールが悪くなった人もいたという。
ナックルを投げる握力とコントロールを得るための練習は、他の投球練習と違いすぎてどんな悪影響が出るのかもわからないと言われている。覚えられるのかも不明、覚えたとしても使えるかも不明、どんな投手になるのかの先行きも不明。
リスクがありすぎて俺は覚える変化球のリストから真っ先に除外したものだ。とにかく握力を鍛えればいいフォーク系とはまた違った鍛え方をしなければならず、高校の三年間を費やしても使えるようになるとも思えなかった。
ナックルに頼るよりも基礎的な能力を上げる方が正道だし、俺の目指す投手像が父さんだからナックルを覚える気がなかった。
いつから覚え始めたのか知らないけど、二年の秋の段階でナックルを使えることは賞賛されることだろう。ナックルを使いつつ他の変化球も投げられてストレートの速度も申し分ないのは片桐さんはナックルを覚える過程で代償になったことがないのか、影響が少なかったんだろうな。
ナックル、どうやって対処するか。二アウトでランナー三塁。ピンチになって切り札を切ってきた。さっきのタイムで使うことを決めたんだろうけど、ウチを相手にするとしたらできるだけ隠しておきたかった手札だろうな。
帝王の打力を警戒しないチームはいない。ナックルカーブを見せ札にして終盤はナックルで逃げ切ろうとしたんだろうが、初回からピンチになって使って焦ってるように見える。三間はそれだけ警戒される打者になったってことだ。
で、俺にそのナックルを投げてくるのかって話だよな。一応三間の次の打者で警戒はしてくるはず。
この打席は様子見でも良いかもな。無理に打ちに行く必要もない。
そう思って打席に入って初球、縦スライダーから入ってきた。低めから変化したためにワンバンしてボール。曲がりすぎるのも制御が大変だよなと、投げる側だからこそ思う。
それにしても変化球の割合が一気に増えたな。ストレートに自信があるタイプのピッチャーだと思ってたんだが、違うのか。
二球目はストレートだったが、アウトコースに外れる。警戒のしすぎでボール球が増えてる。カウント的に甘いボールが来ないだろうか。
三球目。ナックルカーブがストライクゾーンに来た。初見のボールだし、コースもそんなに甘くなかったので見逃した。カーブの軌道ながら若干揺れるナックルカーブも初めて見たが三間の言う通り確かに変化は少ない。これはしっかりと待てば打てそうだ。
ストライクが入ったことで次からは振っていこう。ナックルは捨てるとして、狙うのは縦スライダーだな。ストレートは割合が減りすぎていて投げそうにないし、結局最後に頼るのは自信のあるボールだ。
ストレートが通用しないとわかったからか、変化球ばかりになるのはキャッチャーが自分のリードに自信をなくしているのか、帝王打線を過剰に恐れているからか変化球に頼っているのがわかるリードをしている。
これで実は最後をストレートで決めるための偽装リードですってなったら天晴れって拍手を贈るけど、そんなことはなさそうだ。二つ目のストライクでストレートを使って最後にナックルっていうのがあり得そうだな。
だからストレートを待つ。追い込まれたら情報収集に徹しよう。
そう思っていた四球目。
(本当に来た)
ストレートがアウトコースに。インコースには投げないというかなり弱気なリードなのか、投手が心の内で避けているのか、それともただのコントロールミスか。
何にせよ、読んでいた球種に合わせるのは問題ない。足を一塁線側に若干踏み込んでバットを出す。シュート回転もしていない綺麗なストレートは芯に当たってライトへ飛んでいく。
打球はグングンと伸びていってライトの頭を越えていった。ストレートは普通に打てるな。クリーンナップとしては相手が自信を持っている変化球を打っておきたかったけど、この場面は得点優先だ。
外野はレフトを除いて定位置で守っていたためにフェンスまで転がっていった打球を処理するのに時間がかかっていたのを見て俺は三塁へ向かった。ボールが内野に返ってくる時にはスライディングして三塁へ到達していた。
ストレートは140km/hを超えていそうだけど、ここまでアウトコース一辺倒の配球をしていたら流石に打てる。それに夏大会とか甲子園でこれ以上のストレートを見てきたからそこまで脅威に感じないし。
打点の上に下手したらホームランより珍しい三塁打で歓声が溢れる。スタンドにはもちろんベンチにも拳を向けた。スタンドからは美沙と梨沙子さんが、ベンチではペンを持ったままの千紗姉が拳を向け返してくれた。
喜沙姉は仕事だって言ってたからな。梨沙子さんは逆に昨日が仕事で今日は都合が付いたらしい。野手として出たなら一本くらいは打っておきたかったから結果を残せて良かった。
二点を先制した上でまだ得点圏にランナーがいる。二アウトながら続く打者は町田先輩。打力のある打者だからまだ得点は期待できる。
と、思ってたんだけど。
ゴギン、と鈍い音がしてセカンドへ弱いゴロが転がる。セカンドが処理してアウト。
まさか初球ナックルカーブ、二球目三球目は連続してナックルなんて配球でくるとは。それが全部ストライクゾーンに来たために合わせたら内野ゴロで終わったという結果だ。ナックルなんてどう打てば良いんだろうな。
ベンチに戻ると千駄ヶ谷がグラブとスポドリが入ったコップを渡してくれた。ヘルメットと交換で受け取る。スポドリを飲みつつ情報交換をした。
「どう?相手投手」
「ストレートなら全然打てる。ただそれがわかったのか変化球ばっかりだ。──あんなにナックル系を多投してたら握力がなくなって七回保たないぞ」
「だよねえ。わかった。守備しっかりね」
「ああ」
ナックルを覚えようとしなかった大きな理由の一つだ。フォークも多投したら試合中に握力がなくなってすっぽ抜けるというリスクがある。ナックルはそれ以上に握力をなくす。
握るんじゃなく、指を当てて開くなんて正しいボールの投げ方じゃないんだから指にかかる負担が半端じゃない。その試合中に問題が出ることももちろん、試合の後の手だって無事かわからない。
リスクがありすぎるんだよな、ナックル。だから会得しようとする人は純粋に尊敬する。それはつまり今後のことも気にせず「今」に賭けているってことなんだから。
俺は高校野球で活躍したいとは考えているものの、身体を壊すよりは長く野球を続けていたいと思っている。だからリスクのある変化球は覚えようとも思えないし、無茶なトレーニングもしないようにしている。
刹那的な生き方をしたくない。父さんを早く亡くしたからこそ、そういう想いが強い。
千駄ヶ谷にお礼を言って公式戦で初めてのレフトに向かう。さっきは町田先輩で打順が終わったためにプロテクターを付けたままベンチにいた高宮が出て来て馬場先輩の投球練習を受けていた。
馬場先輩はチームでも希少なサウスポーだ。控えの平もサウスポーだから今のベンチメンバーは左右がバランス良く揃っている、珍しい年だ。サウスポーの投手なんて矯正をしてしまう家庭が多くなってきたからかなり減っている。
サウスポーだからって投手の才能があるかは別だし。
馬場先輩はコントロールが良くてスライダーが武器の人だ。しっかりと投げ込めば抑えられる実力がある。
町田先輩が戻ってきて守備練習をしていたボールを回収して、町田先輩が二塁へボールを送球して守備の準備が整う。
馬場先輩は最初からセットポジションで投げるオーバーハンドだ。公式戦初のボールは上手い具合に打ち気をなくすカーブで、相手打者は見逃してストライクを奪っていた。
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