4−3−5 甲子園・急 習志野学園戦

 最終回になってしまった。九回になってまでウチが負けているなんて状況はこの夏では初めて。ずっと勝ち越して迎えていたために最後に追い抜くということはやったことがない。それだけ帝王は打てるチームだったからこそ経験が少ないのは良いことではないのかもしれない。


 ウチの攻撃は二番の間宮先輩から。どうにかクリーンナップで逆転して最後を抑えて勝ちたい。


 だからこそ、俺は準備を進める。


 座っている町田先輩に向かってスライダーを投げ込む。今日はどの球種も調子が良い。ストレートが少し散らばってるけど気になるのはそれくらいだ。こっちの準備は万全と言っていい。後は先輩方が逆転してくれるのを信じるだけ。


 習志野学園の守備の変更はない。投手も館山さんのまま。その館山さんはその名に恥じぬ変化球を放り込んで行く。四球種も違う方向に投げられるために狙い球を絞るのも難しいだろう。ストレートだって速いしこんな投手が控えているのは卑怯としか思えない。


 投げ込みながら間宮先輩の打席を見守っていたが、間宮先輩は打ち上げてしまってセンターフライに倒れていた。習志野学園で登板した四人の投手全員、タイプが違いすぎて打ちにくいんだろう。超高校級の投手が五人も揃っていることがおかしいんだから。


 変化球が多い投手なんて、山勘を張るか狙い球を絞るか、来た球全てに適応するしかない。最後ができるのはそれこそ凄い打者じゃないと無理だ。ただ、クリーンナップの三人ならそれができると信じている。


 準備を始めたのが遅いから、グラウンドにあまり目を向けずに投げ込みを続ける。金属音があったら手を止めて状況確認をした。ファウルでもなんでも、その時には目線を向けた。


 甲子園ではとんでもない大絶叫が響いている。ブラスバンドの音が響いて、男女関係なく声を張り上げている。攻めるウチも守る習志野学園側も。どちらも勝ちたいからこその声が、熱量がグラウンドに届く。


 そして。


 葉山キャプテンが空振り三振に倒れた時にはウチからの絶叫が。習志野学園からは大喝采が甲子園を支配した。ミートの上手い葉山キャプテンでも捉えられないなんて。


 二アウトになったことで町田先輩が近寄ってくる。


「宮下。ベンチに戻るぞ。もう準備は十分だな?無駄な体力を使わせるわけにはいかない」


「……はい。了解です」


 準備が足りないとか言うつもりはない。ただ、この呼び出しの理由の裏の意図がわかってしまった。


 最後はブルペンじゃなく、ベンチで。


 そういうことだろう。


 諦めたわけじゃない。ただそういう可能性があるから戻ってこい。それが監督のメッセージだ。


 ベンチに戻る最中に、何故だか習志野学園の観客席の方に目線が向いてしまった。ブラスバンドの応援をしている一人の歳上の姿が目に映る。


 フルートを吹きながら、汗をかいている綺麗な人。弟の活躍を真剣に応援している、本当ならもう一人のことも応援したかった女性。大きな夢が叶わなくなってしまい、彼女にとっては最後の甲子園になる今年。だからこそ彼女が向ける視線は真剣だ。


 羽村由紀さん。涼介の姉。


 どこの家庭でも姉はそういう感じなんだろうか。そんなことを思いながらベンチに戻り、水分を摂って汗をタオルで拭いたら最前列で応援に戻る。


 四番の倉敷先輩。この人なら打ってくれると信じている。涼介のリードが厄介でも、球種がいくらあろうと、それだけで打ち取れるほど甘い打者でもない。


 実際、追い込まれてから倉敷先輩はどんなボールにもバットで当てていた。前に飛んでいないだけアジャストする場所を探しているんだろう。


 そして甘い球が来たのか。


 ベルト付近に来たボールを引っ張ってレフト線に長打になる当たりを放っていた。フェアゾーンに落ちた瞬間ベンチは爆発した。甲子園のこちら側半分がまさしく揺れた。


 俺も鼓膜がなくなるかと思ったが、それを気にしないほど俺も大声で叫んでしまった。それくらい可能性を繋げる一打だった。


「やっぱ頼りになるなあ!倉敷!」


「すっごい!さすがウチのスラッガー!」


「おお、宮下までテンション高いな!」


「得点圏まで行ったぞ!三間、決めちまえ!」


 二塁打を放った倉敷先輩へ拳をブンブンと振ると、倉敷先輩もこちらへ拳を返してくれる。


 続く三間にもあらん限りの声を届ける。三間はこちらを向くことなく打席に向かう。ここでもう作戦なんてないだろう。あとは三間が打つしかない。


 三間の得点圏打率は悪くないし、今日は当たっている。それに三間は変化球への対応が上手い。期待の持てる状況だ。


 夏の暑さなんて気にしないほどに声を出した。準備なんて気にせず、三間に全てを託す。


 三間は初球からバットを振っていく。カーブのようなボールを引っ張ってライト線へファウル。やっぱり変化球への対応は良い。ナックルカーブなんて揺れるし遅いボールだから当てるのは難しいはずなのにアジャストしている。


「良いぞ良いぞ!合ってるぞ!」


「ぶちかませー!」


 二球目はストレートが高めに外れてボール。ストレートのタイミングも合っているようで見逃しにも余裕があった。


 三球目。遅い球がワンバンでミットに収まる。制球が乱れ始めたか?さっき倉敷先輩に多く投げてたことが関係あるのかもしれない。抑えしかやらない投手っていうのは何かしらの理由があるんじゃないかと思う。いくらそういうシステムだからって抑え専属っていうのはスタミナとか回を跨ぐことに問題がある可能性はある。


 回を跨ぐと一気にダメになる投手、球数が四十を超えるといきなり荒れる投手。そんな投手は意外とありふれている。何でそうなるのか本人にもわからず、その弱点を乗り越えられないままマウンドに上がる人だっている。もしかしたら館山さんはそういうタイプの投手なのかもしれない。


「三間、ボールをよく見ろ!難しいボールは振るなよ!」


 球数を投げさせるのはありかもしれない。そう思って三間へ声をかけたが、ダメだ。届いていない。


 色々な声をかけられているから俺の声がかき消えているということもありそうだが、それだけじゃない。アイツ、もう打席以外のことに集中が向いていない。


 涼介のことも見えていない。前を、館山さんのことしか見えていないのは良いことなのか悪いことなのか判断が付かない。けど、今更代打を送るわけにもいかないだろう。


 四球目が投げられる。それは速い球だったが、三間は空振り。ちょっと落ちたから高速スライダーだろう。これで追い込まれた。


 粘る、なんて意識が今の三間に残っているだろうか。多分何もかもを遮断して打席に集中している。その集中力に頼るしかない。


 五球目はストレートだったみたいで真後ろにチップしていた。タイミングは間違っていない。ストレートを続けては来ないだろうが、三間は負けていなかった。


 六球目。俺の予想は外れてストレートが来た。それを三間が流し打ち。綺麗なライナーがレフトへ向かうが、ショートの柏木さんが斜め上に飛びながらノーバウンドでグラブに納めていた。良い当たりだったからこそ湧き上がった歓声は一瞬だけ膨れ上がってすぐに鎮火した。


 代わりに習志野学園側から爆発するような声が上がる。


 俺はグラブをベンチに置いてグラウンドへ向かう。先輩たちも項垂れることなく整列のためにベンチから出て走り出す。既に涙を浮かべている人もいたが、それでもベンチに留まることなくホームベースへ向かった。


 俺は呆然と立ち尽くしている三間の元へ行き、左肩を叩いた。


「整列だ。行くぞ」


「……すまん」


「謝るな。試合に出てない俺よりよっぽど貢献してただろ」


 俺たちが最後だったようで他の人たちは全員既に並んでいた。一番後ろに並んで主審の声を待つ。


「6-7、習志野学園。ゲームっ!」


「「「ありがとうございました‼︎」」」


 礼をするのと同時に甲子園のけたましいサイレンが鳴り響く。いくら大きな音を出してもこの悔しさは覆い隠してくれない。


 顔を上げて涼介と柳田を探す。向こうも俺と三間を探していたのか近付いて来ていた。


「涼介、絶対勝てよ。負けるなんて許さない」


「ああ。ウチがてっぺん獲る。……お前も泣くんだな」


「人を非人間みたいに言うな。お前と一緒だった大会は負けてないから泣くわけない」


「そうか。三間、最後の打席は柏木先輩じゃなかったら抜けてた。そうしたら左中間に抜けてて同点、そこからはわからなかった。紙一重だったよ」


「結果が全てや。アウトはアウト。次は春にリベンジしたる」


「ん?神宮には出てこないのか?」


 涼介に一本取られたな。秋大会で優勝したら神宮は自動的に出られる。習志野学園も秋の関東大会は勝ち上がってくるだろう。両方のチームが勝ち上がれば最速で神宮で戦える。


 それを考えてなかったのか、三間は目を見開いていた。こいつ、結構大口叩く割りには抜けてるよな。


「柳田もナイスピッチング。次は投げ合おう」


「ああ。また神宮か甲子園で戦おう」


 柳田と左手で握手する。柳田とも投げ合いたい。一回も戦ったことも同じチームになったこともないから投げたいところだ。


 三間と涼介も握手をしている。ただ長い時間ホームベースの前でわらわらしているわけにはいかないので解散した。三間も男泣きしていたが何も言わずにベンチに戻る。ベンチの前に戻ったら相手の校歌を聞かなければならない。


 俺たちが勝った時もやっていた。二回にも流れてた相手の校歌を静かに聞き入れた。


 たったの一点差。それでも負けは負けだ。投げていない試合で負けたのは公式戦で初めてかもしれない。


 帝王学園の夏が、終わった──。

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