4−2−7 甲子園・急 習志野学園戦

 六回の表。


 打順は八番の三石から。先程の打席で名塚からホームランを打っている帝王唯一の二年生レギュラー。習志野学園が誇る絶対的エースから一発を打ったのだから、バッテリーは当然のように警戒する。だが四球でランナーを出すのもバカらしいのでストライクを投げないわけではない。


(この場面、次がピッチャーの真淵さんだから是が非でも出塁したいだろうな。それで打力のない真淵さんには送りバントをさせて上位打線に繋げたいってところだろう。だからこそこの三石さんを出塁させちゃダメだ)


 強気のリードを行い、勢いのあるストレートで追い込んでいく。カーブを挟みつつ、最後はインハイに迫る対角線を用いたストレート──いわゆるクロスファイアーと呼ばれる、左投手が右打者の胸元に投げるボール──によって打ち上げさせてサードフライに切って取った。


 負けている試合で自分が出塁しなくちゃいけないと考えている人間はどれだけ実力があっても焦る。三石がいくら才能に溢れていて努力を怠らなかったとしても、ガチガチに固まってしまう状況というのは出来上がってしまうのだ。


 ランナーがいないために送りバントという手段が使えなくなってしまった帝王。まだ真淵に投げてほしかったので代打を送ることもなくそのまま打席に送った。


 真淵が出塁することを願うが、ストレートを引っ掛けてファーストゴロに倒れてしまう。帝王の中で投手陣だけは打力が低く全国レベルではない。そんな選手に打たれる柳田ではなかった。


 打順がトップに戻り、一番の早川。


 早川はこの打席、カーブにだけ的を絞った。ストレートが来ればカットして、他のボールは手を出さない。涼介もなんとなくカーブを狙っていることがわかってカーブだけは投げなかったが。


「ボール、フォアボールッ!」


「よし!」


 最後はストレートが浮いてしまい四球。柳田は球威と速度で押すゴリ押し派なので細かいコントロールはない。力があるからこそ勝手に四隅にバラけるので打ち取れることも多いが、こういう四球も多い投手だった。


 三者凡退を防いだことで早川はガッツポーズをしながら一塁へ向かう。勢いに乗るのなら三者凡退が理想だったが、打力のある帝王を三者凡退にすることの難しさをバッテリーは理解していた。だからランナーを出してしまったことはあまり気にしていない。


(四球で相当嬉しそうだな。一番なんだから出塁が最低条件だとしても、こっちからすれば一番打者を手も足も出させなかったって結果なんだから全然マイナスじゃない)


 涼介からすればランナーの一人くらい気にしない。ここから上位打線が続くとしても最早二アウト。一点を取られてでもアウトを一個取れば良いのだから連打にならないように気を付けるだけ。


 続く二番の間宮はミート力があり、上位打線で唯一一発がない打者だ。二遊間を狭めてセンター返しだけは防ぎ、力で押す。それだけだ。


 初球はカーブを投げて意表を突き、空振りを奪っておくことを忘れない。フィニッシュボールがストレートなだけでストレートを最初から投げるわけではなかった。


 二球目はストレートがアウトコースに外れてボール。今の帝王のスタメンたちは東東京大会で柳田よりも上の左投手である分島と対戦していたために柳田のボールはしっかりと見極められた。ストレートの速度は柳田の方が遅いので打つことも難しくないと考えていた。


 そして三球目。


 早川が暴走気味ではあったものの結果として牽制がなかったために最良のスタートを切って二塁へ走っていた。


「スチール!」


 帝王からしたら試したかったことだ。バッターが左打者で塁にはトップクラスの速力を持つランナー。これで盗塁が成功すれば一気にチャンスが広がってくる。


 しかも投げられたのはフォーク。ストレートではなかった。援護のために間宮は空振りをして涼介は送球のためのフォームに移行して中腰になっていた。


 逆シングルで捕球してすぐにステップして涼介は二塁へボールを放つ。投手の柳田は二塁への最短経路からどき、涼介の邪魔をしなかった。


 ホームから投げられたのは山を描くことなく光線のように白い一筋の糸。それはいくらステップをしているとはいえ柳田のストレートよりも速く感じるほどの豪速球で、二塁カバーに入っていたショートの柏木がベース前に置いていたグローブにピッタリと収まった。


 柏木がしたのは滑り込んでくる早川の足にそのグラブを当てるだけ。一秒以上余裕のあるスローイングで誰が見てもアウトだった。


 塁審ももちろん、大きく手を挙げる。


「アウト、アウトッ!」


 流石にセーフだろうと思っていた早川と間宮からすれば驚きしかなかった。

 柳田が投げたボールはワンバンはしないものの落ちるフォーク。捕球も難しく、体勢を整えるだけで大変なボールだった。それを逆シングルで捕球してから二塁に投げられるまでの時間が短く、どういう反射神経をしているんだと罵りたくなるほど。


 早川からしても、これ以上ないスタートだった。柳田が動く前にスタートを切っていたためにこれ以上早くスタートは切れなかった。そして左打者に変化球と、キャッチャーに不利な条件が揃っていた。


 柳田のクイックもさして早くない。だというのに余裕を持って刺されたのだ。


 攻守交代で撤退していく習志野学園の面々を見ながら呆然としてしまっても仕方がない。


「ハリー!」


「あ、はい!」


 塁審に急げと言われてようやく動き出す。このアウトを演出した習志野学園バッテリーはベンチに戻りながらグラブを合わせていた。「イエーイ」という声が聞こえてくるような笑顔だった。


 一塁への刺殺も見ているために今回の刺殺も驚かないかと言われたら、それは驚く。帝王で一番足の速い早川を変化球で、しかも体勢の悪い状態で刺したのだ。たった一つのアウトながら一塁刺殺よりも重要なビッグプレーに観客はどよめきと喝采を隠せない。


 今の映像を再確認するプロのスカウトたち。自分の球団の捕手と比較して同じことができる人間がどれだけいるか。今の完璧なスタートで誰なら涼介から塁を奪えるのか。現場にいた人間はすぐに本部で中継を見ていた人間に連絡を取り、今のスローイングを切り取って保存するように指示を出していた。


 外野手としての涼介も驚異的だった。このまま二年後は外野手として獲ろうとする球団もあったほど。だが今のプレイを見てしまえばそんな提案は戯言でしかなかった。


 これほどまでに捕手としての適性がある人間を、捕手として起用しないことは他の球団と本人に対する冒涜だと。キャッチャーをやるために産まれてきたような能力を持っている涼介を獲得しない理由はないと。


 今の一年生の世代には光る選手が多かった。だから誰を一位指名にしようかと迷っていた。あと二年もあるためにこれから名前が挙がってくる選手もいるだろう。大学や社会人で是が非でも欲しい選手も出てくるだろう。


 だが捕手事情がよろしくない球団は、もう二年後のドラフトを決めていた。


 実に四球団のスカウトが今のスーパープレイに一位指名を決めて、他のスカウト陣や球団のフロントに監督などの指導陣を説得しようと決めていた。


 他の球団は捕手の余裕がある人間。まだ一プレイしか見ていないために確定させることはしない者。そして二年後だからと唾をつける程度で抑える大人。既に一位指名候補を決めている球団。まだまだ悩んでいるスカウトばかりだった。


 ホームランも打てて、捕手としてのスローイングも化け物染みていて。リードも面白い。世界も経験している天才。


 彼は親友のいなくなった聖地で、しっかりと爪痕を残していた。

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