1−1−2 夏休みは家族でゆっくりと

 家に帰ってまずしたのは美沙へのただいまの挨拶。その後は父さんの試合映像を探した。昔はビデオテープで録画していたが、DVD環境に移っていく中でDVDに映像を移し替えた。だから今の機器でも見返すことができる。


 父さん関連の持ち物は母さんの寝室の隣に全部ある。父さんが亡くなってからこの新居に引っ越してきたから父さんの過ごした部屋がない。その代わり父さんの資料室みたいな記念室がある。当時父さんが使っていたグラブや五十勝記念ボールとかが飾っている。


 そこからDVDをいくつも持って降りてきた。すぐにブルーレイディスクプレイヤーに入れて再生する。


 父さんが結婚する前の時代、先発ローテに入り込んだばかりの頃の映像が一番古い。中継ぎ時代の物はないけど、この先発の映像で十分だ。


 美沙が夕飯の準備をしながらこっちを見て質問をしてくる。


「お父さんの映像?何かあったの?」


「いや、父さんの変化球を参考にしたくて。投げ方も似てるから使えそうな変化球を見ておきたかった」


「投げ方はそっくりだけど、マウンドにいる時の表情は全然違うよね」


「父さんはいつだって満面の笑みだもの。高校の時から『マウンドの貴公子』って呼ばれてたらしいし」


 一番良い身近なお手本だったから俺はそれこそ相当な時間このDVD群を見ていた。一番最初に野球を教えてくれたのも父さんだし、キャッチボールをしてくれた時の思い出が忘れられない。それが脳に焼き付いているから再現するのは難しくなかった。


 でも決定的に違うのが美沙の言っていたようにその表情だ。俺はともすれば殺気じみた物を飛ばすほど真剣な表情をしているけど、父さんはいつだって笑顔だった。動画サイトに残っている甲子園の映像とかでも勝っても負けても笑顔だった。


 それはプロになっても変わらず。テレフォンカードや下敷きのようなグッズだって笑顔のものばかり。選手名鑑だって笑顔で真剣な表情をしているのは少ない。どんな大舞台だって笑顔を浮かべ続ける強メンタル。


 むしろ真剣な表情で投げている姿がレアな、稀有な選手だった。負けてる試合でも笑顔のままだからそこを監督や投手コーチは注意しなかったのかと思うけど、しなかったんだろうなぁ。それが父さんの持ち味だったから。


 そんな父さんに付いた渾名が千紗姉の言っていた『マウンドの貴公子』。そのルックスと笑顔から父さんの人気も凄かったとは母さん談。


 相対的に母さんの人気の方がやばかったけど、当時の野球選手の女性人気という意味では父さんがぶっちぎりだったとか。


 そんな父さんに顔が似ていると言われる俺。そんなに似てるかなぁ。表情とかのせいであまり似ているとは思えない。


 父さんは映像の中でストレートでバンバンとストライクを取っていく。ストレートが速いから打者のタイミングが合っていない。


「父さん、本当に球が速いわねー。初回から150km/h超え連続ってスタミナ考えてないのかしら?」


「それができるスタミナがあったんだろ。父さん、完投十一の完封六だぞ」


「六十勝投手の結果としたらめちゃくちゃ多いじゃない」


 プロはそれこそ中継ぎや抑えがしっかりといるために勝利投手の権利を得たら替えられることが多い。投手事情が逼迫でもしていない限り基本は継投だ。全然ヒットを打たれていなかったり、記録がかかっていたら続投もありえるだろうが、プロの先発投手は七回辺りで降りることがほとんどだ。


 ローテを崩して欲しくないことと、長いイニングを投げていたら慣れてしまって打たれて逆転されるということが考えられるためによっぽど調子が良くなければ完投なんてさせてくれない。


 そんなプロで十七回も最後まで投げて勝っているのは珍しい記録だ。


 そして見たかった本命。スライダーで今三振を奪っていた。


「おお。父さんのスライダーも結構曲がったな」


「ウィニングショットの一つだからね。あんたの高速スライダーにそっくり」


「確かに分類的には高速スライダーだな」


 右打者からは逃げていくように、左打者には食い込むように鋭く速く曲がるスライダー。投げ方とかは特に変な感じはしない。映像を停止させて握り方を確認しても俺と変わらない。というか一般的な握り方だった。


「うーん。こればっかりは本人に感覚のこととか聞きたかったな。映像だけじゃわからないことだらけだ」


「握りとかリリースの瞬間を見ても、何かやってるってわけじゃないものね。父さんが鍛え上げたってことしかわからないわ」


 回転とかは映像で見てどうすればそうなるのかなんてわからない。俺のストレートだってこういう感覚で投げていますと投手陣に伝えてもそんな感覚の違いなんてわからんと言われてしまった。


 まあ、ストレートを投げわけているっていうのがまずおかしいんだし。これで2シームとか投げてるならまだしも、全部ストレートなんだから。本人が感覚を完璧にわかっていたとしてもそれを他人に教授して相手が完璧に投げられるようになるわけじゃない。


 たとえ父さんに投手の感覚を聞いても俺には合致せずに全然スライダーが上達しない可能性もある。特に変化球なんてその人本人の改造がされているもので、身体が全員違うんだから本人と同じボールが投げられるわけがない。


 それでも投げ方を教わって自分の変化球が伸びたりする。教わった人の変化球を超えることもある。何が参考になるのかわからないのだ。


 続けて見続けて。二回に奪った三振はもう一つのウィニングショット、フォークによるものだった。かなり落ちてバットとボールが離れすぎていた。


「うわ、エグっ」


「あんなに落ちたら合わせられないでしょ。フォークも速いし」


 スリークォーターから放たれたフォーク。手首をしっかりと立てていてストレートよりも回転の少ないボールがバッターの手前で急落下。


 落差も速度もプロとして一級品のそのボール。どちらかというとこのフォークの方が代名詞だったらしい。


「そろそろご飯できるからテレビ一旦止めてー」


「ん。わかった。今日のメニューは?」


「ガパオライス」


 タイ料理、だったか?珍しいメニューだ。ご飯とピリ辛のひき肉とピーマンに赤パプリカが刻んだものが混ぜられていて、その上に目玉焼きが乗っている。


 ロコモコ丼みたいに卵が乗ってる料理って多いよな。栄養価が高いから卵を使う料理が多いって聞いたけど、その辺りは万国共通なんだろうか。


 食事中までは分析をしようとは思わない。ニュースを流してそれを聞き流している感じだ。ガパオライスはオイスターソースが絶妙に絡まっていて美味しかった。


 一緒に出てきたサラダも食べながらあと三日どうしようと話していると珍しく母さんが早い時間に帰ってきた。


「ただいま〜」


「母さん、早かったね」


「お盆休みよ。社長にだって休みはあるの。喜沙みたいに毎日出る番組があるわけじゃないもの」


 美沙はこの時間に帰ってくると知っていたのか母さんの分のガパオライスを作り出した。そうか、世間的にはお盆休みになるのか。


 喜沙姉は『熱闘甲子園』があるために甲子園が終わるまでは兵庫に缶詰だ。『熱闘甲子園』だけじゃなくて他の細々とした関西のお仕事もやっていて、その上で時間が空いたら俺の応援に駆けつけてくれたんだから頭が上がらない。


「あ、三人とも。明日全員で御墓参りに行くから」


「父さんの?」


「そう。朝方電車で行きましょうか」


 父さんの御墓参りってお盆と命日くらいしか行かないな。家の中にもお仏壇はあるんだけど、やっぱり遺骨が埋まってる場所は特別というか。


 休みだから俺は問題ない。


「わかった。お昼はどうすんのー?」


「千紗、何か食べたい?智紀でも美沙でも良いけど、食べたいものがあるなら豪華に行きましょうか」


「わたしは別に何でも。お兄ちゃんは?」


「俺も外食ならこれが食べたいって物はないし。というか最近外食が多かったからなあ」


 甲子園に行っていた関係でお昼はほぼずっと外食だった。お弁当とかも食べてたけど、旅館でも豪華な食事を食べていたから外食でこれを食べたいってものがない。


 美沙も何でも良いとなると、千紗姉の気分で決まる。


「ならせっかくだし中華街で中華?美味しい本場の焼売食べたい」


「餃子ならともかく、中華街の焼売はわたしも流石に作れないからそれは良いかも。特に蒸すのが難しいんだよね」


「じゃあ明日は中華にしましょうか。悪いんだけどご飯を食べたら横浜で解散でいい?私あっちで用事があるのよ」


「もしかして仕事?大変だね」


「全部が東京で解決しないのよ。それに横浜にも大きなドーム会場があるから無関係でもないのよ?」


「なるほど」


 確かに横浜なら色々とイベントをやることができるスタジアムがある。そういう場所で喜沙姉が歌ったり何かのイベントに出たりするんだろうか。もちろん母さんの事務所は喜沙姉だけじゃないから他にもアイドルはいるんだけど。


 母さんの事務所も結構大手だから全国ツアーをするようなアイドルグループもいる。アイドル以外にも動画配信者とか俳優とかもいるからどんな関係があるのかわからないけど、仕事に繋がるのは本当だろう。


 ご飯を食べ終わって、お風呂ができるまでに少しでも父さんの試合を見たくて映像を再生させた。


「あら、春紀さんの試合ね。いつ見てもかっこいいわぁ。それに若い」


「二十代の父さんなんだから若いでしょ」


「そういえば母さんとお父さんの馴れ初めとかって聞いたことないかも。プロ野球選手とアイドルってどこで出会うのよ?父さんってそんなにテレビに出てたっけ?」


 母さんがはぅと色っぽい溜息をつきながら映像の父さんを顔を赤くしながら見ていると千紗姉が気になったのか二人の馴れ初めを聞き始めた。


 そんなに不思議なことだろうかと俺は思ってしまう。プロ野球選手の結婚相手ってアイドルや女優、アナウンサー、他のスポーツ選手が多いからアイドルと結婚することが変だとは思わない。


 当時トップアイドルと、まだ活躍もそこそこだった父さんだとテレビとかで共演する機会もなさそうだ。一応父さんもルックスで有名だったけど、そんなところでブッキングするだろうか。


「言ったことがなかったかしら?元々私って春紀さんのファンなのよ。それこそあんたたちみたいに甲子園に応援に行ったわ。ホントカッコ良かったんだから」


「……お母さんってジュニアアイドルからずっとアイドルでしょ?よく甲子園でバレなかったね?」


「喜沙に変装用のメイクを教えたのは私よ?顔の輪郭から目の大きさまで変えちゃえばバレないわ。美沙にも教えてあげようか?」


「わたしは有名になるつもりないから大丈夫」


 母さんは根っからのアイドルだ。そんなアイドルが父さんのファン。しかも高校時代からなんて。


 喜沙姉の変装メイクは本当にびっくりするくらい顔が変わる。それでも綺麗だから注目されるんだけど、喜沙姉だとはバレない。


 そんなメイクを美沙は要らないと言う。芸能人じゃないんだから変装する必要は確かにないからな。


「私、結婚するまで春紀さんと共演したことはなかったわ。初めて話したのは二軍の時の試合を観戦しに行ってボールにサイン貰った時。そこから連絡先を交換して付き合うようになったのは春紀さんが一軍に上がってからね。二軍って結構年収が低かったから付き合うのは不安だって言われちゃって」


「父さんはドラフト二位だろ?それなら一年目でも年俸五百万は固いと思うけど……」


「あの人がプロに入った年にご両親が亡くなったからね。色々出費もあって大変だったみたい。それに私に養われるのは嫌がったし」


「お父さんの方が一つ歳上だもんね。高校生のお母さんに養われる気はなかったんでしょ?」


 俺が美沙に養われるようなものだろ?それは断るなあ。


 父方の祖父母は交通事故で亡くなったらしい。一人っ子・・・・だった父さんは色々と一人でやらなくちゃいけなかったらしくて一年目は大変だったとは聞いていた。


 それでも一軍に上がって活躍してたんだから凄いと純粋に尊敬できる。


 だからこそ、予選の三回戦のように困ったら頼っちゃったんだけど。


「母さんはどこでお父さんを知ったわけ?」


「中学の頃の、野球の大会のキャンペーンガールをやったのよ。その時春紀さんが投げていて一目惚れ。そこからは追っ掛けよ」


「母さんって中学生の頃からトップアイドルでしょ?それが芸能人でもないお父さんの追っかけって……。っていうか、かなりの大恋愛じゃない?十四歳の頃からお父さん一筋って」


「それだけカッコ良かったんだから仕方がないじゃない。好きになっちゃったら気持ちなんて抑えられないもんよ」


 そういうもんか。恋愛ってわからないな。


 というか、母さんの忍耐がすごい。好きになってからまともに話せたのが四年後って。普通立場が逆だろうに、それでも母さんは父さんを好きで居続けた。


 母さんなんてファンもたくさん居た上に、芸能界でも引く手数多だっただろうに。それを全部断って父さんと結婚まで漕ぎ着けた。


 結婚して子供もできて。幸せだっただろうけど、その父さんはもう居ない。遣る瀬無いなあ。


「うーん、先にお風呂入っていい?今日はお酒を入れたい気分だわ」


「母さん、明日起きられるの?」


「なんとか起きるわよー」


「何かおつまみ作ろうか?」


「美沙サイコー。梅酒とかあったわよね?炭酸水とかあったっけ?」


「それはないかな」


「じゃあ俺が買ってくるよ。他にいるものある?」


「炭酸水とアイス?あんたらも好きなアイスとか買って来なさいよ。智紀、はい」


 母さんはポンと万札を渡してくる。炭酸水とアイスだけならそこまで要らないと思うんだけどな。近くにスーパーあるんだし。


「ハーゲンダッツ適当に三つくらいお願い!」


「美沙は?」


「じゃあ私はイチゴ」


「千紗姉は来るんだろ?」


「嫌よ、面倒臭い。こちとら深夜バスで身体ガチガチなんだから一人で行って来なさい」


「はいはい」


 というわけで一人で適当に炭酸水とアイスを複数買いに行った。いつもは美沙と一緒に買い物に行くから一人っていうのは珍しい体験かもしれない。買い物なんて大抵三姉妹の誰かと一緒だったから家に居ながら一人っていうのは本当に稀だ。


────


 智紀が玄関から出て行ってしばらく。


 ソファで寝っ転がっている千紗に向けて、美沙と紗沙は思いっきり溜息をついていた。


「……あによ?」


「言葉もちゃんと喋れないほど疲れちゃってるのね。可哀想に……」


「折角お兄ちゃんと二人で買い物に行けたのに、そのチャンスを逃す千紗ちゃんは残念だなって思っただけ。わたしはおつまみ作るって言っちゃったから行けなかったけど、千紗ちゃんは怠いのを我慢すれば楽しめたかもしれないね」


「……あーっ!」


「千紗も喜沙も結構残念よねえ。誰に似たのかしら?」


「多分お母さんだよ……?」


 そんな末っ子のツッコミは知らないと、母親はお風呂に向かった。


 美沙がこの三姉妹の中でかなり例外なだけで、喜沙も千紗もかなり母親の血を継いでいた。そういう意味では美沙は父親似だろう。

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