1−2−1 千紗とのデート

 智紀を好きになったのはいつからだろう。


 美沙は確実に物心が付いてすぐにべったりになったからあの頃からずっとなんだと思う。


 あたしは多分、お父さんが亡くなった時だと思う。まだ幼かったあたしたちでも徐々にお父さんの体調が悪くなっていくのがわかった。それでもお父さんは優しかったし、亡くなった時はもちろん悲しかったけど智紀はどうだろうと葬式の時に目線を向けた。


 あたしと喜沙姉は智紀が本当の弟じゃないと知っていた。物心が付いていて、美沙よりも後に来た新しい家族。弟という男子が家に入ってきて、血の繋がりはあるとはいえやっぱり異物感が半端なかった。


 智紀は最初、暗かった。ネグレクトを受けていたこともあったのかお父さんのことを怖がっていた。お母さんなら大丈夫だったけど大人の男性が怖かったみたいだった。お父さんにはあまり近付かず、あたしら同年代の女子は未知の生き物だったのかどっちつかず。


 体調が悪くなっていくお父さんは病院に行きつつ、試合にもあまり出なくなって。家族で長く過ごせるようになったかと思ったらそのお父さんは智紀を構い倒した。


 今ならわかる。それだけ智紀は危うかった。今の智紀がどれだけ覚えているかわからないけど、智紀はあの家で信用できる人がいなかった。母親が辛うじて守っていたからか母さんにはある程度懐いていたけどそれだけ。結局は本当の母親と違うと判っていたのか、絶対の信頼を預けていたわけじゃない。比較して母さんがマシだっただけ。


 喜沙姉も長女として智紀には優しくしていた。もう小学校に上がる頃だったから長女としての自覚もあったんでしょ。四人もいる子供の中では一番上だったんだから。抜けているけど家族愛は確かな人。それが喜沙姉だ。


 今も昔も、あたしは喜沙姉が好きだ。可愛いし、ちょっと抜けてて天然なところも愛らしいと思う。そんなたった一人の姉があたしを後回しにして後から家族になった智紀を優先するようになったんだから面白くない。誰も彼も智紀を優先する。それか美沙。美沙は小さいから当然で、智紀はその境遇から優先されただけ。


 その事実を、あたしは理解していなかった。だから智紀に当たってしまう。


「何で智紀ばっかり!あたしも見てよ!」


 当時幼稚園児だったんだからそんなワガママを叫んでしまったとしても許してほしい。そしてそんなあたしの癇癪は最悪な結果を引き起こした。


 あたしが泣き喚くから。あたしを諌めようと母さんが大声を出したから。お父さんが仲裁しようとしたから。自分のせいで誰かの・・・・・・・・・心がはち切れるから・・・・・・・・・。それに耐えられず智紀は過呼吸を起こして入院した。


 本当の両親の喧嘩がフラッシュバックをして、そして母親と一緒に殴られたことが嫌に記憶に残ってしまっていて。脳も身体もトラウマとして刻んでしまった類似する状況に智紀が保たなかった。


 そんな弱い弟のことを守らなくちゃと。お姉ちゃんなんだからと。そうお父さんと約束したから。


 それと、辛い目に遭わせてしまった罪悪感から智紀に優しく接することにした。喜沙姉の真似をして、怒らず、姉として接する。


 お父さんの野球を、家族じゃない智紀が受け継ぐことにも黒い感情があったと思う。あたしはボールを投げるのがヘタクソだったし、ボールも上手く捕れない。今ではある程度できるようになったけど、お父さんの野球選手としての才能をあたしは引き継げなかった。


 そういう才能は意外なことに美沙が引き継いでいたりする。あの子、スポーツでもそつなくこなしちゃうのよね。運動はあまりしてないから体力がなくて完全に宝の持ち腐れなんだけど。喜沙姉もバラエティやアイドルのダンスとして運動能力を遺憾無く発揮している。


 あたしには何もなかった。智紀はそれこそ、幼少期からとんでもない才能を秘めていた。その差に嫉妬もしていたと思う。


 だからあたしは智紀に対する感情としては結構マイナス寄りだった。可哀想だから守ってあげるという上から目線だったとも思う。


 葬式でワンワンと泣く智紀を見るまでは。


 智紀はあまり泣かない子だった。あたしらとも喧嘩をしないし、それこそ運動神経が良かったからか転んで怪我をするということもなかった。過呼吸の前に見たくらいで、他に泣いたところなんて見たことがなかった。


 この子は泣けない子なんだと、幼心に冷めた感情で見ていたのかもしれない。


 あたしも泣いていたけど、それ以上に智紀は泣いていた。お父さんのことを呼んでいた。キャッチボールをしようと叫んでいた。


 それを見て、あたしはやっと理解したんだろう。


 智紀はもう家族で。あたしの弟で。あたしたちと変わらないんだって。


 ちょっと家族になるのが遅くて、守ってあげないと危なっかしい子で、掛け替えのない一人の男の子なんだと。


 だから正直に言うと、あたしは智紀を好きになった時期は正確にはわからない。葬式の日に明確に変わったとしてもそれが恋になるような変化だとは思えず、だからといって他の男子なんて眼中になくて。


 喜沙姉は割と最初から智紀のことが好きだった。しょっちゅう抱き締めに近寄ってたし。いくら弟とはいえそこまで接近を許すお姉じゃない。それに夜な夜な智紀に好きと連呼していたし。


 あたしはいつだろう。喜沙姉と美沙に影響を受けた部分は絶対にある。それにお父さんの葬式で変わったのは確実だ。


 こんなことをつらつらと考えるようになったのは今日お父さんのお墓参りに行ったから。線香の匂いがあの葬式の日を思い出すからだと思う。


 あの時の泣き虫はどこに行っちゃったんだか。今ではスクスクと育って男子としても背が高い方になった。昔は撫でてあげられたのに、今じゃそんなこともできないくらい大きくなっちゃって。


 そんな智紀を連れて街を歩く。美沙を家まで送った後にもう一度出掛けた。お昼はとっくに過ぎているのにまだ暑い。こんな中マウンドで投げ続けている智紀には頭が下がるわ。暑くてもデートだから腕を組んで歩くけど。


「それにしても千紗姉、映画なんて珍しいな?初めてじゃないか?」


「二人でってなるとそうかもね。家族みんなでってなったら小さい頃に何回かあったけど」


 あたしらって基本映画なんて観に行かないから珍しいと言われるのは当然。


 正直映画ってあんまり好きじゃないし、観るとしても喜沙姉が出てるやつくらい。それだって映画館へ行ってまで観に行こうとは思えない。


 このチョイスをしたのは、正直何となくでしかないのよね。


「あたしもあんたも中学上がってから忙しかったでしょ。あんたが暇になった時は受験やら何やらあって映画に行く感じでもなかったし、出掛けるよりあんたは野球の方が好きだったでしょ」


「違いない」


 出掛けようって言えばついてきてくれるけど、智紀から出掛けようとは誘ってこない。休みの日も大体は自主練をするほどに野球にのめり込んでいる。


 まあ、その理由もわかる。


 智紀がここまで野球にのめり込んでいるのはお父さんの遺言と・・・・・・・・あたしの激励のせい・・・・・・・・・だ。


 お父さんは野球が楽しいなら続けなさいと言った。それをどう捉えたのか智紀は野球を託されたと思って幼い時から野球を続けた。幼稚園児としたら異常なほどに。あたしらと遊ぶ時間も削って素振りや壁当てをしていた。


 野球そこにしか居場所がないと叫ぶ・・・・・・・・に。家族として必要とされるなら野球を続けないといけないという強迫観念に駆り立てられていたようにも見えた。


 それだってあたしらが面倒を見ることで改善されていったのに、イジメをキッカケに野球への想いが一度壊れた。ただそれは智紀自身が壊れることと同義だと思ったあたしが理由付けをしてしまった。あたしが求めているから続けなさいと、脅したようなものだ。


 結局あたしはあの時から智紀に対する罪悪感を払拭できていない。智紀が気にしていなさそうであってもあたしが気にする。あたしはこの罪悪感と一生向き合わないといけないのかもしれない。


 映画館に着いてチケットを買う。観たかった映画はお姉が出ている、主人公が十五年前にタイムスリップしてしまい過去で過ごす日々と自身の異物感と向き合う物語。お姉は過去に出てくるお嬢様役だ。


「あ、あの子。喜沙姉と車のCMに出てた子だ」


「あらホント。相変わらず可愛いわね。……え?あの子凄くない?」


 智紀が見付けた子役の男の子。五歳くらいの子だ。喜沙姉と軽自動車のCMに姉弟役で出ていたからよく覚えている。その子と十五年後の未来の姿を演じている人との比較のようなシーンが流れたんだけど、その笑顔がそっくりだった。どっちが合わせたのかわからないけど、本当に同一人物だと思えるほど。


 何より凄かったのは、未来の癖だったという自信満々なウィンクと、どことなく外れたステップが。本当にトレースしたみたいに同じように見えたこと。変なステップは子供が覚えるにしては難しいものだと思えた。


 だから演技なんて素人なあたしでも驚いた。


 映画の内容も喜沙姉の活躍も楽しめた後、映画のチラシを見て少年役の名前を知る。


間宮沙希まみやさき君かぁ。ああ、そうだ。沙の字が喜沙姉も使ってるからって姉弟役で話題になってた」


「間宮はまあありふれてるとしても。この名前、女の人のものよね?本名?」


「さあ?子役でも本名の子と芸名の子がいるだろうから。梨沙子さんが俺のことを世界大会の活躍で褒めてたけど、同じ芸能界にもっとヤバい天才がいるってこと知ってるのかな?」


「ちょっと。あたしとのデート中に他の女の名前出さないで」


「はいはい。別に姉弟なんだからいいだろ……」


 ちょっとだけ膨れっ面を見せると智紀は理解できないとでも言いたげに溜息をつく。まだ思い出さないのか、この関係を壊したくないから黙ったままなのか。そこはわからないけど、デリカシーについては釘を刺しておく。


 本当にあの梨沙子って子、面倒なことをしてくれたわよね。かといって智紀が彼女に好意的だからじゃけんにすることもできないし。喜沙姉曰く基本はいい子だけどちょっと暴走する智紀の優良ファン兼無自覚ガチ恋勢。


 あたしらが本当のことを言えないからこそ、もしかしたら彼女が智紀の彼女ポジションとして一番近いところにいるのかもしれない。


 智紀に本当の両親のことを伝えるのは母さんの役目。あたしらは言っちゃダメって言われてる。それがもどかしい。


 あたしだって堂々と智紀に好きって言いたいわよ。公共の電波に流そうとは思わないけど。

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