1−2−4 秋大会三回戦・国士舘戦

 四番の三間が左打席に入る。一アウト二塁というチャンスの場面で一年生ながら主砲を任されている三間には期待がかかる。こんなに初回から連打を浴びると思っていなかった捕手の徳川がタイムをかけてマウンドに向かう。


 初回は情報も少ないために無失点で切り抜けられると思っていた。片桐の能力だけなら東京の投手陣を見渡しても高い方だ。ストレートの速度も性質も縦スライダーの変化量もコントロールだって申し分ない。


 それでもこうして打たれた現実がある。それならプランを変更しなければならなかった。口元をミットで隠しながら話し合う。


「まさかここまでストレートと縦スライダーの対応が早いとは思わなかった。一巡目ならこれだけでいけるなんて甘い見積もりだったわけだ。ナックルカーブ・・・・・・・、解禁しよう」


「いや、それだけじゃダメだ。俺も甘かったが、帝王はあの井上レベルが揃ってるんだ。序盤だからこそ度肝を抜ける。『アレ』も使おう」


「こんな、序盤で?」


「使わないと点差が広がる。たとえ馬場から打てても最後に宮下が出てきたら俺たちじゃ打てない。三苫を五回完封にしたんだ。俺たちの打力じゃ絶対に打てない」


 片桐はチームの実力をきちんと把握していた。国士舘はあくまで中堅程度の実力しかない。打力も強豪校には劣る。国士舘のチーム力としてはバランス型であり、守備でミスをせずどうにか点を稼いで逃げ切るようなチームだ。


 そのため、打力だけなら全国クラスと呼ばれる三苫が手も足も出なかった投手が出てくるまでに勝ち越しておく必要がある。そうなるとここでの失点は後々に響いてくるのだ。


 なら、確実に抑えるために情報のない変化球を解禁するしかない。手札があるというのは相手の思考を散逸させることに役立つ。手札は二つだけだが、今ならこの情報でどうにかできるという考えがあった。


 三点。これがバッテリーの考えた最終防衛ラインだ。帝王は打撃のチームとはいえ守備が悪いわけではない。投手力が他の名門と比べて劣っていたが、それも智紀の加入で解決されている。欠点の見えないチームとなっていた。


 そんな帝王に与えられるのは三点が限度だと考えるのは投手が智紀と大久保ではない前提だ。その二人だったら本当に零点を死守しなければならなかった。今日の先発が馬場だとわかったが故の気の緩みでもあるだろう。


 緩んでいた気を引き締めて、隠し球を切る選択をしたバッテリー。ナックルカーブは武蔵大山にいた時から練習していたので武蔵大山にはバレてしまっている変化球だ。こちらを切るのは二巡目からだと決めていたが、その予定が早まっただけ。


 そして本当の意味での奥の手を初回に使うのは本当に想定外だ。それだけ三間の実力を認めている裏返しでもある。


「絶対後逸しないから、しっかりと腕を振ってくれ」


「ああ。任せた」


 打ち合わせも終わって徳川はホームに戻っていく。バッテリーが作戦会議をしていたように三間もゆっくり考える時間があった。


 今決め球である縦スライダーは打たれたばかり。だから縦スライダーは避けるだろう、という考えからストレートで来る。ということの裏を考えて縦スライダーにボールを絞っていた。


(ウイニングショットが通じるかどうか。それを浅い回で試したいはずや。だからこの打席は徹底的に縦スライダーだけ狙っていくで。必殺のボールがあるのはええんやけど、それに拘りすぎたらいかんよな。ストレートと一つの球種だけで無双するなんて昭和の大エースくらいやで)


 そんなことを考えて一応ベンチを見る。四番にサインが出ることはほぼなく、東條監督は当たり前のように打てのサインを出した。ネクストバッターサークルで待つ智紀もさっさと仕事を果たせと目線を向ける。


(今日はお前に良いとこ渡さんで。クリーンナップを任されてようが、ランナーがいなければお前にかかる負担も少ないやろ。お前に頼りきりな打線にする気は毛頭ない。四タコでもええように打ったる)


 三間が思うことは智紀のこと。投手じゃない日はクリーンナップを任せるつもりだと東條監督の意志を受け取った帝王打線は、自分の不甲斐なさを語った。


 確かに智紀の打力は高い。ホームラン数は三間と三石に次ぐほどだからクリーンナップでもおかしくはない結果を残している。とはいえ智紀は投手だ。他の学校のようにエースで四番という状況を、打撃が売りの帝王でやらせるわけにはいかないとプライドが刺激されていた。


 優れている打者だからと、全てを智紀に任せるわけにはいかない。それでは智紀のワンマンチームだ。名門たる帝王がそんなことを言われるのは我慢ならない。一年生の投手がメインの人間に打撃で負けてたまるかと気合いが一層入っていた。


 東條監督は選手たちへの刺激と戦術的な意味、両方の意味で智紀を五番にしていた。打てるから上位打線に置きたい上に、クリーンナップに二人も一年生を置く現状を二年生への発破、一年生への激励としていた。


 二年生にはもっと頑張ってほしいと。主役はお前たちなのだと伝えたかった。一年生には逆にこれからの智紀を支えてほしいためにもっともっと打力を伸ばしてほしいと思ってこうしている。その効果は十分に発揮できていた。


 前から選手たちは練習が終わって夕食を食べた後も練習をしていたが、智紀の打順を上位にすると負けていられないと打撃の練習を更に増やしていた。投手としての練習をして外野手としても守備練習をしている智紀に自信のある打撃まで負けてたまるかと奮起する選手が多かった。


 練習する上で意識や目標というのはとても大事だ。スポーツにおいてメンタルは切り離せず、意識が芽生えれば練習をする上でどうしようと自分で考える。わからなければ指導者や先輩に聞く、自分で調べる。


 そうしてお互いを刺激し合って強いチームになっていくのだ。これは帝王でいつも起こるサイクル。一種の蠱毒であり、どこの名門校でも起こる現象だ。今回は智紀という大きすぎる才能の塊がいたために東條監督は利用しただけ。


 毎年指標にする選手は必ず一人いる。その選手を中心にして起爆剤としてチームを活性化させるのだ。目標にされた選手も他の選手に負けていられないと、目標とされている自分を失いたくないと努力する。このサイクルに乗れなかった選手はレギュラーやベンチ入りから遠ざかるだけ。


 もちろんついてこられない選手も多くいる。だがその選手に頑張れとは言わない。これは競争であり、一度だけの人生なのだ。言われてようやく動く選手は名門でベンチに入れる器ではないということ。


 そんな思考が隠されたオーダーの中で、不動の四番として信頼されている三間に対して投げられたボールは三間の動体視力が良かったからこそ、驚愕させた。


(な、なんや⁉︎その握り!)


 片桐の右手、その人差し指と中指を第二関節まで曲げて爪の表面がボールに当たるように持ち、ちゃんと握っているのは親指だけという絶対にスピードが出ない握りをしていた。


 数多くの変化球を見てきた三間からしても初めて見る球種だった。


 ボールは緩く、揺れるように曲がってきてカーブのように落ちてくる。初見なために三間は分析しようとそのボールをじっくりと見た。


 真ん中から揺れてインコースへ落ちてくるボール。縦スライダーほど落ちてこないが、バットに合わせるのは難しい変化だった。揺れるために軌道が予測しづらいのだ。


「ストライク!」


(ナックルカーブ、ってやつやな。にしても遅い。100km/hくらいしか出てないんやないか?これは緩急的な意味で合わせづらい。合わせるならじっくりと待つ必要がある、けどストレートが来たら対応しづらいと。チョイスはかなりええな)


 三間はアンパイアのコールを聴きながらそう分析した。遅いからよく曲がっているように見えるが、実のところ速度がないから落ちているだけで変化自体は小規模だ。軌道さえ読み取れば打てると判断する。


 二球目も続けてナックルカーブ。これはアウトコースから真ん中に入ってきた甘いボールだったのでじっくりと待ってバットを振ったのだが、軌道が微妙にブレてミートポイントからズレて打球は一塁線から大きく右にズレて転がった。


 遅いこともあってファウルゾーンに飛ばしてしまい、三間はスイングを修正する。


(ブレるのも厄介やけど、遅いのが一番面倒や。縦スライダーなら縦スライダーの軌道があるのに、ナックルカーブは投げるたびに微妙に軌道が違う。その上遅いから待ちきれん。ストレートと縦スライダーにも対応しないとって考えるとどうも逸るで)


 三間は打てなかったことに心の中で舌打ちをしたが、バッテリーからすればたったの二球で対応してきた三間に脱帽しっぱなしだった。これで二巡目をやり過ごそうと考えていたのだから、試合前に立てていた計画が何もかも崩れ去ったのだ。


 今のボールを見ていた二塁ランナーの三石がヘルメットを外しながら左腕で汗を拭うように四回、額を擦った。それに暗黙の了解をした三間と東條監督は動きに出さないが許可を出す。


 三球目。緩急で打ち取れたらラッキーと思ったのか、高めの釣り球のストレートが放たれるが三間は引っかからずに見逃す。球速差40km/h近くは脅威だが、ワンパターンな配球であれば見逃すのは容易い。


 そして四球目。片桐の左足が上がった瞬間に三石が三塁へ向かって走った。ナックルカーブは遅いために走れると考えて汗を拭うフリをして三盗をするというサインを打者の三間とベンチに意思表示していたのだ。


 三間が左打者な上に狙うのが三塁なためにバッテリー側が圧倒的に有利な条件。ここにナックルカーブという最大の足枷が付くことで三盗は成功する確率が一気に上がった。三間としてもランナーが走ったために打つならゴロを転がすつもりだった。


 ナックルカーブとは異なる、片桐の指を見るまでは。


(ハァ⁉︎今度は薬指までボールに密着させて、開いたァ⁉︎)


 正確には親指も含めた四本の指で爪を密着させて、リリースの瞬間にパーを見せるようにボールを投げていた。そんなまともにコントロールできるはずがない奇想天外な投げ方をしたボールはナックルカーブよりも更に遅く、そしてナックルカーブよりも不規則に揺れた。


 右に左に、風の影響を受けて揺れる。ナックルカーブを待っていたために三間はタイミングこそ外さずに一本足打法で溜めに溜めた。だがインパクトの瞬間にボールはバットから逆らうように三間の身体とは逆方向へ落ちていき、バットが空を切る。


 ミットにボールが納まり、三振が告げられる。キャッチャーの徳川は捕球することに手一杯で三塁へボールを投げることはできなかった。それでも価値のあるアウトをもぎ取っていた。


 ランナーが進もうと、ホームに返さなければいい。その思い切りの良さを発揮してスラッガーから三振を奪った。


「ナイピッチ!片桐!」


「徳川もよく捕ったぞ!」


 バックがそう盛り上げ、スタンドにいた野球に詳しい人間がざわめく。相手である帝王の面々も今投じられた変化球が何かすぐに察して目を点にしていた。


 まさか高校野球で、その魔球が見られるとは思っていなかったのだ。


「ナックル……!」


 投げた本人もどこに曲がるかわからない、魔球の一つ。


 それが帝王打線に牙を剥いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る