4−1−2 秋大会二回戦・三苫戦

 試合が始まる。先攻の帝王は一番の村瀬が左打席に入る。マウンドにはエースナンバーの大山が自信満々の笑みを浮かべて立っていた。


 その様子に呆れながら村瀬はバットを立てる。


(ストライクが入るまで様子見だ。追い込まれるまで見てもいい。それくらいコントロールが悪いんだからな)


 ワインドアップで振り被る。昨今別に振り被ってもスピードが上がるわけでもなく、むしろ無駄な動きが多いから疲れが溜まりやすいフォームと言われる。そのせいでランナーがいなくてもセットポジションで投げる投手が増えてきた。


 そんなデメリットが指摘されながらもワインドアップで投げる投手が多いのはそのフォームに慣れてしまったから。もしくはカッコイイからという理由が多い。


 智紀の場合は前者、大山は後者だ。


 踏み込み幅も広く、リリースの瞬間に大山はキャッチャーのミットも打者の顔も見ていなかった。とにかく速い球を投げるために顔を下にするフォームを採用していた。上半身も仰け反っていて、投手のフォームに詳しい人間からしたら何故そのフォームで速度が出るのかわからないあべこべなものだった。


 そのストレートは高く抜ける。真ん中高めだったので村瀬は避けずに見送る。キャッチャーは立ち上がってキャッチする。観客の中でスピードガンを持っていた人間が手元の機械を見る。


「142km/h……。まあ、一年生なら確かに速いが」


「コントロールがなぁ」


 投手として一番大事なのはコントロールだ。ストライクが取れないとお話しにならない。どれだけ速いストレートが投げられても、急激に変化するウィニングショットたる変化球があっても、多彩な変化球が投げられても。


 四球ばかりの投手は投手と呼べなかった。


 弱い相手なら速いボールというだけでバットを振ってくれる可能性がある。だが強豪校ともなればストライクとボールはしっかりと見分ける。今日の四球の数がどうなるか、予想ができてしまったためにスカウトの目から生気がなくなっていった。


 二球目のストレートもアウトコースに大きく外れた。投げる際に顔の位置はかなり大事だ。顎で重心を支えるという話もあるため、物を投げる際はリリースの瞬間まで目を離さないことが大事だというスポーツ論文は存在していた。槍投げやハンマー投げなどでも投げる方向から目を切る選手は少ない。


 顔の方向はコントロールを養う上で気にすべきポイントだ。重心や足の踏み出し幅、フォームを整えたりリリースを気にしたりと大事なことはたくさんあるが、要するに大山という投手は体作りだけをした基礎のできていない野球選手ということになる。


 趣味でやる分にはそれで良いだろう。だが高校球児として見たらお粗末すぎる。


 結局村瀬にはストライクを一つ取れただけで四球となった。一球だけカーブが挟まったが、それ以外は全部ストレート。惜しいボールもなく、村瀬は悠々と一塁へ向かっていった。


 守備練習は見ている。だからこそ東條監督は即座にサインをランナーとバッターに送る。ランナーの村瀬も打者の仲島もそのサインに頷いた。


 村瀬はかなり広くリードを取る。大山はセットポジションに入りながらその大きなリードを確認したが、牽制をすることはなかった。


 足が上がった瞬間、村瀬は二塁に向かって走った。クイックも警戒もない状況で完璧なスタートを切っていた。


「スチール!」


「くっ!」


 大山は盗塁をしたと聞いてとにかく速い球を投げることしか考えていなかった。キャッチャーの投げやすいところへ投げるコントロールなんてないと自覚している。だから全部キャッチャー任せだ。ストレートは真ん中高めへ外れてキャッチャーの伊東が二塁へ送球。


 伊東のボールは二塁からそう離れた場所へ投げたわけではないのだが、肩がそこまで良くない。ワンバンはしなかったもののふんわりと浮かぶ送球で余裕のセーフ。


 キャッチャーの肩も強くなく、クイックもしない。これで盗塁をしない方がおかしい。


 打者としてもカウントが有利になり、ノーアウトでランナーが二塁。今の送球を見て東條監督は村瀬に自由に盗塁するようにサインを出した。仲島にも好きに打てと命じた。むしろコントロールが悪すぎてカウントで指定して指示なんて出せない。エンドランなどを仕掛けてワンバンのボールが来ても困る。


 このバッテリーに奇策は必要なく、実力で次の塁を奪える程度の相手なので打者走者に任せることにする。ストライクが予想できないので下手なサインは出せない。


 仲島への二球目で村瀬は更に走った。また牽制もなくクイックもなく、走った直後にまた走るとは思っていなかったのか警戒はしていなかった。また高めに外れたストレートを伊東は捕球してサードへ投げる。捕球してからが速いわけでもなく、サードへボールが届く前に村瀬の足は塁へ着いていた。


 その余裕さもさることながらサードがボールを零している様子も見受けられた。捕球ミスをする可能性も考えるとある程度の足があればいくらでも走れそうだった。


 これが帝王の打撃の強さだ。臥城や白新ほど走塁に力を入れているわけではないが、機動力も打撃の一部。三苫と比べたらこの機動力で点差を突き放せるだろう。


 ノーアウト三塁になって、更にボールカウントがノースリーになった四球目。仲島の顔面付近にボールが迫った。仲島は尻餅をつきながら避け、結果として四球。だがこの危険球には帝王のベンチとスタンドでざわめきが起きる。


 仲島は当たらなかったこともあって主審に一応確認されつつも大丈夫ですとジェスチャーをして立ち上がって一塁へ向かう。チャンスが広がったとはいえ、顔に近いビンボールは不安になる。


「やっぱ危ないな。ヘルメットがあるとはいえ頭に当たりたくないぞ。三間、さっきはああ言ったが、デッドボールで出なくて良いからな。お前に怪我で離脱される方が困る」


「せやな。気を付けるわ」


 ヘルメットを被ってネクストバッターサークルに向かう三間に智紀が声をかける。三苫の投手に多い傾向とはいえ死球がありえるのを見てしまった。誰かが当たることを考えると憂鬱になってしまう。


 三番の三石が打席に入ってすぐ。今度は警戒したのか一塁へ一球牽制を入れた。だが警戒はそれだけ。クイックをしない大山相手に仲島がスタート。初球はカーブを投げたのだが、それがホームベースの前でワンバン。バウンドに伊東が身体を合わせることができず後逸。


 それを見て三塁ランナーの村瀬がホームへ突入。一塁ランナーの仲島は二塁も蹴っていた。村瀬はスライディングもなく帰還。仲島はスライディングして三塁へ辿り着いていた。


 ヒットもなしに先制。こんな珍しい状況は久しぶりに見たと智紀はため息一つ。まだ投球練習はしなくて良いなと考えてベンチに座ることにした。


 やらかしたことで吹っ切れたのか、三石相手には続けてストライクが入った。見るつもりだった三石は連続して入ったストライクにようやく打つ気持ちを作る。


 四球目。珍しく続いたストライクだったが、それは真ん中付近の甘いボールだった。2シームでもなくストレートだったために三石は弾き返した。打球はショートの山田の頭を超えて左中間を転がる。センターが処理するが三石は余裕を持って二塁へ辿り着いていた。


「ナイバッチ!」


「幸先良いぞ!続け三間!」


 今度はちゃんとした打撃での得点だったためにベンチは盛り上がる。今の打席のストライクとボールの比率を見て何か思ったのか智紀に千駄ヶ谷が話を振った。


「さっきまでコントロール悪かったのに、いきなり三連続で入るっておかしくない?」


「ん?大山がそういう奴なんだろ。クリーンナップが相手だとやる気が出るとか、実力で捩じ伏せたいからゾーンで勝負しようとしてるとか。他の打者は抜いた力で抑えて完投でも狙ってるんじゃないか?それで力を抜きすぎて制球が定まらない、なんておかしな力配分をしてる投手はいるぞ」


「あー……。お山の大将的な?ピッチャーも様々だね」


「アレはかなり特殊。……それに勝負に行きすぎて打たれるパターンだと思うぞ。駆け引きもない直球勝負なんて打者がかなり有利だからな」


 智紀がそう言うと三間のバットから快音が響いた。追い込んでから決め球として投げた2シームを三間は動体視力で完璧に見切り、インローにたまたま向かってきたそのボールを掬い上げてライトへの大飛球を飛ばしていた。


 その音から智紀は結果が分かり切っていたものの、どこまで飛ぶのかと思って打球の行方を追う。


 予想通り打球はライトスタンドの後方まで飛んでいた。区の球場は外野席がそこまで広く作られていないので後方まで飛ばしていてもおかしくはない。スラッガーならそれくらいは飛ばす。高校生でもたまに場外ホームランを打っていたりする。


 飛距離はもう少しだったが、エースとしては四番の最高の仕事にただ拍手した。


「初回に四点。このペースなら五回コールドだな」


「そうだね。僕も出て足で引っ掻き回してくるよ」


「コールドになるまで点差が広がったら流石に盗塁はやめろよ?心象が悪くなる」


「三回くらいまでしか走れなさそうだなぁ」


 高校野球公式戦デビューである千駄ヶ谷は自慢の足を披露しようとしていたが、三苫の杜撰さからしてそれは無理そうだと悟る。


 球場では三間のホームランについて、一年生ながら帝王の四番を任されたことに納得の一打を放ったことで甲子園での成績が偶然ではないとスカウトや他校の偵察が評価を上げた。そして逆に大山の評価は下がる。自滅してクリーンナップに連打を浴びるなんて投手として一番やってはいけない初回の流れだ。


 智紀は投げる前に打席に入りそうだなと考えて、帰ってきた三間をハイタッチで迎えた。

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