七章 短い夏休みと秋大会
プロローグ 父親
宮下
高校時代はその甘いマスクで有名になり、甲子園の春にはベスト8、夏にはベスト4になるという活躍をしてその名前を売り出した。活躍はもちろん、実力も飛び抜けていてルックスからも広告塔にできるだろうということで高卒ドラフトとしてはかなり待遇の良いドラフト二位使命をされた。
球団は東武ライオンズ。パ・リーグに属する水色を基調とした獅子の球団に入団。そのルックスと実力から一年目から注目されていた。
一年目は八月まで二軍で経験を積み、九月頭から中継ぎとして一軍に昇格。セットアッパーとして悪くない成績を残して一年目を終えた。
二・三年目はそのまま中継ぎとしてチームを支えた。四年目からは先発転向をしてローテーションの一角としてフル活動。怪我などに悩まされることもなく、若いながらも中々に勝ち星を挙げてチームの貯金を作り出した。
そして六年目。二十四歳になる年に、日本中を騒がせた。
日本でも人気のアイドル、神宮寺紗沙と結婚したのだ。
熱愛報道なども一切出ておらず、寝耳に水であったその報告。いくら先発ローテの一人になっているとはいえ知名度は圧倒的に劣っていた。だから批判もまあまあ来てしまったが、二人の熱愛っぷりに批判はすぐに収まった。
結婚した後から春紀は先発として更に良い結果を残し始める。翌年には長女の喜沙が産まれて家族としてのスタートも良い感じに切っていた。
子供の発表は長女の喜沙だけであり、それ以降子供が産まれても公表はしなかった。そのため智紀の問題はどうにかなったと言ってもいい。本当は紗沙のテレビ出演を注意深く見ていればどの時期に妊娠して子供を産んだのか推察はできる。
だから実は智紀が実の子ではないとわかってしまう。だがそれでも智紀が実の子ではないと調べるほど暇な人間はいなかった。
そして春紀が二十七歳の時、事態は急変する。
智紀を引き取ることになったのだ。
春紀からしたら智紀は兄の子供であるために甥っ子になる。智紀だけなら良かったのだが、兄の家庭が完全に崩壊。その後処理などがとても大変で心労を患ってしまった。
ここから春紀は一気に体調を崩すことになる。
二十八歳のシーズンは途中で離脱することになった。心労が祟って胃腸が弱くなってしまいドクターストップがかかってしまう。
兄が起こした事件をマスコミに知られる前に箝口令を敷くことはできたが、書類処理などは春紀がするしかなかった。春紀の両親はもう亡くなっているために兄の問題は全て春紀が処理をしなければならなかったのだ。
智紀は良い子で助かった。物心も付いていない時期だったために春紀と紗沙のことを本当の両親だと思い込んでいた。それは養子として引き取った以上、本当の家族じゃないと確執を持たない要素になったのでそこは良しとする。
野球にも興味を持ってくれたので、グラブを与えてキャッチボールもした。兄の子供であるのに野球の才能があり、たった数回のキャッチボールとバッティングセンターに連れて行っただけで春紀は智紀の才能を知ってしまった。
引き取って良かったと思ったことと同時に悲しくなった。
兄の家庭にいたままであったらこの才能は野球に出会うことはなかったのだろうと簡単に推測できたこと。そしてそんな将来有望な子を一人の息子として育てたり野球を教える時間が残されていないこと。
それがどうしようもなく、悲しかった。
春紀の兄は野球が大嫌いだった。やったことすらない。春紀が活躍するたびにただの球遊びだろと罵ってきた。甲子園で活躍しようがプロになろうが、春紀が褒められたことはない。
いつだって兄とはそんな感じだった。兄弟仲は険悪そのもので、一緒に遊んだ覚えもない。春紀は野球に打ち込んでいたし、兄は無気力な人間だった。
そんな兄は自分の結婚式に呼びもしなかったし、兄が結婚して子供がいるなんて話もしなかった。春紀が両親の葬儀も執り行ったくらいで、家族からも絶縁状態だったためにどこに住んでいるのかも知らない状況が続いた。
親戚筋も誰も把握しておらず、どんな職業に就いたのかも知らない。大学に入ったことまでは知っていても、そこを卒業したのかどうかもわからない。そんな疎遠になっていた兄の情報を知ったのは、兄が事件を起こした時だった。
殺人事件。
兄は智紀の母親を殺したというのだ。
それを聞いて兄はそんな人間だったのかと春紀は失望したし、残された智紀の状態もよろしくなかった。栄養失調に殴られたか蹴られたかのようなアザがあった。
自分の娘たちと比較してしまい、何も知らない子供の酷い状態に遣る瀬なくなった。
愛されるべき子供が愛を知らぬまま両親のことも覚えておらず、偽物の家族の中で生きていくことが決定されたのだから。
できるだけ本当の息子のように智紀を育てようと思った。紗沙もそれに賛同してくれて智紀には最大限の愛情を与えた。娘たちも智紀を兄弟として認識して優しく接してくれた。
だが、兄が残したものは多すぎた。
多額の借金。それに智紀関連の提出書類の不備。完全に私生児扱いで出生届けなども出していなかった。結婚もしておらず、内縁の妻を殺したことになる。
借金などは全部兄に返済させるようにした。保証人としての判子などを押していなかったために家族であったとしても春紀が払う必要はなかったのだ。だがどんな生活をしていたのか知るごとに兄の最悪さを知ってしまい、こんな人間が兄なのかと愕然とした。
その内訳は省略するが、プロとして活躍していた春紀が病んでしまうほどには真っ黒だったと言っておこう。
一度悪くなった胃腸はそのまま治らず。結局春紀は三十歳になることもできずにこの世を去った。
智紀は父方の家系が全滅しており、母方に至っては近い血縁が全くいなかったことと、関わったことこそが汚点だとして智紀のことなんて見捨てた。娘を殺されたのだからそれも当然の扱いかもしれない。智紀は今の家族に受け入れられなかったら天涯孤独だった。
紗沙は春紀から託されたこともあって智紀は三姉妹と変わらずに愛情を捧げた。智紀自体は本当に良い子で三姉妹とも仲良くしてくれて、親である紗沙にも懐いていて、そして春紀との約束であるプロ野球選手になるために頑張る子だった。
だから紗沙は智紀のことを見捨てようともしないし、父親関連のことはシャットアウトするために色々と芸能界で手に入れたコネを活用している。
ただ悩んでいることが一つ。
三姉妹全員が智紀に惚れてしまっており、事実兄弟ではないので結婚できるということ。それを伝えるにはいつが良いのかということを紗沙は悩んでいた。
三姉妹は長いこと智紀が本当の兄弟ではないと知っている。できるなら三姉妹の誰かと結ばれて欲しいとも思っている。それだけ四人は支え合って生きてきたのだ。
これで真実を隠してしまったために智紀が三姉妹以外の誰かを好きになり、彼女でも作った日には三姉妹が浮かばれない。智紀は春紀に似て顔立ちも良ければ、野球の実力も相当のもの。詰め寄る女の影も多数。
紗沙は親の贔屓目を除いても智紀が高卒でプロになると考えている。だからこそ伝えるなら十八歳になった時か、ドラフトの後かと考えていた。それが智紀の精神的にダメージが少ないかと思ったからだ。
だが最近の智紀の周りの女性が一気に増えた。まさか芸能界にいる女子から目を付けられてネット上の生放送で愛をぶちまけられるとは思ってもなかったのだ。
「今年……。いや、来年?本当に悩ましいわね……」
「智紀お坊ちゃんは結構成熟していますし、もうお伝えしても良いのでは?」
「そうは言うけどねえ……。緑川、これで智紀に伝えたら三姉妹はどうすると思う?」
「は?お嬢様方、ですか?」
「脇目も振らずに好き好きアピールを始めるわよ?今の比じゃなく、場所も選ばずにね。それで喜沙なんて仕事中だろうと今以上に惚気始めるわ。他の二人に負けないように既成事実でも作るかのようにね。そうなるとどうなると思う?」
信頼できるマネージャーである緑川は考える。一家の事情を全て知っており、三姉妹の猛アタックも見ている緑川だ。これ以上酷くなるのかと言う前に、喜沙の立場を理解して納得した。
「今でも弟とはいえ同じ家に住んでいることから智紀お坊ちゃんへの怨嗟の声がウチの事務所に届きますからね……。喜沙お嬢様を一人暮らしさせろというファンレターも多いです」
「でしょう?それが実は姉弟じゃありませんってバレてみなさいよ。ウチの株、確実に大暴落するわね」
「お嬢様がポロッと言っちゃいそうですね。となるとお坊ちゃんがちゃんとした結果を残してからの方が良いですかね……。甲子園タイ記録ではダメですか?」
「甲子園も三回戦負けだからね。もうちょっと勝ってたら、それこそ習志野学園に勝ってたら伝えても良かったんでしょうけど。涼介君に負けているところにそんな爆弾を落としたら野球のファンからも罵声が届きそうでね。だからもうちょっと様子見かしら」
野球界の状況も鑑みて、今年は伝えない方向でいくようだ。三姉妹には我慢を強いるが、もし喜沙をもう少し信頼できるのなら紗沙はもう智紀に真実を告げていただろう。
喜沙が天然だとわかっているからこそ紗沙は安易な決断を下せなかった。
「春紀さん、これで良いのかしら……?置いていかないで欲しかったなぁ」
その呟きに緑川は反応しなかった。
社長室には二つの写真立てがあった。一つは智紀も含めた全員の家族写真。もう一つは春紀と紗沙だけのツーショット。付き合ったばかりの頃の写真だった。どちらも笑顔で映っている春紀はもうこの世にいない。
それがとても哀しくて、辛くて。もうすぐお盆に差し掛かるために墓参りに行く予定だった。
春紀が亡くなったのも、智紀の母親が殺されたのも。八月の出来事だった。
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