4−3−1 甲子園・急 習志野学園戦

 六回の裏の習志野学園の攻撃。この回の攻撃は九番の柳田からだったが、ここで習志野学園の清田監督は代打を送っていた。柳田はここまで。次の回からはいつものマニュアルに戻して背番号十一番の茂木に継投する予定だった。


 柳田の代わりに出て来たのは背番号十五の右打ち、千原。代打で出るとしたらこの千原が選ばれることが多い。打力だけならレギュラー陣と遜色ないのだが、守備走塁がパッとしないためにレギュラーになれなかった選手だ。


 打力だけで言えば本当にレギュラーと変わらないために打率も良い。代打専門ながらホームランも打っている強打者だ。左右どちらにも打ち分けられる良い打者。


 中原もそんな代打専門の千原の情報はあった。代打で毎回のように出てくる信頼されている打者ならもちろんデータを集めていた。


 左右に打ち分けられるとはいえ、アウトローが苦手なようだった。そこへ落ちるようにフォークを要求してファーストフライに切って取った。


 一アウトになって上位打線へ。代打を出された柳田はブルペンの横でダウンのキャッチボールをしていた。


「茂木さん、後は任せました」


「おう。ここからはウチの黄金パターンだ。帝王とはいえ簡単に打たせはしないよ」


「涼介だって完璧じゃないんで、首は振っていいんですからね」


「俺はキャッチャーってもんを信頼してるからな。基本首を横には振らないよ」


 それが茂木の信条だった。相方が大石だろうと涼介だろうと、茂木は一度も首を横に振らない。


 その理由はいたって簡単なもの。


「自分の直感が信じられないんでしたっけ?」


「そうそう。俺が首を横に振って投げたボールってだいたい打たれるんだよ。だから俺は首を振らないことにした。振ったことで打たれたら完全に俺のせいだからな。サインに従って打たれたら責任は折半だ」


「なんという逃避術……」


「これがうまいことハマってるんだから俺はこれで良いんだよ。投手だからって我欲が強い奴しかいないわけでもないし。人間なんだから多種多様だ」


 キャッチャーが大変な理由の一つだ。


 ピッチャーという人種はわがままな人間が多くて、その中でも程度の違うわがままな人種が揃っている。そしてわがままではなく控え目な人間もいれば、まともな人間もいる。


 性格の違いすぎる選手の手綱を握って試合で活躍してもらえるようにコミニュケーションを取らなくてはいけない。趣味嗜好やその日の体調や調子、様々な状況を勘案してリードを組み立てなければならない。


 柳田からすればキャッチャーなんて罰ゲームとしか思えなかった。自分が投げるのが大好きだということもある。なんにせよ、守備の中で一番大変だと言われるポジションを好き好んでやる奴は変態だと認識していた。


 そんなポジションに一番適性があって本人も楽しんでいる涼介について、柳田の認識としては敵にならなくて良かった真性の変態だと思っている。


 野球だけでも大変なのに親友の市原と姉の恋愛事情にも巻き込まれ、しかも本人は市原の妹という小学五年生に好かれている。


 どこぞの主人公だよと、柳田は突っ込みたくて仕方がないほど涼介の人生は山あり谷ありだ。


 柳田がある程度ダウンをした頃、試合状況は動いていた。一番の柏木が四球で出塁して二番の常盤がシングルヒットでランナーが一・二塁になっていた。チャンスは応援しようと柳田はベンチに戻る。


 涼介がネクストバッターサークルに入る前に、柳田は声を掛けた。


「今のうちにもっと点取ってくれよ。宮下が用意を始めてる」


「ん?」


 涼介がそう言われて帝王側のブルペンに顔を向けた。


 そちらでは大久保が町田を座らせて投げ込んでいる。その隣で智紀が柔軟のような身体をほぐす動きを始めたのだ。


 智紀は大久保の調子次第だが、九回から延長戦を見越して登板する予定だった。だからそろそろ身体の準備をして大久保がブルペンからいなくなったら町田相手に投げ込む。


 涼介も柳田も、帝王投手陣の中で一番警戒しているのは智紀だ。投手陣で最速のストレート。そのストレートも三種類あると涼介は理解しており、その上138km/hで曲がる高速スライダーに100km/h台のチェンジアップがある。


 これだけで脅威なのにまだまだ変化球があるのだ。その上ゾーンにでも入られたらまさしく手が出ない。


 智紀が一年生だろうがなんだろうが、登板されたら零封される可能性があるのだ。なら出てくる前に引き離してしまえば良い。


 涼介は先ほどの打席で真淵からホームランを打っているのだ。真淵から打てるのなら打っておきたい。


 そう思っていたが、八柱がパワーカーブを引っ掛けてしまい4-6-3のダブルプレー。これで三アウトとなり真淵が登板している間に涼介に打席が回ってくることはなくなった。


 柳田はベンチで休もうと思ったが、キャッチャーの涼介が何も防具をつけていなかったので装備を手伝う。引き上げていった帝王メンツはこの回をゼロで抑えたことで真淵をエースとして褒め称える。上位打線に回りつつ無失点は最上の結果だ。


 この回はどちらも得点がなかったために六回の裏が終わっても5-7のまま。ここから後半戦に突入していく。


 投手の柳田に代打を出していたのでマニュアル通りに茂木がマウンドへ。茂木のスタイルは鋭く速く曲がるカットボールや高速シュート、それにムービングファストボールを駆使してテンポが早い、凡打を築くタイプの投手だ。


 習志野学園の投手陣で唯一の二年生。中継ぎを任されるということは次世代の二枚看板として期待されている投手ということ。ストレートもMAX146km/hと二年生の中でもかなり早い方だ。


 この茂木が二イニング、もしくは一イニング投げて、残りを抑えの三年生である館山がシャットアウトするというのが習志野学園の黄金リレーだ。


 茂木がマウンドに上がったので館山もブルペンに入って投球練習を始める。柳田を起用するという事態は起きたもののようやく習志野学園らしい継投パターンになってきた。


 七回の表が始まる。


 帝王の攻撃は先程刺殺があったために再び二番の間宮から。その間宮へ初球から140km/h超えのストレートが突き刺さる。


 間宮は先頭打者として茂木の分析をする。ポンポンとボールは放たれるが間宮は三振することなくバットに当て続ける。そして七球目。甘く入ったカットボールをセンター前に運んでいた。


 継投によって全く違うタイプの投手が出てくることは打者として対応が難しいが、絶対に打てないわけではない。二点差の現状、ここでノーアウトのランナーは大きかった。


 それに七球も見られたのだ。投球テンポとストレートの感覚をベンチでは十分に味わえていた。


 そして二点差という微妙な点差だからこそ、三番葉山は決意する。


 葉山はキャプテンであり中軸だ。四番という最高打者に繋げるためのブースター装置として三番に居座っている。


 ドラフト候補生でもあり、内外からの注目は半端ない。警戒度も帝王の中で一二を争うだろう。


(俺がキャプテンに選ばれたのはジャンケンが強かったからだ。というか、倉敷がジャンケン弱すぎた。二択から俺が選ばれただけで、正直お飾りな部分も多かっただろう。……キャプテンとしても一選手としても、それに一人の男としても情けないことが多かった。……結局千紗に、告白できていない)


 葉山は千紗が入部してきて、正直に言えば一目惚れしていた。あんなに綺麗な子は初めて見たと断言して良いほど心を奪われていた。マネージャーとしての仕事も真面目にこなして、弟を最優先にするという悪癖もあったもののそれもギャップだと思えたら可愛く感じて。


 要するに葉山は千紗にゾッコンだった。


 葉山だって少し前は告白する気だった。だが何の偶然か同じ日に千紗に告白した男子がいて、その男子はすげなく断られていた。


「あたし、今野球部が忙しくて彼氏作る余裕ないの。だからごめんなさい」


 お断りの常套句のような返しだった。それを聞いて千紗には好きな人でもいるのではないかと思ってしまった。好きな人がいると断れば、それは誰だと追求されるためにその追求をなくすためにそんな言葉を伝えたのだと葉山は感じた。


 だが葉山はこの一年千紗のことを事あるごとに目で追ってきたが、男の影は見当たらなかった。少なくとも同じ学校にはそんな人物はいなかった。今年になって弟の智紀には構い倒すようになったが、あくまで弟だ。恋人にはなれない。


 葉山はおろか、智紀ですら千紗との関係が姉弟ではないと知らないのだから気付くはずもない。


 葉山はスカウトにも声を掛けられて、高校の後の進路もドラフト次第になってしまった。そんなアヤフヤな状態で告白なんてできないと先延ばしにした結果が今の状態だ。


 引退したら告白しようかなと考え、恋愛のことももちろん、今の打席の決心も一つしていた。


 セットポジションから放たれた初球。


 葉山は即座にバットを横に寝かせた。


「は⁉︎」


 習志野学園の内野陣は誰もその奇襲を想定していなかった。そもそも葉山がバント・・・をしたなんてデータが一切なかったからだ。帝王のクリーンナップは打つのが当たり前。スクイズも送りバントも、クリーンナップだけはしているところを見たことがなかった。


 それもそのはず。紅白戦や練習試合も含めて、葉山はこれが高校野球初めて・・・のバントだった。


 セフティー気味に身体を斜めにし、バットに当たった瞬間駆け出す。


 ボールは切れることなくフェアゾーンへ転がっていった。

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