1−1−4 夏休みは家族でゆっくりと

 その後宮下家は中華街に移動して食事をした。個室のあるお店を選び、中華のお店によくあるターンテーブルを囲みながら好きに注文をしていった。


 食べながら本場の味を堪能しつつ美沙がどうしても勝てないと──特に焼売や餃子といった点心──悔しそうにしていた。


「何が違うんだろう?下味?いや、やっぱり皮と蒸し時間……?」


「負けず嫌いだなぁ、美沙は」


「中華って油いっぱい使うからあんまり作らなかったのが裏目に出たかも。お兄ちゃん、今度はこれくらい美味しいのを作ってみせるから」


「美沙はどこを目指しているんだ……?」


「家事マスター」


「……家事マスターは本場の味も再現しないといけないのか?」


「美沙に突っ込んでたらダメよ、智紀。なんたって美沙は家事ガチ勢なんだから」


 家事ガチ勢だとしてもそこまでするものなのかと智紀は困惑してしまう。今でもかなりの腕前で、しかも料理だけではなく掃除や洗濯などの他のこともやっていて料理を本場並みに仕上げると言っているのだ。


 今の料理の腕前でかなり満足している智紀からしたら美沙の向上心は尊敬するものの、向上心が高すぎてビックリするのだ。智紀だって野球の腕は磨きたいが、美沙は将来的に料理の専門学校に行くとは言っていてもどうなりたいかは正確に言っていない。


 たとえ料理店に就職するとしても、オールジャンルを極めるのはどうなのか。


 食べ終わった後は紗沙が会計をして、駅に向かう。子供たち三人はそのまま電車で家に帰るが、紗沙だけはこの後も用事があるということで別行動だ。


 紗沙はタクシーを呼んで目的地に向かうらしい。


「じゃああんたたち。帰り道は気を付けなさいよ」


「電車で移動するから大丈夫だと思うけど」


「そうそう。どうせ出掛けるって言っても家の近くだし。大丈夫でしょ」


「あんたたちが尾行されて家がバレたら喜沙が困るんだからね?智紀もだけど。もし尾行されてると思ったら撒きなさい」


「そんな気配感じられるほど人間辞めてないぞ……」


 紗沙自身も芸能人であり、喜沙が芸能界に入ってからは身バレをしないように帰りには細心の注意を払っていた。今まで家バレをしたことがないので大丈夫だとは思うが、今回智紀も名前が売れてしまったので余計に注目されることになる。


 智紀のことだって社会現象になったわけではない。一回戦でホームランを打ち、二回戦では奪三振のタイ記録を作ったもののあくまで一年生投手の、三回戦負けのチームに所属する選手だ。


 一年生としては破格の成績を残しているが、それでもまだ卒業するような選手ではない。だから追っかけが出てくるような選手ではないはずなのだ。将来性はあるものの、有望な選手程度。


 ただし、それは容姿を除いた上での話だ。


 智紀は春紀に似てイケメンだ。それでまだまだ伸び代のある一年生。甲子園にも出て有名になった。だからこそ狙われるかもしれない。そこはもう気を付けろとしか言えないのだ。


 これから智紀と千紗は出掛ける予定だ。甲子園から帰ってきて初めてのお出掛けなので目立つかもしれない。智紀は今回の甲子園の活躍でスポーツ紙各紙で『アメリカキラー健在』『投打躍動』『東のプリンス』などと呼ばれて一面を飾った。


 姉の喜沙が出る『熱闘甲子園』でも褒められ、他のテレビ番組でも特集された。だから智紀はかなり顔が売れてしまった。その智紀が姉妹とはいえ女子と二人で出掛けていたら話題になってしまうかもしれない。


 だからもう一度紗沙は釘を刺した。


「まあ、楽しんでらっしゃい。休みくらいゆっくりしなさいよ」


「うん。ありがと」


 紗沙はタクシーに乗って目的地に向かう。智紀たちは電車に乗り込む。


 タクシーが向かった先はとある墓地。先程行った春紀のお墓とは別の墓地であり、宮下家とは違う場所に安置された人物に会うために紗沙は来ていた。


 場所は横浜でも離れた、人目に付きにくいひっそりとした薄暗い場所。お盆なのに人が全然いない。そこへ紗沙は向かう。途中で花屋に寄って花束を買ってきた。


 墓地の中でも奥の方。宮下ではなく杉本と書かれた墓石。紗沙は一切会ったことのない、天涯孤独だった少女のお墓。


 さっきは家族全員で掃除をしたが、今度は一人だけで掃除をする。訪れる者が紗沙しかいないので掃除などは彼女がするしかない。お盆とお彼岸くらいにしか来ないために結構汚れていたので暑い中一人で掃除をする。墓石を綺麗にした後、花を入れ替えて線香を添える。


 手も合わせて、しばらく。伏せていた目を開けて溜息をついた。


梨花りかさん。智紀は十六歳になったわ。……でもまだ、本当の親のことを伝えていないの。あの子はまだ私のことを母親だと思ってる。父親が春紀さんだと思ってる。……父親が殺人犯で、母親は亡くなってるなんて言えないのよ。あの子はあんまり表情は出ないし、世界でも活躍するような凄いメンタルの子だけど。まだ十六歳の子供なの……」


 智紀は野球の実力で言えば素晴らしいの一言でしかない。同学年はおろか高校の中でもトップクラスの実力を誇っている。


 どんな大舞台でも活躍できるメンタルを持っているとは言うが、それは私生活だとまた別の話だ。


 智紀は小学生の頃に虐められた経験もあって家族に依存気味だ。本当の姉弟ではないから紗沙からすれば変には思わないが、周りから見れば歪だろう。どこから見ても血縁の距離感ではないのだから。


 三姉妹はメンタルケアになっているかもしれないが、他の女子たちのことは結構苦痛になっていたと智紀から聞いていた。よく知らない女子が熱心に話しかけてきて怖いと。それは小学校からずっとで、恋というものが理解できない頃から早熟だった女子に絡まれてメンタルを削っていた。


 小中高全てで同じ状態だったのだ。美沙が同じ学校にいた頃は美沙が学校を支配していたのでかなり楽になっていたのだが、美沙がいない一学年の時はどうにもなっていなかった。千紗はそういうことができる性格ではないし、美沙ほど優秀ではない。


 実のところ、智紀は野球関係以外ではかなりの人見知りだ。野球の話題があればいくらでも語れて友達になれるのだが、野球の話題もなくテレビの話やゲームの話をされても智紀は知らなすぎて話題についていけずに友達になれなかった。


 男子ならまだある程度他の話題で仲良くもなれたのだが、女子は本当に宇宙の話でもしているかのように智紀が理解できない話をマシンガントークで語ってくるので智紀は苦手になった。


 姉妹は家族だからわかるのだ。それに姉妹は智紀にも理解できる内容で話してくれるので拒否感は出なかったのだが、クラスメイトの女子とかとは話が合わずにどうしても仲良くなることができなかった。


 智紀は野球と三姉妹がいるから安定しているのだ。しかも三人のことを無条件で家族として信じているからこその愛情もあるだろう。


 そこを崩してしまう爆弾が、本当の親の存在だ。


「ごめんなさい。あなたもとても辛かったでしょうに……。なのに私は目を逸らして、真実を告げられない。来年・・には言わないといけないのだろうけど……」


 杉本梨花という少女は十八で東京に来て、そのまま智紀の父親に会い。


 そして智紀を一年後に産んで、二年後に殺された。


 彼女は家族という存在がいなかった。智紀を引き取った際に彼女のことを調べたのだが、血縁は全員亡くなっていて田舎から出てきた身寄りのない少女だった。


 その少女がなんとか奨学金を集めてバイトをして大学に通って。


 悪い男に捕まってしまい、その命も散らすことになった。


 そんな救われない少女は夢を奪われ息子を奪われ、母親としての立場も奪われ。その短い生涯が終わってしまった。


 智紀を保護した状態からしてその生活は厳しいものだっただろう。彼女自身も借金をして、父親も多額の借金があって。栄養状態も良くなく智紀はガリガリで殴られたような痕やガラスで引っかいたような切り傷だらけで。彼女の遺体を紗沙は見なかったが春紀からの話では酷いものだったらしい。


 智紀の血筋というのは本当に爆弾だ。


 喜沙と姉弟ではなく一つ屋根の下で過ごしているというのがまずい。絶対に喜沙のファンも智紀のファンも暴走する。そして本当の父親がかなりヤバめの犯罪者であることと、春紀の死因の原因は智紀の父親であるということだ。


 春紀はこれからの野球界を担うような投手だった。その春紀が体調を悪化させたのは智紀の父親が引き起こした殺人が原因だ。そして春紀としては妻と子供を害するような人間が実の兄だと耐えられなかったことが直接の原因になる。


 これが世間にバレたら智紀は非難轟々だろう。春紀に似て日常的な意味でのメンタルはそこまで強くない。そうなったら智紀は潰れてしまうかもしれない。


 だからまだ、紗沙は伝えられない。


「また来るわ。今度は、智紀も連れて来るかも」


 今は一人でしか来られないが。


 いつかは、息子を連れてきたかった。

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