1−2−2 秋大会三回戦・国士舘戦

 一方、帝王のベンチでも発表されたオーダーを見て議論が発生していた。加奈子の予想通り秘密兵器たる片桐が先発投手だったのだ。一年生組はあまりピンと来ていなかったが、二年生は察するものがあったようだ。


 高宮も顔を見て思い出したようで、一個上で有名な選手だとわかったようだ。


「片桐か……。確かに武蔵大山に行くって話があった割には全然噂を聞かなくなってたが……転校してたのか」


「武蔵大山は二枚看板で安泰だって話があったのに、片桐が甲子園でも出てこなかったから怪我でもしてるんじゃないかって噂が流れるくらいだからな」


「そんなに有名な人やったんですか?」


「シニアで全国準優勝してる投手だ。俺たちの代でU-15にも選ばれてる」


 日本代表に選ばれた同級生というのは憧れの対象だ。三間だって全国大会に出たがU-15には選ばれなかったために智紀をライバル視していた。軟式や硬式でのシニアやボーイズの有名選手が集まる世界対抗戦は同年代だからこそ結果と活躍、そして選ばれた選手のその後について調べたくなる性が発生する。


 しかも今回の片桐は世代でも最強投手と呼ばれていた投手だ。二年生世代でも有名な投手は多くて、片桐なんてシニア筆頭と呼ばれる投手だったほどだ。一年もあればその名前が轟いていると思ったのに音信不通だったわけで、その理由が転校だとは思わなかった。


 転校は高校野球ではリスクがありすぎる。よっぽどの理由がない限り転校なんてしない方が良いのだ。


「140km/hに迫るストレートに大きく落ちる縦スライダーが武器で、縦スライダーなんて来るとわかってても打てないから奪三振率も異様に高くて当たりたくない投手だったな。俺も中学時代は負けてる」


「三石さんもですか?」


「俺は最後の全国大会で戦ったが、ヒットは一本だけ。お前たち世代で言うところの宮下だと思えばいい」


「あー……」


 二年生でも屈指の打者である三石の言葉に千駄ヶ谷は納得する。全国準優勝でU-15に選ばれるとなれば一年生世代からすれば智紀や阿久津、それに小池のような投手だ。その投手たちのことは同世代なら全員動向を気にしているし、負けないようにと指標にもしている。


 もし阿久津が臥城で活躍を聞かなくなったらどうしたのだろうかと心配するようなレベルの選手だ。そんな投手がいいところ中堅の私立に転校しているなんて予想できなかった。


 親の関係で引っ越すことになって転校をするならわかる。だが野球部員は全寮制だと決まっている武蔵大山から転校するならよっぽどの理由がないとそんな選択なんてしないはずだ。


「この時期に試合に出られるなら夏休み明けには転校してるだろ。入学して四ヶ月で諦めるような投手には思えねえ。それとも武蔵大山はそんな天才でも逃げ出すほどの怪物がいるのかって話だ」


「米川さんですね。東京の魔術師。その多様性、指の扱いはプロでも唸るほどだとか」


 村瀬の言葉で思い当たる武蔵大山の怪物とは誰か、智紀が思い付くのは去年の秋から武蔵大山でエースとして君臨している絶対的エースだ。秋からエースとして投げて秋大会を制して春の選抜に出場し、今年の夏もしっかりと甲子園に出場している。


 そんな原動力となっているのはエースである米川とスラッガーである井上だ。二年生ながら夏の甲子園の段階でチームのキーマンとして紹介されており、実際かなり活躍していた。


 二人ともドラフト候補生としての呼び名も高く、米川の変化球なんてプロの投手やコーチたちも絶賛するほどだ。それほどまでに変化球主体の投手としての完成度が高い。


 コントロールも悪くなく、エースとしてのスタミナも十分。ストレートはMAX141km/hと速度も軟投派と呼ぶにしては速い。そして変化球投手としての優秀な能力であるリリースの差異がどの球種でもないという類稀なる技術も持っている。


 そしてこれは噂だが、米川はオリジナルを除く全変化球を投げられると言う。甲子園ではかなり多くの変化球を投げていたのでその噂も嘘ではないとされている。スライダーにスローカーブ、フォークにサークルチェンジ、シュートは確認されている。それ以外にも変化球を投げていたという声もあった。


 全方向に変化球を投げられるというのはそれだけで才能を感じさせられる言葉だ。変化球は才能と努力どちらも大事で、投げ方によっても変わってくるがどうしても合わない変化球が存在する。


 智紀はシュート系とカーブ系が苦手だ。試してみたがカーブは曲がらない棒球にしかならず、シュートも遅いストレートにしかならない。智紀は手首を捻ることとシュート回転をかけることが感覚的にダメなのだ。だからこの系統のボールは一切投げられない。


 オーバースローやスリークォーターが癖のない投げ方でどんな変化球も投げやすいと言われている。だが智紀のように誰もが変化球の適性がある。


 人間には可能性がある。米川のように全方向の変化球を投げられる投手は確かにいる。だがどれも一線級の変化球を投げられる選手はプロにもいない。


 米川は全部の変化球をウィニングショットのような変化で投げられるのだ。その引き出しの多さから東京の魔術師と呼ばれる。


「米川に負けて転校したっていうのが一番あり得るな。事実として米川は甲子園でも活躍してるし、プロ注目の投手だ」


「米川・井上コンビは往年のエースと四番を思い出すって話題になってるからなあ。ずっと控え投手で終わるか、自分でのし上がるか。それを秤にかけて転校を選んだんじゃね?」


「……智紀クラスってことはあの片桐って人、推薦で入ったんじゃないの?それがよく転校を認められたわね?」


 町田と柴が話しているとマネージャーとしての準備も終わった千紗が話に加わってきた。シニアで準優勝、U-15にも選ばれたような投手は強豪校から推薦を貰うというのは当たり前の話だった。


 その推薦を受けるのだから学校側としても自分の学校で活躍してほしいと考えて入学金や授業料などの免除を対価として渡すのだ。だというのに転校されて敵になるのは色々な意味でやるせないだろう。


 おそらくかなり強情に転校を止めたはずだ。二枚看板として、そして米川とエース争いをしてほしいと願われたはずだ。実際に片桐はそういった説得を監督や学校側から何度もされたのだがその静止を振り切って転校した。


 あまりにも意志が強すぎたために引き留められなかったのだ。片桐の実力は申し分なく、彼がいればもっと安定して武蔵大山は勝てただろう。


 千紗としては推薦まで貰ったのに転校するなんて不義理なことをすることが信じられなかったのだ。強豪校の推薦枠というのは決まっている。この推薦枠に入ろうとシニアの面々は確かな結果を残そうとする。そしてお眼鏡に叶って推薦をもらえるのだ。


 片桐と米川では片桐の方が戦績が良い。そうなると武蔵大山が片桐に与えた推薦のランクも最上位だと予想が付いたのだ。智紀は寮で食べる食事代以外の高校でかかる費用全てが免除になっている。武蔵大山も帝王と変わらない名門校なので同じくらいの特典があったはずだ。


 それが全部無に帰したことになる。推薦枠の大事さ、弟にそれを獲らせるために去年奔走してきた千紗からすれば嫌悪するような裏切り行為だ。


「子供の進路だから大人は雁字搦めにすることはできないんだ。去る者は追わず、というのは高野連でも徹底されて指導されるからな。どんな理由であろうと退部や転校は認めるしかないんだ」


「まあ、千紗の言うこともわかるぞ。推薦枠は戸川スカウトと俺たち指導陣、それに学校側で慎重に話し合って決める。特に片桐が転校するってなったら武蔵大山は慌てただろうな。ウチも推薦を出そうとしていたからな」


 東條監督、そして真中コーチも話に加わる。優秀な選手ほど推薦での取り合いになる。高校野球といえどもこの辺りはドラフトとあまり変わらない。甲子園を目指すための手っ取り早い手段は即戦力を集めることなのだから。


 昨日の時点で片桐がベンチにいることを指導陣は気付いていた。だがそれを敢えて伝えなかったのだ。


「全員聞くように。確かに片桐は中学時代にお前たちの代で有名な投手だっただろう。だがこの二年間、片桐の名前を聞いたか?相手は高野連の制約で公式戦っていう一番の実戦から離れてた選手だ。練習試合と公式戦は何もかもが違うだろう?相手にはブランクがある。そんな投手くらい攻略しなくてどうする?」


 監督の発破に全員注目する。


 相手の実力は中堅でしかない。秘密兵器と呼ばれる凄い投手が加入しようが、中堅校相手に7-5のスコアで勝つ程度の実力しかない。その事実を思い出せと言っているのだ。


「武蔵大山の米川や加賀商業の篠原が次の相手だろう。そのどちらかのチーム力の方が上だろうな。実戦経験もその二人の方が上だ。他の二チームなら抜けない打球もこのチームなら抜けるだろう。だからこの試合もさっさと勝ち上がろう。投手一人にひっくり返されるやわなチームじゃないだろう?──勝つぞ」


「「「おう!」」」


 そんなシンプルな発破で十分。帝王はいつも通りの試合をするだけ。


 グラウンド整備が終わる昼過ぎ、この球場での二試合目が始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る